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毒親が住んでいた土地は、穢れていた気がする

 私が3歳頃から高校3年生まで住んでいた戸建ての家は、今はもうない。
父が売ったらしい。
 帰る家がなくなったことになるのだが、落ち着く場所ではなかったから全然問題ない。

 だが今ふと思い返してみたら、元実家もご近所さんも色々と普通ではなかった気がする。
 もしかしたら、土地が穢れていたのでは…。
土のせいなのか分からないが、住む人達に様々な災いが降り注いでいた。

 そして、私はあの土地から遠ざかったことで、安定した人生を送り始めたのは事実だ。


 元実家は、私が3歳頃に父が購入した。
 戸建て購入前までは、父が働く職場の社宅に住んでいた。
社宅といっても、団地のような見た目だった。
箱詰めにされているように部屋数は多く、壁は薄く、一部屋あたりの部屋数は少なかった。
なにより古く汚かった。
社宅の前には公園があり、よくそこで遊んでいた。
 我が家は3人兄弟だったため、家族5人で社宅住みはかなり狭かったと思う。
遊び盛りの子が3人。静かに家で過ごすことなんてできるはずがない。
 ここで、ご近所問題。
ご近所と言っても、父の職場の人の妻達だ。
やはり立場の高い人の妻は、大きい顔ができるらしい。
父母が20歳ぐらいで第一子が生まれているから、当時の父は若手会社員だった。
 この時、実母はまだ生きていた。
若手社員の妻と子どもが3人。
母は色々とご近所さんに言われやすい立場だったらしい。
と聞くと、まるで母が被害者のように聞こえてしまうな。少しそれも違う。
 父が21時頃に帰宅すると、裸の兄が公園の滑り台から「パパー」と手を振ってきたことがあったらしい。(父はなぜ自分達の育児の汚点を、子の私に普通に言えたのだろうか)
私も2児の母になったのだが、もし21時に5歳の子が裸で公園に1人でいたら即通報すると思う。
父母は育児がまともにできていなかったのだから、周りに煙たがれたとしても致し方ないと思う。

 母は神経質な人で、ストレスでどうにかなってしまいそうだったそうだ。
 そのことを父が祖母に相談したらしい(老害代表の祖母が言っていたことだから、発言に信憑性はないが)。
 若手社員の父は、戸建ての家を買うお金はなかった。
ここで祖母の登場。
どの程度かは知らないが、祖父母が金銭的援助をしたらしい。
 私はその後、祖母と同居する期間があったのだが、ことあるごとにその事をひけらかしてきた。
 父が元実家を売る最後まで、「私がお金を出したのに」と言い続けていたらしい。

「言わぬが花」って言葉、知らないのかな。


 晴れて社宅から新居の家に引っ越しをした。
当時の私達は、嬉しくて走り回っていたそうだ。

 だがいつからか、私はこの家が少し薄気味悪いと感じ始めていた。

 無性に階段が怖かった。
いや、子どもだからでしょ。
私もきっと大人になれば、そんなことなくなると思っていた。
しかし結局、高校3年生になってもこの感覚は消えなかった。
 階段が無性にひんやりとしていて、寒かった。
後ろから何かに追われている気がして、常に早足で上り下りをしていた。
 高校生の時は、ほぼ一人暮らしだったこともあり、暗くなる前に夕食を済ませた。
1階に降りる必要がないように、飲み物を持ち2階の自室に籠った。
朝日が昇ってから1階のリビングへ行った。
 私は、自分は階段が苦手なのだと思っていた。
だが現在2階建ての賃貸に住んでいるのだが、そんなことは全くない。
階段が全然怖くない。
 ただ年を重ねたことで、怖くなくなっただけかもしれない。
感覚的なものだったり妄想だと思うのだが、あの家の階段は何か嫌な感じがずっとしていた。


