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さようならまたあした #創作大賞感想

幼稚園の降園時間は幼稚園バス、お迎え、延長保育とそれぞれ違います。やっと、全員無事降園し誰もいなくなった保育室を掃除しているときがほっとする時間でした。

誰かいる場所でなく誰もいなくなった場所。

ミーミーさんの『誰かいる場所』は中学校の図書室で、ミーミーさんが司書として働いていたときの1日が生き生きと描かれてます。

調べ学習や図書館の使い方、空き時間の先生の愚痴を聞きながら片づけたり、保護者の方、ご近所のお年寄り、教頭先生、本を借りたり返したりする生徒、図書委員、カウンセリングルームが閉まっててミーミーさんの手招きで訪れたCさん、卒業生・・・。ミーミーさんの周りには必ず誰かがいます。

「教室に入れない」A君と「教室に入れられない」B君も図書室に訪れます。彼らとミーミーさんの自然な様子が微笑ましい。B君は眉毛なしピアスの男の子だけど、なんかかわいい。ミーミーさんのユーモラスな筆力もあるのだけど「20年前の中学校の図書室の司書」でも「noteのミーミーさん」でも「note以外のミーミーさん」でもみんな同じ、自然体のミーミーさんだからするすると鮮やかに情景が浮かんできちゃう。

1日の終わりに疲れたミーミーさん自身が「誰かいる場所」を求めて保健室に行き、それを受け止めてくれる人と場所がミーミーさんにもあって。

ふふふ。これ、わたしもだ。子どもたちがみーんな帰ってほっとして、その後、事務仕事、教材づくり、会議とか園長のお叱りや保護者のクレームもあったり。

疲れて最後に向うところは延長保育の部屋。まだ子たちが残っている。子どもに愚痴を言ったりはしないけど(できない)ただ、彼らの顔が見たかった。彼らの顔を見てほっとしたかった。

子どもたちがいなくなって、ほっとしたのにまた子どもの顔を見てほっとしたくなる。

へんなの。

ミーミーさんは、「芋の子を洗うよう」と言っていたけど、子どもたちは「わけのわからないもの」だった。「まだ完全な人間じゃなく、これからなっていく、わけのわからないもの」そんな彼らに会うのが好きだった。

さよならしたのにまた会いたくなる。

寂しくなることがあっても、モヤモヤしていても、誰かいる場所で喋っていたらなんとなく。なんとなくだけど私の心もふわっとした。

ふわっと。うんうん。わたしも彼らに会ってふあっとした。

ミーミーさんがコメント欄に書いてくれました。

幼稚園の誰もいなくなった部屋を好きだったかなこさん。わかります!あの雰囲気。あの夕方の光の差し込み方とか安堵の雰囲気というか。翌日にはまたみんなを元気に迎える場所。

わたしの勤めていた幼稚園は、さようならはひとりひとりと握手します。「さようならまたあした」と。ぎゅっぎゅっと手を握ったり、むぎゅーっとハグしたり、なかなか手を握らせてくれなかったり。

ミーミーさんの『誰かいる場所』は、「さようならまたあした」に似ているような気がします。

あしたへの小さな希望。
あしたもまた会おうね。

誰かいる場所は、あしたへつながっています。

さようならまたあした

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