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言語とは。 読書ノート#1『地球にちりばめられて』多和田葉子

国はもういい。個人が大事。

解説 池沢夏樹

初めましての多和田葉子。

多和田葉子さんを知ったのは、『生まれつき翻訳』という本に言及されていたからなのだけれど、この本を選んだのは、タイトルに惹かれて。

まさにこの小説は、『生まれつき翻訳』。
主人公は日本人で日本語話者だが、舞台はスカンジナビアとドイツ。

つまり、登場人物たちは日本語以外で会話しているはずで、読者は彼らの語りを日本語に翻訳されたものを読んでいることになる。


主人公のHirukoは海外に留学中、母国(日本)が消滅してしまい、スカンジナビアの国々を転々とするうちに、これらの国で共通して通じる「パンスカ(汎スカンジナビア)」というオリジナルの人工語を開発し、自由に操る。

人が移動することで、言語も移動する。
その結果、Hirukoが話す言葉は「すべてが混ざり合ったような風のような言葉」となっている。
デンマーク人の言語研究者、クヌートに言わせれば、「液体文法」あるいは「気体文法」をもつ。「固体文法」の時代はもう終わり?
この「パンスカ」によってHirukoは、どこにも属さない、流動的な個人を体現している。

英語は上手なわけでもないのに、話し慣れているような話し方になってしまう。それに対して、パンスカはわたしの作品、わたしの真剣勝負、わたしそのものであるから、カンバスにぶつかる筆先の一回一回に他人には譲れないものがある。

『地球にちりばめられて』p184

すごい。

言語そのものが自分であり、表現であり、すごく自由だ。

今ある文脈から、意味から、単語を自由に遊ばせて、独自のものにしてしまうナンセンスや、あるいは造語を作ってしまう宮沢賢治のような方法で言語そのものを作品にするやり方もあるけれど、Hirukoのパンスカはこれらとは異質で力強く、現代風。

他にも、移動し、国境を越える登場人物たちは、言語に癒着したあらゆる固定観念を、越える。それが痛快。みな、何かしら窮屈さを抱え、言語をきっかけに、風穴を開けるみたいに、第二、第三のアイデンティティを作っていく。

物語には一応、懐かしい日本語で語り合いたいHirukoが、母国の出身者を探し求めるという筋がある。しかし、Susanooという日本人に会って、Hiruko
はもはや、それはどうでも良いこと、になっている。〇〇人とか、〇〇語ネイティブとか、そんなに重要じゃない。


Susanoo。これも不思議なキャラクター。
フランスで鮨を握る彼は、声が出なくなっていた。そして、声が出ない無音の発言を理解できたのは、インド出身でドイツに住む、性を移行中の、サリーを着こなす青年というまた面白い設定。

最後は無音の言語。

一体、言語とは・・・・

音楽、映像、絵画、身体表現、テレパシー、AI、絵文字。コミュニケーションの手段は数多ある中で、この小説は言語そのものを扱った言葉の芸術。
言語にしかできないことに、もっと目を向けてもいいね。自分だけの言葉にもっと目を向けたいな、と感じた小説だった。


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