ご近所さん達


ご近所さん、その1

 シングルマザーと子ども2人。
母親は、あいさつをしても無視。
数ヶ月毎に、違う男(夫?)を連れていた。
 一番印象深い男は、地面ベタつきの大きなエンジン音をさせるセダンっぽい車に乗っていた男。
身長は低く、小太りで、鎖のようなネックレスをしていた。毛が濃かった。
 ある日私が小学校から帰ったら、祖父とその男が家の外で口論していた。
口論している横を静かに素通りし、家の中にいる祖母に教えた。
祖母参戦。
 私は2階の部屋の窓から、大人3人をこっそり見ていた。
祖母は落ち着かせに行くのかと思っていたら、3人で炎上してた。
何言ってるか分からないぐらい言い合ってて、私は「うわー…」とドン引きして見ていた。
自分も責任があるため警察を呼ぶべきか悩んでいたら、父が会社から帰宅。
父を見るなり、その男は帰っていった。
暴力事件に発展せず、本当に良かった。
 レベルの低い喧嘩ってこういうことなんだ〜と、子どもの私に学びを与えていたのかな。

 その数日後だったか、救急車がそのご近所さんの家の前に止まった。
この日も2階の窓から弟と一緒に覗いていた。
 救急隊員に大声で罵声を浴びせているその男が、担架で運ばれていた。
ぎっくり腰だったらしい。
 祖母は天罰だなんだとか言って、気持ちよさそうにしていた。
いや、ある意味、よくあるリアルで普通にしょうもない家って感じなだけだった気もする。
我が家とお隣さんの両方が。


ご近所さん、その2

 夫婦と娘の3人ぐらし。
父親は気の良さそうな人だった。
会う度にニコッと笑顔を向けてくれるのだが、いつも凄く顔色が悪かった。
笑顔の時ですら、体調不良がにじみ出ていた。
目の下のクマが尋常ではなく、痩けていた。
今私は看護師の仕事をしているのだが、思い返しても病人の顔色だったと思う。
 父親は休日になると、玄関先でバイクを1日中いじっている。
娘さんは私より5歳程年下だったが、時々一緒に遊んだ。
平日は母親と家から出ず、父親が休みの休日は逆にずっと外にいた。
母親にそうするように言われていたらしい。
なので娘さんとは土日限定でたまに遊ぶ程度だった。
 数回、娘さんと遊んでいる時に母親が家の外に出てきた時があった。
だが私と目が合うと、母親はすぐに家の中に入ってしまう。
私を嫌っているのかと思ったが、特に遊びを制限されることもなかった。
 ある日、家を増築していた。
どうやら父方の祖父母と同居することになったらいい。
 その後、1ヶ月も経っただろうか。
母親が家を出て行ってしまい、離婚したと聞いた。
 娘さんと一緒に遊んでいる時に、「お父さんかお母さんどっちがいいかって聞かれた」と相談を受けた。
ドラマの台詞が実在することに驚いた。私はなんと返事したかは覚えていない。


ご近所さん、その3

 仲睦まじい、温かい家庭だった。
大工の父、パートをしている母、息子と娘。
 この母親だけは、我が家で虐待が起きていることを少し勘ぐっていた。
私に「大丈夫…?」と聞いてきた時があった。
でもその時の私は何に対しての質問か分からず、適当に「大丈夫です」と答えた。
困ったような悩んでいるような表情で私に声をかけてくれていた。
今思うと、他の家のことにどこまで介入していいか悩んでいたのだと思う。
 この家の人達は、焼き肉やスイカを食べさせてくれたり、夏にプール遊びをさせてくれたりと、可愛がってくれた。
 仲良くしてくれていたのが、父の再婚相手が来た途端に交流が途絶えた。だから心配してくれていたようだった。

