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受け入れるじゃなくて受け流す

このコロナ禍で散々頭を悩ませて、要らぬことにモヤモヤして、勝手に苦しんで、息苦しかった日々を越えて、今はいろんな物事に対する見方がだいぶ変わった。

人には人の事情がある。
「そういう環境にいれば、そういう考え方になるだろうな」
「どういう環境にいて、そうなってしまったんだろう?」
等、とにかく客観的に考えるクセがついた。

いつの間にか、他人や物事に対してあまり自分の感情を持ち込まなくなった。こんなことを繰り返しているうちに、滅多にイライラすることも無くなった。

怒っている人がいるならそれでいい。
どうして怒ってしまうんだろうね?と投げかける。
嬉しい!と喜んでいるなら、
良かったね^^と必要以上に感情移入しない。

冷たいと言われたらそれまでだけど、自分のイメージとしてはしなやかな柳なのだ。

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こんな感じに日々ストレスが格段と減った中で、ちょっと気になった出来事を書きとめておく。

数年前、不動産営業をやっていた時の同期に、部屋探しを依頼することになった。数年ぶりに連絡を取り、数年ぶりに再会する。

実際に会って話をすると、押しは強くなく、優しい人のままだった。
ゴリゴリの営業マンという感じではないが、それはそれで気が楽だ。

道が混んでいて待ち合わせの時間に間に合わないなんて、そんなことは気にならない。案内中、何度も道を間違えても、気にならない。

ただ、待ち合わせの時間に相手が遅れて到着した時、遅れたことに謝罪もなく、挨拶もせず、似た物件が2件並んでいるのを見て「あれ?どっちの建物?」と言いながら内覧を進めようとしているのがちょっと気になった。

私はすぐ、しっかりめに「おはようございます」と伝えた。

内覧を希望していた物件の鍵の手配が出来ておらず、結果的に室内を見られなかったことは全く気にならない。

ただ、最後に鍵の手配が出来なかったことに対して「〇〇店に鍵があるのを〇〇店の人も把握してなかった!ごめん・・・」と連絡が来て、それに対してフォローの返信をしたところ、なんの返信もないことがちょっと気になった。

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私が気にならなかったのは
・待ち合わせに遅れたこと
・案内中に道を何度も間違えること
・鍵の手配が出来ていないこと

そして、私が気になったのは
・遅れたことを謝罪せず、挨拶もしなかったこと
(メールではおはようございます、すみません遅れます)と事前に来ていた
・相手の不手際の謝罪に対して、フォローをしたが、そのあと返信をしない

これは良い悪いの問題ではなくて、この気持ちの差はなんだろう?
私の中にある線引きはなんだろう?と考える。

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「仕事の出来・不出来」にはあまりなんとも思わないけど
「人としてのマナー」は私の価値観として大切なものなのだろう、きっと。

待ち合わせ時間前にメールで「おはようございます、すみません遅れます」という一通で、これはすでに相手にとって、挨拶と謝罪は完結しているものなのかもしれない。

相手の不手際の謝罪に対してフォローをして、「そう言ってくれてありがとうございます」の一言が必要だと思うのは私の考え方だ。

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今回は、自分の中にある大切な価値観が改めてハッキリしたような。

そして、いろんな人・物事を受け入れているつもりでいたけど、私は多分受け流しているんだ。
だから、自分が大切にしたい価値観と異なる人はそのまましなやかに受け流そうとしているんだな。

全部受け入れるとか、全部優しく包み込むとか、そんな仏には私はなれない。

あまり何も考えずにつらつらと書いていたら頭の中がスッキリした。
部屋探しは別の人にお願いしよう。

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