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人間というのは「人間関係」で成立している。

NHK大河ドラマ『どうする家康』はじまりましたね。えっ?松潤が家康?イケメンすぎる!とキャスト発表には驚きましたが、若かりしの家康はピュアで弱虫で強くって。

松潤には『たぬきオヤジ』になって欲しくないなぁ。

『覇王の家』は、家康のたぬきぶりはあまりないので松潤家康で読めちゃいます。「婦人がみれば憐れをそそるほどに可愛い少童」と司馬遼太郎センセイが書いてますし。

覇王の家(上)(下)  司馬遼太郎

あわれ、というのは3歳での生母との別れと6歳から今川家で人質と過ごした環境です。この少年の悲劇性が、三河岡崎衆を結束させたのでしょう。

なるほど。「どうする家康?」という場面があちこちにあります。属していた今川義元が桶狭間で織田信長に敗れてしまい、今川家と手をきるべきか。武田信玄との三方ヶ原の戦い。本妻である築山殿と息子信康の事件。本能寺の変。

何とかしてピンチを切り抜けようとする粘り強さと姿勢が描かれています。

選択肢の連続の中で、常に生き延びる方を選択してきた強さ    

1月1日朝日新聞 松本潤

ドラマで、今川義元が覇道と王道を家康に問う場面がありました。
今後は、信長が覇道で家康が王道をゆくものだと予想されますが、この小説は「覇王の家」です。

かれは覇王という呼称にふさわしい爽快さと残虐さはもたず、そういう意味ではこの題はやや無用なほどに逆説的であるように思えたが、しかし二百七十年の歴代を書いてみようという当初の志としては、こういう題しかないように思えて、そのようにした。

司馬遼太郎「覇王の家」あとがき

家康は覇王でないけど、今後の徳川幕府が覇王につながっていくということのようです。

ドラマの中でも三河もの、三河武士の気質が現れてましたね。忠誠心の異常に強い集団で、後の江戸時代が現代の日本の民族性の基という司馬遼太郎の独特の視点で展開されています。

家康は、健康、スポーツというものをはじめて取り入れたということで知られていますが、戦国時代において「人間関係」というややっこしいことにも敏感で、繊細なアンテナを持っていた人です。用心深く、気の遣いができる、それが計算にしろ。「律儀」や「正直」も本当か演技にしろ。

三河殿のところは安心感があったようです。

信長のようにカリスマ性はなく、秀吉のような手品もなく、人を大事にしてつながっていく。

この物語は、秀吉と戦った小牧・長久手の戦いまでで、関ケ原の戦い、大坂の陣などは描かれていません。『関ヶ原』『城塞』のでの家康とはちょっとイメージが違い松潤よりかも。

今も昔も、健康、人間関係が大切だと思いました。