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夏の思い出【掌編小説】

 夏が来れば思い出す。忘れよう忘れようとすればするほど走馬灯のように現れ出てくるのだから不思議だと思う。
 あれは始発の新幹線で帰省した時のこと。
 東京駅から名古屋へ向かう車中で見覚えのある女性がポツンと真ん中に座っていた。えーっと、と自らの乗車席を見つけた僕は思わず叫んだ。
 「あった!?」
 目の前の相手にはたぶん違うように聞こえたのだと思う。
 「いや、会ってません」
 続けざまに「知りません」などと言うものだから、少しショックを受けた。
 僕はそんな素振りを微塵も見せずにもう一度声を掛けてみた。
 「未知子さんですか?」たった二人の博多行きのぞみ5号車内は一瞬異様な空気が流れた。
 「はい」白い帽子を目深に被ったままこちらを振り向いた。名前を呼ばれてさすがに観念したのか、静謐に返事をしてくれた。
 「貴志君、だよね」いかにも、最初から分かっていた風な嫌な感じだ。どれだけこっちは最初戦々恐々と声を掛けたか。肝の座り具合は付き合っていた頃と全く変わっていないが美貌はもっと変わっていない。いや、さらに綺麗になっている。性格の悪さを美貌が十分過ぎるほど補っていた。
 同い年の元恋人は大阪、僕は名古屋に実家がある。一度だけお互いの実家を行ったことがあった。理由あって一緒にはならなかったが、一方的に突然別れを告げられた僕は一抹の未練が3年間ずっと残っていた。
 東京駅から出発して既に10分以上は経過していた。名古屋駅到着まで残された時間は長くはない。まだ少し眠気が残る僕は頭が少しぼおっとしていた。あまり頭の中で整理がつかないまま、窓際に座る未知子に何を話そうか考えあぐねている。いや、どういう空気をしばらく保てば良いかと思慮していた。
 スマートフォンを片手に誰かにLINEを送っているようだった。今は彼氏がいるのだろうか?僕はありったけの勇気を振り絞る。「元気? 今何しているの?」
 彼女は指先を止めてこちらを振り向いた。鋭い視線だ。
 「実家で暮らすことにした」
 一瞬笑顔になったが、口調は素っ気なく少しやる気のない感じにも聴こえた。
 「えっ?」驚いた表情を見せた僕を見て未知子はまた笑った。まるで諦めに似たような柔らかい表情だ。
 「大阪の大学に通いなおして、演劇の勉強をすることにした。来月30歳になるけどね」夢を語る彼女の表情は見たことの無いぐらい明朗で希望に満ちていた。
 「良かったね。好きなことが見つかったんだね」僕も力を込めて笑窪(えくぼ)を見せた。
 「貴志は彼女出来たの?」未知子は饒舌になると嫌なことを訊いてくることがあった。
 「イヤ、未知子・・・さんと別れた3年前から彼女はいない」僕はややぶっきらぼうに答えた。
 「私のことなんかとっくに忘れているかと思っていた」未知子は笑いながら、文字通りの他人事といった風だった。
 「一度は結婚しようと決めた女性のことなんか忘れられるわけないじゃないか」僕は思わず感情的になってしまっていた。
 「そっか・・・ごめんね」
 僕の豹変ぶりに彼女は最初は少し驚いていた。返す言葉が見つかっていない様子だった。
 「未知子さんと結婚したかったから」
 未知子のキラキラした二重瞼に向かって僕は言葉を発していた。
 未知子が座っている窓の外から美しいばかりの陽が煌々と覗いた。
 (この一日のはじまりの陽を一緒に見ていたかもしれない)もう二度とは戻らぬ時間とは、一度愛した人を想い出す奇跡のようなものなのかもしれなかった。
 瞼を真っ赤にした僕はあっけらかんとした彼女を信じられないと言わんばかりの表情で見ていた。舞台女優という未来だけを見つめている未知子に、過去の恋が忘れられない僕はどう映っただろうか。ただ一人、妄想の世界で悲劇を演じていた。
 「貴志、貴志」
 「えっ」
 「もう名古屋到着するから。貴志降りるでしょ」
 「どうしたの? 何かぼーっとしてたよ」
 僕は一言だけウンと言うと、思わずお礼を言っていた。
 「こちらこそ、ありがとう」
 未知子は優しくこう言うと、目浅に被っていた帽子を再び目深に被り直した。何かのサインのように。手が帽子のツバに触れていた。まるでこれが、今生の別れと言わんばかりに。
 名古屋駅到着を告げる車内アナウンスが何かを告げるように寂しく流れる。いよいよだ。なぜか不思議と覚悟のような物が襲ってくると、意外にも悲しみが和らいだ。二度目の最後ぐらいは明るく別れよう。大好きだった人の前なんだから。こうやって再会出来たことに感謝をして。未知子だって、明るくサヨナラして欲しいに違いない。
 席を立ってリュックを背負った。
 僕も未来に向かって歩いて行かなくてはならない。彼女は後ろから優しく肩を触ってきた。
 「早く。扉閉まっちゃうよ」
 新幹線が名古屋駅に到着して静かにホーム内でゆっくりと止まった。
 降車して素早く窓のほうに向かった。必死で外から好きだった人を探した。涙が溢れてきて少し恥ずかしくなり止めようとも思ったが、勢いよく走った。
 「みっちゃん、夢叶えてね。頑張ってね」
 最初は迷惑そうな仕草をしたが、苦笑いを浮かべていたのは救いだった。僕は窓一枚を隔ててありったけの美辞麗句を並べていた。
 家族連れが賑やかに数組車内に入って彼女の隣席と周りを取り囲むように座りはじめた。
 僕は新幹線車内に見える無邪気な子供達を虚ろな目で追っていた。

【了】 

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