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冬至と振り返り


今日は冬至です。

冬至いえば「ゆず」

「ゆず」といえば「ゆずさん」

そして今日も引き続き
ゆずさんに感謝します。

・感謝・

「あたたかな気持ち」
またまた話題にしていただきました。
そしておすすめまでしていただき
二重の感謝です。

こちらこそ、いつもいつも
ありがとうございます。
最近の私は気を抜けばそのまま
忙しさを理由におさぼりしそうな
雰囲気になっていましたが、
ゆずさんの記事でまた
「シャッキリ」
と気持ちが一新。
本当に背中を押していただいてるような
ありがたい存在だなと思いました。

昨日に引き続きまして、話題とおすすめ
ありがとうございました。


そして本日は昨日公開を見送った
私史上、note最長記事の試みです。
最近まともな記事も書いていなかったので
さぼり気味だった分、まとめて一球入魂。

時間がないかたはこれより先は
省略されてください。
5000字弱の長い記事です。

内容はコメントやコミュニケーションに
関して私の思いと今年の振り返りになります。

興味があるかただけどうぞ。


noteにおいてのコメントとは
大事なコミュニケーション手段です。

コメントとは難しいものです。

できたら何のコミュニケーションも
とらないという選択肢もありなのかも
しれません。

私はnoteを始めた当初はその形態で
いこうと思っていました。

元々自分は根は人が好きなんだと
思いますが、密な交流になりすぎると
少しインターバルをあけて一人時間を
確保しないと相手が苦手とかではなく
どんなに好きな相手や家族だったとしても、
無意識下でも少なからず相手や行動に
神経を使っているようで、疲れてきます。

なので一人時間を確保してクールダウンで
無意識センサーを休ませなければ
いけません。
回復できたらまた交流に戻る。

ロールプレイングゲームのキャラで
言うところのMPゲージが少しずつ
消費されて、0になったら宿屋で
休みまた冒険へ仲間と出て行くに
感じが似ています。

途中ダメージを負うとMPゲージも
体力ゲージも減りが早くなり
長めのお休みが必要になってきます。

しかしコメント交流をすることで
広がる輪もあります。

色々とこの半年noteでも大なり小なり
ありましたが振り返ってみれば結果的に
たくさんの交流ができて
とても良かったと思っています。
交流していただいた皆さん
本当にありがとうございました。

note活動も半年を過ぎた頃ですが、
いろいろなかたのところでも
コミュニケーションにおいて、
一喜一憂様々な場面を見てきました。
私自身も失敗があります。

ただ自分がコメントをする立場として
軸として持っているものは、

自分がされて嫌なこと、 
自分が言われて嫌な気持ちになること。

は決してしない、書かないと
心に決めています。

コメントする時には自分には
もうひと作業あり、

自分が書いた相手へのコメントを
自分が言われた場面として置き換えること。


を過程に入れています。

それでも100%コメントや行為を
間違えないのか?と問われたらそうでも
ありません。

人はそれぞれ投げられた言葉や行為に
対してのストライクゾーンが違う。

からです。
私は自分が繊細なほうか鈍感なほうかは
わかりません。自分的に自分を評価するなら
鈍感なほうかもしれません。
私自身まったく言われて気にならないと
思ったことも、相手にはすごく引っかかって
いたようなこともありました。

noteのコメントに限らず、今まで
生きてきた中での手紙やメールや
ライン、対面交流など様々な
場面ででもです。

失敗が増えるたびにコミュニケーション
に対しての改善は繰り返して
きたつもりですが、未だに
100%の正解には至りません。

これからも100%に至ることはないでしょう。

明らかに悪意が込められた言葉は別として、
NGワードは個々で違うものです。
それは相手のコンプレックスかも知れないし、
図星をついてしまったことなのかも
しれない。相手の生い立ちなのかも
わからない。知らずのうちに
妬み、嫉妬になることかもしれない。