 まともで、温かい家庭だった。
そこで暮らす2人の子も愛情をうけ育ち、安定して成長していっているようだった。
 なぜ我が家のようにおかしな大人達の家ではなく、温かな家庭でこんなことが起きてしまったのだと、今でも思ってしまう。
 ここの家の子が私の同級生だったのだが、交通事故に合った。
後遺症が残り、学校の授業どころか社会で自立して生きていくことすら困難となった。
その子の将来の夢は大工だった。


ご近所さん、その4

 元実家の周囲の家の建て方が、かなり最悪だった。
我が家のリビングの大きな窓から、お隣さんが家の出入りをするところが丸見えなのだ。つまり玄関の目の前が我が家のリビング。
 ここで祖母登場。
毎日毎日、お隣さんが何時に家を出たとか、また外食してるとか、隣の奥さん凄く薄着よねとか、いちいち観察して口に出している。
もう辟易していた。
本当に老害は暇人だ。
暇人だから老害になってしまうのか。
そのご近所さんの奥さんは雪国出身だったため、こちらの冬が全く寒くないらしい。

 祖母の嫌い場面を思い出した。
わざわざお隣さんに声をかけるのだ。
「寒そうですね。薄着で大丈夫?」と。
お隣さんは「全然大丈夫ですよー」と笑顔で返していた。
心配している時に使う言葉「大丈夫ですか?」
この言葉を使って心配しているフリをしているが、"若い女性がそんな薄着をして恥ずかしいと思わないのか"と内心思っていて、できれば伝わればいいと思っている。そんな悪意だらけの祖母が大大大大大嫌いだった。
 お隣さんが笑顔で「大丈夫ですよー」と言ってくれて、隣で聞いていた私は心底ホッとした。
嫌な気分になっていないかと、心配していた。
多分祖母の嫌味には気づいていたが、大人な対応をしてくれていたのだと思う。
 私が家に遊びに行っても嫌な顔もせず、優しく接してくれていた。
このご近所さんは、我が家のせいで迷惑を被っていた家庭だ。


そして我が家。

 新居に引っ越ししてきたのに、2年程暮らしただけで母親が亡くなった。
母親が亡くなった後、祖父母と同居しはじめたようだ。
 この祖母は九州を行き来する度に、何か手土産をご近所に配りに来る。
そして手土産を渡すがてら、毎度長話をしてきて、なかなか帰ってくれない。まるで情報収集をしているかのようだ。
 父親が再婚したみたい。
新しい母親との同居によって、祖父母がいなくなってくれたみたいだ。
でも新しい母親は何か変だし、急にご近所の交流が全くなくなり、よく分からない。
子ども達も何か変だと思っていたら、虐待で児童養護施設に入ったと。
 子ども達が施設から帰ってきたと思ったら、あの鬱陶しい祖母が再び同居し始めた。
よく喋るし、何か癇に障るもの言いだしで鬱陶しい。
 子どもたちが社会人になったと思ったら、誰も帰っている様子がない。
あの家、きっと崩壊したのね…。あの親にあの祖母だから、まあ、致し方ないかもね、、、。
ああ、やっぱり売りにだしてるってことは、そういうことよね。

 妄想だが、まあ概ね合ってるだろう。きっとご近所さんから見た我が家はこんな感じだろう。



 この土地を離れてからというもの、私自身やその周りに不幸な出来事は起きていない。
先日兄が自殺したことは不幸ではあるが、それは今自分が住んでいる土地とは関係ない場所での出来事だ。

 元実家の階段が嫌な感じがしていたのは、実母が亡くなったことで、そう思ってしまっているだけなのかもしれない。
だが母親はオーバードーズ歴もあるようで、亡くなる直前はなかなかの精神状態だったみたいだ。
色々怨念がこもっていても不思議ではない。
いや、本当、ただの感覚的な、気のせいだと思う。


