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「話てくれた」=わかり合っている、信頼されている?




自分軸づくりで
自分を満たすセラピスト
ねごろめぐみです😄


少し前の話です。
私の養護教諭後輩からの”相談”で、
一通り話終わった彼女が
私に言った一言から
違和感を感じたので💦

今日はシェアしますね✨


本日のテーマは
「話てくれた」=分かり合える関係?


こういった勘違いしている
「先生」多いのでは?
「母」多いのでは?と
思うのです💦


ちょっと際どい部分の質問をしますが、
なぜ「話してくれる」=「信頼関係の成功」と
いう解釈になったのでしょうか?



簡単にいうと
それ、あなたの脳の
「思考」のクセです。


もう一回言いますね。
それあたなの「思考」の癖です。




単なる解釈で
事実ではないという部分が
抜け落ちているんです🧐



このまま「支援」を進めても
ぶっちゃけ
「うまくいかない」
「裏切られた」
「期待してたのに」と



後々、「支援」や「アドバイス」に
ずれが生じます✨



人間の脳は「高性能」なだけに
たくさんの情報を
処理することが可能です。



ですが、「記憶処理」を
このまますると
それこそ頭がパンクしてしまうので、



その対策として
X=Yというラベル貼りを
してから「記憶」するそうです🧐
(すごい機能)



この自分にとって
都合の良い考えも
事実であって
「解釈」だという視点を
忘れて人間関係を



築こうとすると
手ひどい失態をします💦



「分かり合う」とか
「信頼される」ということに
「話してくれた」という
「事実」は直結しません😄



なぜなら人は、
分かり合えないから✨




こんなことを体験する
養護教諭
多いんじゃないでしょうか?
👇👇👇



卒業式のメッセージ色紙に

「仮病しました❤️」
「嘘ついてごめんね」
「体温計、ホッカイロで
あっためたの❤️」と


過去、贖罪のメッセージを
何度かいただいています🤭


つまり、その時の「事実」を
どんな「状況」かと
「判断」して「意味付けている」のは
「自分」だ。ということです。


事実、私も
「こりゃ〜仮病だな🤭」と
思っても、本人の意思や
状況、環境によって
「早退」の判断をすることも
ありました。


だから、
「話してくれる」=
「ただ話したかった」という
事実にしか過ぎないのです。



=信頼関係ができたか?
分からないですよね?
=わかり合えたか?
確信が持てますか?


理解できないことばかり


話し合おうする姿勢は
とても大事です😄



でも、完璧に
「信頼関係ができた!!」
「相手とわかり合えた!!」
なんてあり得ないんです‼️



そして、
「話し合い」というのは、
信頼関係のツールであって
話す相手、聞く相手、
話の中の登場人物の状況の
違いを「確認」「尊重」する
作業の繰り返し☝️




という部分を忘れては
いけないのです😄



そして大体は、
話してほしい!!
って相手に詰め寄るとき、
その人の心は
これで「信頼関係ができる」
いい先生になれる!!
いい母親でいられる!!


という期待が大きく膨らんだ状態です
話してもらえなかったら・・・



「別にいいんだよ」と言いながら
なんか裏切られた?みたいな
モヤモヤな気持ちになる。。。



親子でも、夫婦でも、
親友でも、まして先生と生徒なんて
「分かり合えない」が前提😄




分からないもんは分からない‼️

同意できないことも
しこたまあるが事実です✨


その違いを、
あなたはそうなのね
って思えることが分かりあうこと😍



分かり合える話の機会を
その人から何度も
「いただける」のが
信頼関係づくり😄
なんだと思います😍



1回や2回じゃ
とてもじゃないけど
「信頼関係」には程遠い💦



ここで我が家の好事例です。
私と娘は「和食派」
息子と旦那は「洋食派」


当然、ファミレスなんかで
パックリとメニューが分かれるし、
せっかくの料理が
「残ってしまう」こともあるのです😄


洋食が好きな人もいる
かといってその人に合わせて
いたら自分の不具合
(食事を楽しめない、体調が悪くなる、アレルギー)に
出会うかもしれない💦


好きなものを好きなように、
選びたいものを選んだ方が
気分がいい↑⇧↑⇧❤️



そこに旦那や息子の
「OK」や「信頼」があるかないかは
どうでもいいはずなんだけど。。。


「話してくれない」がイヤなのは
根底には自己否定があるというのもある。


私に相談しても変わる人もいるし
変わらない人もいる。


なにを学んでも、
なにをアドバイスされても、
変わらない人は変わらない事実を
私は知っているし、
受け止められる☝️




世の中いろんな人だらけ

学校にはいろんな人がいて
まして、集団の最小単位と
言われる「家庭」にも
いろんな人だらけ。


夫婦二人きりだとしても💦


「話してくれない」と分かり合えない‼️
というのは、
アーユルヴェーダでいう
「アヒンサー」(非暴力)という
部分。


ある一種の暴力になりかねません。



「話してもらえる」を期待しない。
「話してもらったから、
私は信頼されている」という
期待は持たない。
人は分かり合えないものです。




だから「話す」という
ツールで「理解するチャンス」を
与えてもらう😄



そして自分から相手を
「尊重」すると
いうことが必要😄
愛があるでしょ?




自分軸は愛を伝えて、
愛を得るため、
愛に恵まれるために
本当に必要な軸なんです🎵




どうか、皆様が自分の内側の
「軸」に毎日目を
向けられますように😄


ラーデーラーデー✨

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