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note毎日投稿について考えてみた。

noteを毎日書くと決めて10日が経過した。
書くということに対して、いくつかの疑問が湧いてきた。


それぞれについて、皆さんの方法を参考にし、いろいろ考えて自分で自分に回答してみた。

1.毎日書くことに意味はあるのか。

自分で課した設定を疑問に思うこと自体、迷いの始まりである。
書くことで得たいことって何かが明確になっていないのか。
意味があるのかないのか、それは自分次第なんだと思う。
別に毎日書かなくても、誰も困らないだろう。

自分への回答
書くことが目的になっていないか考えてみよう。
読む人に状況や情景が伝わるには、どう表現すべきか考えるようになった。
noteという空間での表現の場があることを体感している。
書くことで得ることについて、具体化していくことが必要だ。

2.自分しか伝えることができないことを書いているのか。

フェンシングは競技人口が少ない。障害者スポーツも健常者に比べると絶対数は少ない。フェンシング・障害者、さらにおばさんがフェンシングをする。少数ではあるだろう。(統計的なものは調べていない)

だけど、他にもっと伝えたいことがあるんじゃないか。
いやいや、そもそも、自分にこだわることが必要なのかと、考えだしたらぐるぐるしてきてしまった。
ぐるぐるして、自分って何者なのか、自分ってどんなアイテム・武器を持っているのかってさらに疑問が湧きあがる。
武器と言っても、目に見えるような資格のようなものだけではなく、もので表現できないような経験や体験は?

自分への回答
もっともっと、自分について分析する必要があると気づいた。自分の長所・短所・好き・嫌いなどなど。
noteをはじめる前にもっとも時間をかけるところだったのではないかと気が付いた。
書くことについて、学んでいこう。

3.書く時間をもっとかけた方がいいのか

記事を書き慣れていないこと、テーマに悩む・迷うことにより書くことに時間がかかる。
そうなると、推敲する時間が少なくなり、もともと低い精度が下がってしまうことが予測される。

自分への回答
記事のストックをもつことで時間・気持ちに余裕をもつ。 
毎日投稿と時間をかけたい内容の投稿に分けて記事を書いてみる。

4.毎日は辛い

これも、書き慣れていないことによる。
目的があいまいになっているので、書き進めるのが辛くなる。

自分への回答
毎日、書かなくても誰も文句は言わない。
自分で決めただけである。辛い時には、休んでもいい。
ただ、もう少し続けてみたいので、つぶやき機能を使うなどいくつかの選択肢について調べてみよう。

まとめ

書くことが目的になっていたことに気が付いた。
noteをはじめる時に、もっと自分について掘り下げ・分析し、書くことについての骨組みをしっかり作っていたら迷わなかったのかもしれない。
書くことについての知識不足であった。
毎日書くことで、当初の目的であった、フェンシングや障害者スポーツ以外にも、伝えたいことがあると気が付いた。
なんのために書くのか、書くことで得ることは何かを明確にするために、
自分自身を見つめなおすこと、書くことについて学びたいと、強く思っている。







 


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