見出し画像

祖父と私

先日、祖父が亡くなりました。

父方の祖父です。私が高校生のときに離婚し、母に親権が残されたので近い場所に住んでいても会うことが少なくなりました。父が母を傷つけたのだと認識しているので、そんな父をかばう祖父と祖母にそれまでと同じように接することができなくなりました。私の大事な母を大事にしてくれない人を大事にすることが難しかったです。

私は初孫だったので、本当に愛されていました。仏壇の部屋にいっぱいにある、私が生まれたころから節目ごとの記念の写真。居間には祖父のゴルフクラブを得意げな顔で握る幼い私。祖父の家に行くたびに、旬の果物を食べさせてもらって、お小遣いをたまにもらって、理来のことを応援しているよと言ってもらって。可愛がってくれました。

でも、私もいつまでも子どもではありませんでした。母と父と、祖父・祖母の間での諍いをなんとなく感じ取ってもいました。うまくいっていないんだろうな、と思っていました。離婚した後はそれは確信になりました。小さい頃は見えなかったことが、だんだん見えてくるのは悲しくもあり、自分の成長のようにも感じ、複雑です。

祖父は私が大学2年生の後半になってから体調を崩し、入院していました。祖母は元気で毎日お見舞いに行って看病していました。認知症も進み、ご飯も食べないのであまり長くは持たないのではないかと、誰も口にしないけれどそう感じました。病室で、やせ細った祖父は自分が車を運転するから蕎麦屋に行こうとか、洗濯の音を雨と勘違いしたりとか、そしてたまに私の大学のことを聞いてきたりしました。夏休みの帰省で会ったのが最後でした。前よりも認知症が進み、体も弱っているように見えましたが、「理来が留学から帰ってくるまでは元気でいるからな」と言っていました。そこだけでしたが、意識も言葉もはっきりしていました。そうであってほしいと思いました。父と母の問題を差し引いて考えると、祖父は本当に優しい人なのです。


先日、祖父が亡くなりました。

私は初孫だったので、本当に愛されていました。家族がバラバラになっても、祖父は私を大事に思ってくれていました。整理できない複雑な感情のせいで、上手く接せられないときもありました。祖父が入院してからはそれを忘れて話すこともできました。
大事にしなきゃと思う一方で、嫌いになったり存在を重く感じたり、そういう真っすぐで純粋に愛の感情だけを抱くことが出来ないのは、私だけではなくて祖父も一緒だったのではないかと思います。そうでないと、つらいです。

祖父がいなくなっても、多分この難解な心は整えられることがないでしょう。亡くなったことで全てが清算されるなんて都合の良い話はありません。

避けてしまってごめんなさいと、今までありがとうと、でも完全に感情を整理できたわけではない、そんな掴めない雲のような気持ちで、私は涙が流れません。

でも私は、祖父の孫なのです。心が寄り添えていなくても、完全に理解できていなくても、記憶の中では私に優しかった祖父で、でも母とはうまくいかなかった祖父で、病院のベッドで「またね」と私に手を振る祖父なのです。

ちょろい女子大生の川添理来です。