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天野陽介ってどんな人?ダブルダッチ教育家ってどういうこと?

初めてご覧になる方もお会いしたことある方も、ご興味を持っていただきありがとうございます!

現在、子ども達にダブルダッチというスポーツで成長をサポートするため、「合同会社NICO」という会社を経営しています。子ども達からは「ノッチ先生」で知られています(^ ^)

NICOでは子ども達が「自身で考え、動き、選択できる力」を身につけてもらうため、ダブルダッチを主に、なわとび・体操・アクロバット・トランポリンなどの全身運動をテーマにしたスポーツスクールの展開や、教室でのレッスンだけでなく、目標となるための大会やイベントなどを主催、企画したり、様々なスポーツイベントのコンサルティングなども行なっております。

よろしければNICOのホームページをのぞいてみてください(^ ^)

http://www.ddsnico.com/  (「ダブルダッチ NICO」で検索!)


さて、これから掲載していく記事では自己紹介と、自身のダブルダッチ教育家になるまでの物語を何章かに分けて載せていこうかと思います。今回は第1章〜幼少期から大学最盛期まで〜です。わかりやすいように先に略歴と資格などをまとめておきます。

これからの記事を通して何か共通点や一緒に何かやってみたい!と思った方いましたら是非一緒にお仕事しましょう!ダブルダッチをやっている方の一つの選択肢としても参考になれば幸いです。

<略歴>

2004年 埼玉県立蕨高等学校卒業

2005年 日本大学文理学部教育学科入学(英語専攻)

2009年 日本大学卒業(総長賞受賞)、株式会社ナ◯コ入社し、アミューズメント店舗運営スキルと予算管理、店舗外交渉、イベント企画運営などを経験。

2012年 (株)ナ◯コ退職、株式会社WIN◯LE(のちのLI◯ALICO)に入社し、教育力の向上のため、発達障がい児の指導員を行う。

2016年 (株)LI◯ALICO退社、ここで独立し、7月8日(縄の日)に合同会社RoCo(のちのNICO)を設立。2017年に合同会社NICOに社名変更し、現在に至る。     

<資格等>

第一種中学校高等学校教員免許状(英語)、公益財団法人日本体育協会公認スポーツリーダー、公益社団法人東京都障害者スポーツ協会公認初級障害者スポーツ指導員、ベビーマッサージ・ベビーヨガ・インファントサイン1級、カラーセラピー、接客接遇検定準1級

<ダブルダッチの主な成績と経歴>

2005年4月 日本大学ダブルダッチサークル「DSP」3代目として入会。

       チーム「GM7」として3年間現役生活を送る。

2006年 DOUBLE DUTCH CHALLENGE in TOKYO 優勝

      DOUBLE DUTCH DELIGHT EAST 2006 準優勝

      DOUBLE DUTCH DELIGHT JAPAN 2006 準優勝

      NDDL HOLIDAY CLASSIC 2006 優勝

2007年 DOUBLE DUTCH CHALLENGE in TOKYO 優勝

      DOUBLE DUTCH CONTEST vol.6 準優勝

      DOUBLE DUTCH DELIGHT EAST 2007 優勝

      DOUBLE DUTCH DELIGHT JAPAN 2007 優勝

      NDDL HOLIDAY CLASSIC 2007 準優勝

2008年 現役引退後、大学各サークルや高校部活、幼稚園等を積極的に回り、将来の為の繋がり作りを始める。

<生い立ちと我がダブルダッチ人生(ダブルダッチ教育家になろう)>

第1章〜幼少期から大学最盛期まで〜

1985年神奈川県大和市生まれ。幼少期は父親の転勤で台湾で過ごす。小学1〜4年生までは日本の小学校で、5年生〜中学2年生までは4年間中国北京日本人学校に通学し、バスケットボールにハマり、隣のインターナショナルスクールの友達と一緒にスポーツ交流したりして過ごしました。

日本に帰国してからは、埼玉県川口市に移住し、高校は埼玉県立蕨高等学校に進学。日々バスケ漬けの毎日でした。

大学は一浪して日本大学文理学部教育学科に進学。ここで運命のスポーツ「ダブルダッチ」に出会います。

当時まだスポーツとしては認知が低く、ストリートカルチャーとして知られていたダブルダッチですが、ダブルダッチの「ダ」の字も知らないのに、大学の先輩達が行なっていたパフォーマンスを見て、自身に衝撃が走り、即日本大学ダブルダッチサークル「DSP」に入会しました。

そこからは毎日ダブルダッチ中心の生活。時間があれば常に縄を回してました。大学の授業の間の10分でも集まったメンバーでダブルダッチしていました。GWには自主的に一人で自宅近くの小学校の柵に縄をくくりつけて1日5時間以上回し続けていました。

普段からハマったものはある程度のレベルになるまでやるタイプですが、ここまで夢中になれたものは今までなく、とことんのめり込んでいきました。

始めてまもなくチームを結成。チーム名は「GM7」。メンバーは6人。

なんで7?って一瞬でも思う方、これは話すと長いので、また別途ネタとして書きます^^;

ダブルダッチを初めて5ヶ月後の初めてのパフォーマンス大会(DOUBLE DUTCH DELIGHT 2005)。当時は部門が分けられることもなく、初心者も経験者もみんな一緒の部門。GM7この年に世界大会行きを注目されるチームに挟まれる出演順で完全に大会にのまれ、跳んでいる時間の方が短いんじゃないかというほどミスが続き、惨敗。自身が生きてきた20年間で一番悔しい瞬間でした。

ここから、リベンジに向け怒涛の猛特訓開始。他のチームの研究や傾向分析、オンリーワンになるために必要なもの、なんでも吸収する姿勢、ここが一つのターニングポイント。ここでの姿勢は今後の人生にかなり影響して来ます。

勉学やバイトの時間を抜いて毎日5時間以上、長期休みも関係なくひたすらダブルダッチをやり続けました。正直この時点では親にもダブルダッチをやっていることをよく思われていませんでした。この時は認知度も低く、知らない人からすると訳のわからないものにハマってるように見えてたかもしれません。

ただ、不思議なことにいくらやっても、悔しいことはあっても「辛い」という感情は全く出て来ませんでした。高校バスケの部活はやらされることに辛さしかなかったのに。やればやるほどダブルダッチは自由で、天井がなく、自分たちの責任ででき、完成のないとても深いものでした。

社会人になって考えてみると、ダブルダッチのチームとは一つの「会社組織」のようなイメージでした。一つの作品を創り上げるために、チーム管理、演技構成、曲編集、技術など、それぞれが必要な役割を担って、全て自分たちで、そのチームにしかできない唯一無二の「カタチ」を求めていく。それで競合チームに勝負する。

会社組織も一緒です。1つの事業をするために、組織をまとめる人間がいて、現場の人間の管理、現場の職人達が自分たちにしかできないものを探して、差別化し、競合他社に挑む。唯一無二のものが見つかれば市場を独占できる。

チームスポーツにはどれも言えることかもしれませんが、その中でもダブルダッチは、数あるスポーツの中でもかなりのクリエイティブなチームスポーツの一つだと思います。

話が脱線しましたが、悔しい思いをしたその日から1年間、誰よりも楽しみ、誰よりも努力した結果いただけたのが上記の成績かと思います。もちろん運もあります(笑)

ここでの成功体験が自身の人生を大きく動かしました。


第2章〜転機と決意と10年計画〜につづく。


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