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老人男子はどこまで歩けるか!

老人男子の限界は 一日100kmの散歩に挑戦

老人の散歩について書いたら、関心を持ってもらった。
一日1万歩とか歩数にこだわることはないよと、書いたけれど、
実際は歩数にこだわる老人がほとんどだ。
中には、調子に乗ってどんどん記録を伸ばして自慢をしたがる人もいる。
そういう人も、一日で100kmは流石に歩いたことはないだろう。
わたくしは、62歳の冬に、100kmに挑戦をしたことがある。
実に愚かな行為だったと、今は大いに反省をしている。
これから、その当時のことを思い出しながら、何が反省材料になったか、具体的に書いてみたい。
「過ぎたるは及ばざるが如し」

計画を建てる

googleマップを使って、自宅から100kmの距離を測った。
行き先は、小田原方面。
理由は、自転車で数回走っていたから。
実は、何度かに分けて、静岡の三島まで歩いたことがあった。
ただ、ルートは迷わないことが前提だったので、中原街道を選んだ。
中原街道は、東海道の裏道で、交通量は東海道程ではない。
五反田から平塚まで丘陵地帯を走る道路である。
平均時速5KMで歩けば、20時間で小田原に着くことができると計算。
つまり午前0時に出発すれば、午後の8時に到着することになる。
余裕で千葉の自宅まで電車で帰宅できると考えた。

持ち物

おにぎり、水筒、上着、タオル、予備の靴下2足、帽子、地図、ナップサックに現金。
靴は迷ったが、ホーキンスのウオーキングシューズ。
できるだけ、身軽にすることを考えた。
カメラを失念。

2016年12月22日の零時自宅を出る

千葉県から江戸川の橋を渡り、水戸街道をひたすら歩く。
気温は10以下だった。
言問橋を渡って、浅草から日本橋へ歩く。
人通りはほとんどない。
ただただ寒いだけ。
腹が空いて、寒さが厳しく感じるので、歩きながらおにぎりを食べた。
しかし、腹が減って田町駅側の「すきや」で朝定食を食べる。
24時間営業の店のありがたみを痛感した。
少し元気になって、五反田を目指し歩く。
五反田に着くとそのまま中原街道に入る。
中原街道は一部だけ歩いたことはあるけれど、殆どは初めての道。
東京の中原街道は、迷うことのない歩きやすい道だった。

多摩川で朝日を見る

多摩川を渡るために、丘陵地帯からどんどん下へ降りて行くと、丸子橋とその先の川崎の街が朝日に映えて美しかった。
千葉県から東京へ、そして神奈川へ入ったのであった。
中原街道は55号線である。
川崎に入ると、古くて狭くて曲がった道路が続く。
55号の標識を見逃すと迷いそうな道路だった。
道路はどんどん南下して周辺は工事だらけだった。
狭い中原街道の道を拡張中だった。

横浜市郊外丘陵地帯を歩く

横浜ブルーラインの高架下をくぐり、右に折れると仲町台の駅。
この当たりは未来都市のような趣があるが、まだまだ広い原っぱは広がっていた。
ここから中原街道へ出るには、道が分かりにくかった。
やっと中原街道に出て、さらに南下を続けた。
ここからの道はどういうわけか、歩道が車道へ向かって傾斜していた。
歩きづらかった、腹が立つほどだった。
左に体が傾いて足を出すたびに、右左と体が揺れた。
我慢我慢。
日差しが強く、出発をした頃とは雲泥の差。
気温がどんどん上がって上着は脱いだ。
この当たりは港北地区と言って、道路の遥か下に、横浜港の海が光って見えた。
更に進むと、横浜動物園。
動物園の向かい側の公園では、家族連れが遊んでいた。
トイレ休憩をするだけ。
この辺が最大の難所で、起伏が激しく、おまけに初冬にしては日差しがきつかった。
これで途中にマックでもあれば良かったのだが、休憩場所が見つからなかった。
水分補給を侮ってはいけない。
後日水分不足で、大変な目にあった。
暑さにくたくたになった体で、ただひたすら歩くだけだった。

