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1)ウクライナ人とロシア人の価値観の違い

こんにちは。

手始めに戦時下のウクライナながらも、正教会の年明けとクリスマスに、お祝いの言葉を添えたいと思います。

ウクライナの都市ハルキフ/ハルコフの新年デコレーション(筆者による撮影日:2018. 01. 01)

… さて、今回はウクライナ人ないしユダヤ人の潜在的価値観が、いかにロシア・ソ連と不調和であったかをお話しします。異論は認めますが、それはあくまで現地経験者かつロシア語・ウクライナ語話者のみに限らせていただきます(なぜなら、世界各地におけるウクライナ・ナラティブや、にわか仕込みのウクライナ支持の主張に全く根拠も誠実さも存在しないからです)。

まず、基本的にこの世界では、自分のアイデンティティは他人、ないし国家によって決められてしまう傾向があります。ソ連やロシアが特別、そうと言う訳ではありません。悲しいかな、どこにでもある事なのですが、国家の都合で自分の価値観が歪められるばかりか、誤解を受けて冷遇・迫害される所業は往々にしてあります。それがまさにユダヤ問題です。

最初にキリスト教的観点でお話しすると、ユダヤ教の選択者は救世主イエスを拒否しているだけでなく、それを殺した側のポジションにいると、霊的に捉えられがちです。新約聖書の『新約』とは、新しい契約。つまり、旧約聖書における不都合は破棄されたのにも関わらず、まだそれを信じてるのはおかしいと。しかしながら、ユダヤ教信者にとっては新約も旧約もなく、原点の「旧約」聖書を唯一のトラー(手引き・律法)として生きている。ここに大きな差異があります。

さらに宗教的モラルに踏み込むと、原始キリスト教の土台の教義をもたらした使徒パウロは、性を不純なものと扱い、神に敬虔な信者を未婚で処女童貞のままにしておく最悪なシステムを作りました。なぜなら「新しい契約」の究極の目標は、神の神聖を継承した信者がその子孫を増やす事で、この世的悪に対抗する事。故に、最も誠実な信仰者を種無しにして生涯を終わらせるのはお門違いに他ならない。

その反面、ユダヤ人はセクシャリティの表現を罪悪視せず、「裸や性器は神がそう創ったのに、それを恥ずかしい汚いもの」と伏せる精神こそが、エデンの蛇に取り憑かれた反神的メンタリティだと捉える

つまり、何をもって『罪(宗教上の)』とするかの決定打が完全に違う。ゼレンスキーを始めとしたユダヤ人のしもネタ好きを不純と捉えるか、健全と見るか、そこで世界観が大きく分かれます。

ウクライナの衛星都市ドニプロのシナゴーグにて(筆者による撮影日:2016. 05. 22)

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