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恋する? アダム. 読書ノート#4

やっと木陰で本を読めるくらいの気候になってきた。

学生の頃イギリスに短期滞在した時、公園とあらば、それぞれ思い思いの格好で本を読む人たちの姿を目にし、驚くとともに、ずっと憧れている。
日本ではロンドンみたいに大きな公園もないし、「できない」と勝手に思い込んでいた。だって、日本の夏はそれどころの暑さじゃないし、そんなにゆったりする余裕がないから。公園で本を読んでる人なんて、あんまり見かけないし、ちょっと恥ずかしいかも。
と、勝手に決めつけていた。

しかし、ここ何年か、気候が良い時に外で読んだり書いたりしてみると、
思いのほか、心地よいことに気づいた。コロナ禍で過ごし方や考え方が変わり、より自然に目が向くようになった。
それ以降、スキあらば、外へ!という感じになっている。今回は、京都御苑の大きな木の下で心地よく読書。疲れたら、木々が癒してくれる。たまに、どんぐりが降ってくる。
京都は鴨川にせよ、御所にせよ、結構みな自由に過ごしていて、好きなのです。

さて、そろそろ本題に。

イアン・マキューアンの『恋するアダム』は
読書会(#終わらない読書会)のために、再読。

「恋」って?

一回めに読んだときにまず思ったのが、
「恋する」という日本語のタイトルに関する違和感。
原題はMachines Like Meなので、原題を採用したわけではない。

確かにアンドロイドが主人公の彼女に恋をしたと告白するのだが、
本当にそれがこの作品の主題なのかは疑問。
むしろ、人間に対する「愛」なのに。恋って一時的なニュアンスがあるように思うけれど、もっと深いところをついていると思うのだ、この作品は。
愛と恋。似ているけれど、全然違うんじゃないだろうか。

それから、原題のlikeは前置詞にもとれるので、「私のような機械」と「機械は私が好き」という2つの意味をかけていると思われる。さすが、マキューアン。

ちなみに、読書会でもタイトルに関して同じように違和感を持った方がいらっしゃったので、そう感じる人は少なくはないかも知れない。
商業的には目を惹くタイトルではあるけれど。

主人公のだらしなさ

次に感じたポイントは、マキューアンの主人公って、なぜこう、共感できない人たちが多いのかな、ということ。

『贖罪』の主人公も『アムステルダム』の主人公も、『チルドレン・アクト』の主人公も、みな、共感し難い。ちょっとだらしなかったり、性的な欲望が強すぎたり、「それはないでしょう」という選択をしたりする。

本作の主人公のチャーリーは、フラフラと大した目的もなくその日暮らしをしていて、上の階に住む学生のミランダになんとなく好意を持って暮らしていた。そして母親の遺した家を売ったお金でアンドロイドのアダムを買ったところから、物語が始まっている。全然しっかりしていないし、そのことを自分で卑下したような、それでいてプライドもある語り口で、私にとっては、なんとも、共感しにくい始まりなのだ。

しかし、おそらくマキューアンは、わざとこのような主人公をたてているのだろう。読者に道徳的選択を迫り、わざとムカムカするような判断を見せてくれているのかも。そのぶん、読者に与えられた負担は大きい。

パラレルワールドの1980年代という設定

次に面白い点は、2019年に書かれたものだけれど、物語は、アラン・チューリング(エニグマの暗号を解いた人物)が生きていて、フォークランド紛争でイギリスが打撃を受けた世界という、ちょっとだけこの世界とは別のパラレルに設定されていることだ。

一見未来のSFの話かと、思いきや、そうではないこと。その設定が面白い。アダムのようなアンドロイドはまだ現実にはいない。今後出てくるのだろうか。物語に未来(2020年代)は描かれないが、最後にアダムたちはリコールされるので、人間と平等に存在することは難しいのかも知れない。もっとも、お手伝いロボットならば、大歓迎だと私は思うのだけれど。

アダムが予言する小説の行方

アダムたちアンドロイドがすでに存在する世界では、人間世界が今後どうなるか、に焦点が当たる。
人間がつくるもの、と言った方が良いだろうか。

その一つに、文学があるのだが、アダムは、

わたしが読んだ世界中の文学のほとんどすべてが、さまざまなかたちの人間の欠陥を描写しています 

『恋するアダム』p193

と言う。アンドロイドやAIが浸透した世界では、お互いのことは瞬時に情報交換され、「精神の共同体」に住むようになるので、「相手の心を熟知」するようになり、「相手を欺くことができなくなる」。つまり、文学の題材がなくなるというのだ。

その代わり、「俳句」の素晴らしさをといている。

簡潔かつ精巧な俳句、物事の静かで明晰な認識であり祝福である俳句こそが、必要なただひとつの形式になるでしょう。

『恋するアダム』p193

アダムの観点とは異なるけれど、
今後AIが進み、いろんなことをそれらが処理してくれ、
そして人間がみな豊かに暮らせる世界では、
確かに、悩みが減り、詩や俳句、あるいはファンタジーしかいらないかも知れない。

まだまだポイントはたくさんあるけれど、
アンドロイドを通して、
人間とは何か、
私たちは何を求めているのか。
を考える良いきっかけとなる本だろう。

『宇宙思考』の著者Boss Bさんも、AIをうまく活用して、人間は人間らしくいようよ!と言っていた。本当にそう思う。
詩や俳句を作る、そのプロセスに、もしかしたら、その一片があるかも知れないな。もっと、もっと、余白を大事にして、自分の心の動きに敏感になろう。

とはいえ、アダムの描く未来ではなく、

決して完璧ではないし、
わからないことだらけ。
結果だけが全てではないし、
答えはすぐにでない。

それでも、いつも希望や愛がそこにあること。

そんな世界が私は好きだなあ、と思う。


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