それを考え出すと人とのコミュニケーションを
とることがとても面倒で怖くなったり
億劫になったりします。
最悪人生そのものが嫌になってくる場合まで
あります。

たとえばNGワードのグレーゾーン。
「頑張れ」という言葉。

言葉以外の意味の背景にある、
純粋な相手からの応援の気持ちと
受け取るかたもいると思いますし、
今までいっぱいいっぱいで頑張って
きたかたが、額面通りに受け取って、
「もっと頑張れよ」と
プレッシャーのように感じるかたもいます。

「頑張れ」と言われることが
苦にならない人。
苦だと思う人。
ここでも個々の気持ちの根底が
違えば、気持ちのズレが
生じコメントの捉え方が
違って伝わったりします。

コメントを投げた本人、受け取った相手に
相違が出てくるということはこういう
ところだろうと思います。

SNSのやり取りは誰にとっても
手探り状態です。

文字のSNSでは特に、
表情や仕草の情報がない分、
自分の現状や気持ちを簡単にでも
言葉に出して可視化できるように
私は心がけています。

あまりにも詳細に書く必要も
ありませんが、文字で交流することに
おいては、余裕があるのか
ないのかを伝えるだけでも
違うのではないか?と思ったりもしています。

超能力者でもない限り
顔も見えない、相手の今までの
経緯もわからない、
それは相手から自分を見て
もらった時も同じと言えるのでは
ないでしょうか。

曖昧な言葉だけで全てを
相手に察してもらうことは
非常に難しいことだと思います。
私も10代〜20代の頃は
なんとなくで察してほしい
そんな人間でした。

現実はというと、そんな生易しいものではなく
「そうだったらそう言ってよ」くらい、
良くも悪くも相手は自分のことを
四六時中考えているわけでも
見ていてくれているわけでもないと
いうことに気がつきました。

表情や仕草が遮断されている文字だけの
世界ではなおさらだと思います。
お付き合いが短く、文字だけの
交流となるとハードルは更に
上がりそうです。
なので記事の文字表現に対しては
抽象的な場合は特に何度も何度も
読む込みます。
読み込むことで、最初にもった
印象とその方が本当に受け取って
欲しかった隠しテーマなども
気づけたりすることもあります。
自分の読解力の程度がどこまで
あるのかもわからないので
中々難しい作業でもありますが。

コメントはそのあとの作業です。


そして交流にも順序があるように思います。

興味を持って仲良くなりたいや
話をしてみたいと思ったら最初は挨拶から。    
 ↓
拾える範囲でコメントや記事から
相手の人となりを知る。       
 ↓
地道に交友関係が築けてきた時は、
相手の今までの様子や返答から
少し深い内容のことまで立ち入っていいのか?を判断。

この過程を必要としないフランクなかたや、
気さくなかたもいらっしゃるので、
一概にはいえませんが手順を踏んで距離を
縮めることでトラブルはぐっと少なく
なると思います。

最終的な判断は本当に一番
難しい所だと思います。
私はここで間違いをおかすことも
何度かありました。

コメント欄でも他のかたが主のかたと
軽口で話していても、主のかたとの
お付き合いの長さがそれぞれの
クリエイターさんで違うので
自分も最初から軽口に乗っかって
いいのかというと、またそれも
主様によって変わります。

それほどにお一人お一人の受け取り方には
幅があります。

他にも私も気づかないうちに
失礼していたこともありそうな
気がしますので、この場をお借りして
失礼があった方々にお詫びも
申し上げたいです。

そして何より初めてコメントするかたに
対しての苦言、提言の場合においては、
挨拶よりも先に、たとえそれが正しい
意見だったとしてもいきなりバシッと
自分の意見を押し通そうとするのも
因縁のひとつではないのかと思ったりします。

街を歩いていて突然に
「あなたは間違っている」なんて
見ず知らずのかたに強い口調で
言われる怖さを想像するとわかると思います。

それが現実の世界なら尚更、
言われたかたもたまたま
通り過ぎて現場を見てしまったかたも
その人とは関わりを持っては
いけないと思われかねません。

たとえそんなつもりがなかったとしても、
軽い気持ちで言ったことだとしても、
誤解を受けたあとの訂正のほうが
大変ですし、一度ついたイメージは
中々拭えるものではありません。

