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身口意について考える

「身口意(しんくい)」という、仏教の言葉がある。
動作を行う「身」と、言語表現を行う「口」と、精神作用をなす「心」のことで
この3つを合わせて、「三業(さんごう)」というそうだ。

私は敬虔な仏教徒ではないため、
詳しいことは分からないが、
自分なりにこの言葉を解釈してみようと思う。

簡単に言えば、動作と言語と思考のことで、
人間が人間として生きている限り、
この3つから離れることは決してできない。

身=行いやふるまい、身なりなどのこと。
口=言葉、発言。
意=心、考え、思い。

考えてみれば、人間活動を行う際に
絶対に切っても切り離せないこれらのことを
日頃、なんと無意識に行っていることだろう。

身口意は、一致していて然るべきであるにも関わらず
バラバラになっていることがある。
例えば、傷つくことを言われたのにニコニコ笑っていたり、
健康になりたいと願いながら不摂生をしてみたり、
美辞麗句を並べながら不正を行ったり。
この世には、身口意が一致していない人がたくさんいる。
人とうまくコミュニケーションをとっていくには
バラバラにせざるを得ない場合もあるのも事実だが。
しかし、あまりにも3つがかけ離れてくると
自分にとっても他人にとっても、違和感しかなくなる。
たまに、すごくいい人そうなのに違和感を感じる、という人がいる。
波長が合う合わないでそう感じていたのかと思っていたが、
はたと気がついた。
身口意がまるで一致していないのだ。
それはとても危険なことで、
つまりは自分がなくなっていくことを意味する。

もうひとつ、身口意は別の観点から見れば、
常にともに影響しあっているものでもある。
例えば、身なりを清潔感ある服装やお化粧で整え、
健康に留意して身体の不快を無くしていくと、
明るく前向きな気持ちになる。
発する言葉や行動もポジティブなものになっていく。
すると、心に余裕ができてきて自分を労り慈しみ、
またさらに健康や清潔へとつながっていく・・・。
身口意はぐるぐると循環している。

身口意は「整える」ものであり
「一致させる」ものである。
私たち人間は普段、この身口意を無意識に垂れ流して生きている。
だけど毎日の暮らしの中で、
ほんの少し立ち止まって自分の身口意が整っているか、一致しているか
振り返る時間を持つことができたなら、
この世界はまったく違ったものになるかもしれない。

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