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習いごと遍歴

これまでの30年ちょっとの人生で、
あれやこれやの習いごとを経験してきた。

片付けついでに出てきた旧スマホのカメラロールから出てきたのは、ある1本の動画だった。
それをきっかけに、今までのわたしのお稽古遍歴を振り返ってみようと思う。

ピアノ

◎3歳〜小学校6年くらい

 「やりたい!やりたい!」と親に直訴し、好奇心のままに始めた記念すべき初代習いごと。白黒の鍵盤から出る音に最初はドキドキワクワクしっぱなし、上々のスタートを切ったように思われた。が、しかし、次第に泣きながら練習する日々に自他ともにうんざり(おい)。たぶんこのころから、一過性の性分があらわになっていた。どうにかこうにかしてなんとか繋ぎ止め、進学を機にという理由づけができるまで続けた。

書道

◎小学校入学〜中学2年くらい

 これも「やりたい!やりたい!」と近所の書道教室の前を通りかかって見学し、即入会。すぐに筆は持たせてもらえず、硬筆(いわゆる鉛筆で字を書く)からだった。筆が持ちたい気持ちがあまりに強く、必死に通いつめるわたしを見かねた先生が母を呼び出し、「とてもよく頑張っているので、少し早いですが毛筆はじめましょうか」と言ってくれたらしく、ここからわたしの書道ライフが開花した。進級試験で不合格だったときには1時間以上号泣し、どんどん上だけを目指してひたすら練習した。小学生高学年で大人がやるコースに進み、長く続ける習いごとになるかと思った矢先、先生が他界してしまった。先生以外の教室で続ける気にはなれず、ここで幕閉じ。
(余談)
タイピングの時代に生きるものの、やっぱり書くことは好きで、どちらかというと自分で書くメモのほうが好きだ。

韓国語

◎中学3年〜高校2年くらい
 ヨン様が日本中のお姉さま方を虜にする韓流ブーム到来。わたしはk-popの世界に飛び込み、まだまだ売場面積も小さかったころのタワレコの「韓国」コーナーに通い詰めた。歌詞カードを読めるようになりたい、アイドルが何を喋っているのか聞き取りたい一心で、区民ホールの夜間学校に通い出した。初級コースを経て中級コースまで行くと、さすが隣のお国!なんとなく似ている部分もあり、リスニングはほどほどに、ハングルも読めて、無事歌詞カードも目で終えるようになった。

k-popダンス

◎社会人1年目〜4年目くらい

 完全に韓国ブームの延長で通い始めたダンス。語学をある程度勉強し終え、旅行会話くらいならなんとかなるようになったし他に何かするとしたら「ダンス」だった。当時シフト勤務だったわたしは、固定のレッスンに通うことがなかなか難しく、チケット制のスクールを見つけ、気分転換に行けるときに行くスタイルをとった。なんとなくシフト希望を言えそうになったくらいで、ようやく1曲通しで踊れる曲ができた。(冒頭書いた懐かしい動画はダンス動画)

おいおいセンター、、


これまたライフスタイルの変化で一区切り、今は家でたまにyoutubeであがっている動画を観ながら踊ることもある。家事をしているとき、仕事中も、基本何かしらリズムに乗りがち。

エレクトーン


◎去年の10月〜現在進行形

 きっかけは、USJに行ったこと。開放的なパークで聴く映画音楽を演奏できたらかっこいいかもしれないと思い、たどり着いたのが楽器。(ここで音楽に戻ってくるとは)
「エレクトーンは音色が自在、両手片足で1人オーケストラができるなんてすごい!」と教室を探して即入会。ピアノ経験がここで活かされ、今は自発的に練習しながら週1のレッスンに通っている。母がいちばん驚いて、不思議そうな顔をしている。※冒頭のピアノ参照
手も多少大きくなって、当時に比べて今の方が心地よく向き合えている気がする。目標は、習うきっかけとなったジュラパの曲。


振り返ってみると、
どれもこれも衝動的に、ただ直感でいい!と思ったことに飛び込んだだけである。それを否定することなく月謝を払ってくれた親に感謝すべきだろう。
唯一バレエだけ、「やめておいたほうがいいよ」と言われた。その理由は、”ご飯がいっぱい食べれない“ことだった。
人よりたくさん食べたかったあのころの少女は「じゃあいい!」と即答だったそうな。

好奇心旺盛なところは、まったく変わらない。そのときやりたいことをやる、できないならできるように自分から動く。
この先も変わらず、少しでも好きなことを全力で楽しんで、明日死んでしまってもやり切ったと思える我が人生でありたいと心から思う。

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