もしそれが本当は正論であったとしたなら、
そのことにはスポットがあたらずに、
暴君なイメージだけがついて非常に
勿体ないと思います。

私は今までそんなかたを現実でも
見てきました。

内容は素晴らしくても、人々が
イメージとして捉えるのは振る舞いの
部分です。

なので苦言、提言は特に注意して
言葉にだす必要があると思います。
どんな言葉も相手に届かなければ
なんの意味もありません。

相手が聞きたくなるような姿勢で
順を追っていくことは必要なことでは
ないのかなと、厳しく言われすぎて
辛かった自分の幼少期を重ねると
余計にそのように感じます。


しかしここまでコメントや対人関係において
試行錯誤を繰り返し万全の準備したとしても、
失敗は必ず誰もがするのです。

それは相手のことは相手じゃないと
100%のことはわからないからです。

なので最終的なコメントとは?の
結論は 「信頼関係」 に辿りつきました。

自分が言葉や行動を投げてしまえば、
あとの評価は結局相手に委ねるしか
ありません。
それが快か不快かは受け手の評価になります。

複雑怪奇なネットの広大な世界。
様々なかたがいらっしゃいます。

なのでSNSでコメントの最低限の段階を
踏まえたうえでもコメント達人で
あろうと一度は失敗を経験することが
出てくることは納得するところです。

きれいなフォームで真っ直ぐ投げたとしても
受け止めていただけるかどうか?
結局は受け手の技量と信頼あってこそが
なせるコミュニケーションになるのだと
思います。

コメント達人も失敗する。

最低限の手順を踏んでなお、失敗して
しまったのであれば、その時は
落ち込むことだと思いますが、
バッテリーの相性の問題だと
思っていいかもしれません。

失敗を糧に次に進めばきっと
いつか気持ちよく交流できる相棒に
巡りあえると思います。

ブログというコミュニケーションで
あれば、文字から相手のことをどれだけ
受け取れるのか?
文字に出していない相手の複雑な
裏の心情の情報もあることを含めると、
100%の解はありません。
受け手のみぞ知ることです。

悪意があるコメントは誰がみても
わかると思いますが、その他の
どのワードで相手が刺激されるのかも
千差万別。

そして大事なことは相手への信頼度で
変わるということです。

なんとなく苦手な人に
「頑張って」と言われたら
嫌味かしら?となる場合でも、

大好きな相手に言われると
すごく嬉しいと思います。

例えば、「 ば か だな 」など、
悪意ありそうなワードを言われた場合でも、
沢田知可子さんの歌の歌詞のように
親愛なる人からかけられた言葉なら
愛情さえ感じます。

自分自身のnoteでの失敗も併せた結果、
結局のところ、コメントは、
特にアドバイスなどをしたいと
思った場合なら尚更相手とどれだけの
信頼関係を結べているのかと言うことを
重点において回を重ねて信頼を得た
先にあるものだと思いました。

最初から手っ取り早く
突っ込んだ内容で
来てくれたほうがいい人も
いらっしゃるかもしれませんが、
あまりこのタイプのかたは
少ないのではないかと感じます。

これからも私もあなたも誰もが
山あり谷あり出会いと別れを
今後も繰り返していくでしょう。
note活動でも同じことです。
気持ちのいいnoteライフと
素敵なnote仲間に皆さんが
出会えることを心から祈っております。


ここまでお付き合いいただいた皆様
長々と本当にありがとうございました。
苦手なコミュニケーションですが
少しでも楽に感じられる方法を
共有できたらいいなと思いました。
まだまだ私もコミュニケーションの
道の途中です。
今回書いたことが正しいとも
限りません。
もっといい方法があるのかも
しれませんし、コミュニケーションは
答えが出ないことだと思います。

それが機械ではなく人間を相手に
するという唯一のことだと思います。

今日も1日おつかれ様でした。
明日が皆様にとって素敵な1日に
なりますように。













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