 こんな元実家にご近所さんだったからなのか、私はなかなか戸建てを買う気になれない。
 元実家を出てから、同じ場所に3年以上居続けたことがない。
18歳に初めての引っ越しをしてから30歳になるまで、6回引っ越しをしている。
学校や転職が主な理由なのだが、現在も定期的に賃貸を探している。
 知り合いには「戸建てを買ったら腹がくくるから、買ったほうがいい」と言われたことがある。
それを聞いて、それだ!と確信した。
 私は腹をくくりたくないのだ。
いつでもその場所を離れれるような状態でありたい。
元実家のような、階段が嫌な感じがするとか、ご近所さんとトラブルを起こしたとか、何かあった時あっさり捨てたい。
気の所為かと思ったとしても、この"嫌な感じがする"に従いたい。
逆に気に入った場所に出会えた時、住み家を安安と変える選択をしたい。
私は看護師だから、えり好みをしなければ、働き場所は一応あると思う。
 夫がもし今死んだら、五島列島に子どもと移住しようかな。なんて考えている時もあった。

 そしてなにより、今の住み家から父の家までが近いのが嫌だ。


 祖母は私が結婚した時、「もうあなたは、〇〇(旧名)家の人間じゃないから。他人になったんだからね」と私に言った。
それを聞いた時、飛ぶ跳ねるように嬉しかった。
 だが私が父の近くに住んでいることで祖母は、「父親の世話をする予定なんでしょ?女の子はあんただけなんだから、あんたがお父さんを支るんだよ」と平気で言ってくる。
くそくらえだ。
くそをくえだ。
「お前はもう他人だ」と言っておきながら、都合のいい時だけ利用しようとしてくる。
私は父への感謝は1ミリ程しかない。
私は親不孝で、分からずやで、ガキなのだ。
面倒なんて…。介護なんて…。
鳥肌モノだ。

 私が父の近くに住んでいるのは、本当にたまたまだ。
夫の会社と父の会社がたまたま近いのだ。
 以前は夫が車で1時間かけて会社に通ってくれていたが、頻尿になるという身体的症状が現れた。
ストレスが原因と考え転居を提案したが、夫は年齢が原因だと言い張り、転居の必要はないと言われた。
だが夫は夜勤をやっているので交通事故のリスクも心配だと言い、半ば強引に今の家に引っ越しをした。
夫の頻尿は寛解した。
こういうこともあり、賃貸だと身軽だ。

 だが夫の会社まで近くなったことで、必然的に父の自宅に近い場所に住むことになってしまった。
父は娘が近くに引っ越してきたことで、何やら勘違いをしている様子だ。
娘が自分を気にかけ、近くに引っ越してきたとでも思っている。
恐怖だ。
 私は度々、夫に「転職も転勤もいつでもウェルカム。積極的にウェルカム」と言っている。
できれば子が小学校に上がる前には、どうにかならないかなー…と思っている。

 父・祖母からも遠く離れた場所に行ったら、「血縁、自然消滅しちゃってさー」って、カップルみたいに言えるんじゃないかなー。
甘いかなー。そんな単純じゃあないのかなー。


 つまり私は、父親から離れられる機会を待っている最中だから、戸建て購入はしない派です。
(でも内心は、平屋、庭付き、縁側付き、ロフト付き、ウォークインクローゼット付き、家周囲は自然、窓が多く日当たり抜群、暖炉または囲炉裏、静か、海か山か湖が見える、本だらけの部屋、植物がそこかしこにある…。田舎の魔女が住んでいそうな家orサマーウォーズの旧家みたいな家に住みたい。という妄想はあります。夢いっぱい)


なんの話だったっけ。
ああ、「毒親が住んでいた土地は穢れていた気がする」だね。
土地じゃないね。
人間が穢れてたんだね。
人間が穢れてたから土地が穢れてしまったんだね。
ご近所さん、長年に渡り、祖母が大変ご迷惑をおかけしました。
祖母がその土地の土を踏む事は、もうありません。
これを機に土地の穢れがとれ、皆さまが今幸せに過ごしていることを願います。





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