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酒徒草子

お酒とともに思い浮かぶのは、誰と、どこで、何を片手にどんな時間を過ごしたかである。

飲酒習慣は私の生活の中にしっかり根付いているが、思い出すのは、とっておきの非日常時間。
大人になってからのかけがえのないひと時のそばには、寄り添ってくれるお酒があった。


ビールであれば、兄に誘われてジャズ・クラブに行った時のこと。
あるジャズバンドのリズム隊だけでのライブを目当てに、会場の最寄駅で落ち合った。
「よう、おつかれ」と手を挙げ、最近のお互いの仕事や家庭の話をしながら並んで向かい、開演前に「とりあえずビールかな」。

ずっと兄妹仲がよかったわけではなかった。
4年遅れで生まれた私を舐め回すほど溺愛していた兄。ところが、幼少期には容赦ないけんかで私の腹に蹴りを入れるようになる。
お互い思春期を迎える頃には、度々下校時間が重なると、妙な距離を置きつつも家までの道すがらぽつりぽつりと再び話すようになる。そして大学進学や就職の頃には、本の貸し借りをしたり、音楽について話すようになる。
積み重ねてきた時間が気泡となって浮かび上がるグラス。全部言わなくても、なんかわかる。
「乾杯」が最高のねぎらいだ。

お互いに姉妹の親となった今は、なかなか肩を並べて飲める機会は減ってしまった。
今は離れたそれぞれの居場所で、お互いのタイミングで連絡を取っては、乾杯しながら言葉を交わしている。



焼酎であれば、帰省中の友人と語り尽くした居酒屋でのこと。
私たちは当時別々の大学の学生だった。彼女の実家に泊まる手筈は整っており、久々の対面での会話にお酒が進んだ。
彼女とは高校からの付き合いではあるが、クラスが同じになったことは一度もない。部活や生徒会で顔を合わすことはあったが、あくまで知り合ったきっかけに過ぎなかった。仲を深めたツールは、ルーズリーフに細かい文字でびっしりと書き詰められた手紙だった。
明るさとリーダーシップに溢れ、常に笑顔で太陽のような彼女。そんな彼女にも、独りごちたい夜があった。
夜に書いた長い長い独白。日中隣にいないからこそ、遠慮なくさらけ出せた。うまく言葉にできない時には、それぞれを思い、おすすめの曲を紹介しあった。私たちは、お互いに月同士だったのだ。
グラスに浮かんだ大きな丸い氷。何度も苦しい夜を乗り越えて、寄り添いあった戦友との時間の象徴のようだった。


サングリアといえば、久々に集まった同級生たちとの夜だ。
遠方に住む友人が、近くまで来る用事ができた。それならば久々に会おうよと、周辺地域から集ってきたのは、小学校でともに学んだ仲間たち。中には15年以上ぶりに会う子もおり、思い出話に花を咲かせた。
駅からほど近い串カツ屋で各々好きな飲み物を頼み楽しんでいたが、そろそろお腹はいい具合。二軒目に移動して頼んだのは、ピッチャーに入ったサングリアだった。
グラスに注ぎあい乾杯する。ピッチャーの中にはたくさんの果物とスパイスがみてとれた。
小学校ってさ、本当にいろんな子がいたよね。〇〇っておぼえてる?今なにしてるのかなぁ。そういえばさ、あの授業の時。あ、それめちゃくちゃ印象に残ってるわ。〇〇がさ、△△先生にさ、そうそう!…
雑多な個性とぎゅうぎゅうに詰められた教室。
園児上がりの最初は動物園さながらだったが、いつしか集団行動にも慣れ、それなりに一体感を持って授業や行事に向かうようになった私たち。
同じ瓶に入っていても、個性は死なない。むしろ、時間を追うごとの味わいは、それぞれの個性のおかげで熟成されていく。
その場にいない同級生にも思いを馳せながら、母校を思って乾杯をした。


#いい時間とお酒

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