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偏見の壁を壊す 【創作大賞感想】

私の中の偏見と肯定。
私の気持ちには、相反する二つの思考が交差している。

「宗教」という言葉に対して。

病に倒れたときに、心の支えとなり、恐れよりも、落ち着いて悟りさえ感じる人がいる。
毎日の生活で、小さな喜びを感じ、それを自分の糧にしている。

信仰が、その人の考えや行動を形成する一部になっている。

人生の大きな危機に向き合ったときに、その人なりの軸があると感じることが何度もあった。

信仰する宗教があると言う背景、その教えが命、生き方に対する思考を形づくるひとつであると。

反面、「宗教」と言う言葉で、悪いイメージを思い浮かべることがある。
「洗脳」「宗教2世」と、世間を騒がせた時に、マスコミがつけた代名詞のせいか。
それは、マスコミだけのせいだけではない。
ものごとを見る時に多面で捉えずに、一面しか見ていない自分。

宗教を自分のものさしで分類し、それ以外を否定するような思考が私のまわりにあり、私にもあった。



真理花さんとnoteで出会い、真理花さんの記事で気づきを得る。
交流し、宗教で得られる知識、気づき、生き方に、考えが変わっていくのを自分で実感する。

そして、創作大賞への作品を読んだ。



私は、子供の頃を思い出した。

小学生の頃、帰宅してからも一緒に遊んでいた友達は、大きな行事には参加できなかった。

七夕集会、運動会。
みんなが楽しみにしているものには、参加できない。

それが、宗教的な理由だと知った。

一緒に参加できないのは、本当に残念だった。
彼女は、集会の時は、ひとりで教室に残っていた。

親のせいだと思っていた私は、
「おかあさんは学校にいないから、バレないから出ちゃえば」と、誘ったこともあった。

友達は、なにも言わずにひとりで教室にいた。

集会が終わり、教室に戻る。

その後は、いつも通り一緒に遊んだ。
なにも変わらなかった。

そう、なにも変わらないんだ。

自分を作るものは、ひとつではない。
親や子、友人、師と仰ぐ人や言葉、経験…そして、信仰。

生きていく中でたくさんの気づきがある。
そのひとつ。

作品を読んで「宗教2世」は、大変だ。
かわいそうな人たちだと、勝手に思っていた。
そんな偏った考えがあった。

やっぱり、一面からしか見ていないと。

この作品は、私の思考へのメッセージ。
目を向ける先を、目を開いて見るべきことを教えてくれた。

小学生のあの頃の自分のように、真理花さんのnoteを楽しみたいだけだ。







#創作大賞感想

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