大和市に入る

小田急江ノ島線の高架をくぐると、右手に桜ヶ丘の駅。
もう横浜市から大和市に入って、厚木の自衛隊基地の側を通った。
自宅から横浜までが、大体50kmなので、大和からは残り半分になった。
この辺は起伏もあって道が曲がりくねり、標識も十分ではないので焦って歩いた。
歩けども歩けども、目標の寒風の標識が見えないので、とうとう丘陵地帯から右手の坂道を降りた。
すると新幹線の線路が見えたので、その高架下に沿って歩いた。
やっと川沿いに走る単線の相模鉄道の駅が見えた。
本来なら、更に下流の橋を渡る予定だったが、一つ上流の橋を渡った。
渡って、やっと44号線に着く。
44号は国道の一号線へつながっている。
一号線に出たら、後は小田原まで真っ直ぐだった。
コンビニで飲み物とパンを買って、歩きながら飲み食いをした。

平塚で大いに悩む

東海道の平塚八幡宮へ着いたのは、午後の5時でもう薄暗くなっていた。
小田原まで残り27kmの表示版を見た瞬間、予想される時間を計算していた。
もうすでに、予定の時速4kmでは歩けなくなっている自分の状態が分かった。
歩く能力が、落ちたことに愕然とした。
足は痛くて足裏に豆が出来ているのが、靴を脱がなくても分かった。
単純に時速4kmで残りを歩いたとしたら、7時間で小田原に着くことになる。
5時から7時間後なら、午後12時に到着である。
予定では午後の8時到着だった。
ここで、八幡宮の敷石に腰を下ろして、迷った。
自宅から73kmも歩いたから、もう十分頑張ったことは確か。
今、平塚から電車に乗って帰宅しても、家族の誰も笑ったりはしない。
そう言い聞かせて、平塚駅に向かおうと思ったけれど。
これまで苦しかったのが後7時間続くだけと言う別の声も聞こえた。
到着が12時過ぎになって、1日100kmの夢は叶わないけれど、
やっぱり最後まで歩こうと思った。
よろよろと歩き始めたら、すぐに日が暮れた。

最後の道

平塚から小田原までの道は、丘陵地帯で、しかも寂しい国道だ。
街灯も少なく、商店もまばらになった。
持ってきた携帯ラジオの音楽を聞いた。
明日はクリスマスイブなので、クリスマスの曲が流れる。
寒くて寒くて仕方がなかった。
足の痛みは、もう限度が過ぎたのか、分からなくなった。
ただ止まると痛いのでとにかく歩いた。
大磯から二宮そして国府津まで、人に出会ったのは10人位だった。
それだけ寂しい道だった。
国府津の駅入口へたどり着いた時、もう残りJRで二駅だけと言い聞かせた。

あれが小田原の灯だ

国府津から坂を降りていくと、小田原市街地の灯りが見えた。
側の小田原海岸のなみの音が大きく聞こえた。
坂を降りきると、店が次々に表れて街灯に照らされた道はにぎやかになった。
酒匂川の手前にマックがあった。
もう市街地はすぐ側で、小田原の駅も残り1時間位と分かった。
ほっとしたのでマックで珈琲を購入、珈琲を歩きながら飲んだ。
そこから、小田原の駅までは1時間もかからなかった。
駅に着いた時、ちょうど11時だった。
平塚で予想をした予定より、1時間早く着いた。
時速4km以上で歩いたことになる。
特別な喜びはなかった。
出迎えの人がいるわけでもなかった。
疲れ果てた初老の老人が、たった一人。
汗とホコリで真っ黒になってぼんやりと突っ立っているだけだった。
小田原の駅ロータリーも、人影はまばらだった。
水銀灯がやけに目に染みて、眠たいだけだった。

100kmのmap

旗じいの62歳の挑戦を読んでくれてありがとう。
62歳の時の元気は、今はないけれど、精神力だけは今も変わらないな。
それにしても、愚かな挑戦で恥ずかしいかぎりだ。
100km散歩に挑戦した後日譚は、いずれまた。

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