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新聞|「セーヌのほとりで AIと歩む未来 私の『居場所は』」
「全く心配していない。むしろ逆で、すごい好機の到来だ」。
「社会の他の分野、例えばメディア、脚本家、歌手、ライターは究極の問いに直面せざるを得ない。自分の仕事は代替されるのか。それとも、まだ居場所はあるのか、と」
生成AIが議題に上がった際に、「スポーツにとって脅威はないか」と問われた時のIOCバッハ会長の言葉。
肉体で競うスポーツは、AIに代替されないどころか強力なエンパワーメントツールにしかなり得ないという主張には納得しかない。
パリでの祭典を観ていても、つくづくそう感じた。
話は変わるけれど、令和ロマンのケムリさんが芸人になると父親に告げた時、「AIにはできない仕事だからいいんじゃない?」と後押しされたというエピソードを思い出した。
このエピソードを聞いた時、漫才はもしかしたらAIでも笑える日が来るのではと少し思ったりもしたけれど(安野たかひろさんのM-1の事もあり)、いずれ世界はアスリートやアーティストなど肉体を使う職業が優位になるのだろうと思った。
人間にしかできないこと、人間がやった方がコストがかからないことにより価値が置かれる世界。
自分の孫やひ孫が大人になった時、人はどうやって日々の糧を得ているのか。きっと今とは違う、想像もできない職業がもてはやされる世界になっているのだろう。それとも、AIには膨大な電力が必要とされるというから、AIバブルがはじけて案外今と変わらなかったりするのだろうか。
論理的思考が苦手な私には、これ以上考えるのには知恵も教養も経験も足りなさそう。
その辺りの難しいことは頭の良い方たちにお任せして、ひとまず私は明日のテニスを楽しみに今夜も早く床につこうと思う。
体を動かすことでしか得られない楽しさや快感が、きっとあるから。
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