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ひとり日光社参!秋の関東平野を駆け抜けろ!!③【埼玉編】

前回の記事では、四日間のうち二日目の半分、原宿でラブライブスーパースターの聖地巡礼をしたまで書いた所で紙幅が尽きた。

原宿から川越へ向かう際は首都高速5号池袋線などを使い、途中で首都高速の難所たる熊野町JCTから板橋JCT間を走行している。
この件は書いているうちに長くなってしまったので、個別に記事を作成した。

2日目のもう一つの目的地は川越城本丸御殿で、ここは全国でも4つしか現存していない貴重な御殿の一つだ。
川越城以外の3つの御殿は、二条城(二の丸御殿)、掛川城(二の丸御殿)、高知城(本丸御殿)のみである。
なお、中でも高知城は天守と御殿のいずれも現存している貴重な城であり、格別一見の価値があると思う。

実は令和3年にも埼玉へ足を運ぶ機会があり、一度城の前まで来ているのだが、折悪しく休館日のため見学することが叶わなかった。
そのため、かねてから再訪したいと思っていたのだが、早くも翌年に叶った事を嬉しく思っている。



2日目(10月8日)

川越城本丸御殿

鮮やかすぎるカラーコーンが無粋

川越と言えば、川越藩主として川越城下町の整備に尽力し、また江戸幕府老中として幕政においてもその手腕を発揮した松平伊豆守信綱が有名だろう。
幼少からの英明ぶりで知恵者として知られた信綱は、官職名の伊豆守と掛け合わせて「知恵伊豆」と称される程で、大老酒井忠勝をして「人間ではない」と言わしめたほどだ。

そんな川越藩主の居城だが、現在は本丸御殿の一部を残し跡形もない
天守は元から無かったようだが、三層の富士見櫓が天守の代用であったという。
代用といっても、櫓と天守の境目というのは意外と曖昧なものだったりする。

実際に櫓と天守の構造に大差はなく、その違いは城内を向いた窓の有無で、櫓は家臣が城主を見下ろせないように内向きの窓が無いのだそう。
とはいえ、高松城の月見櫓のように内向きの窓があるものも櫓とされているので、やはり厳密ではないようだ。

天守の如き威容を放つ高松城月見櫓
唐破風の玄関

コンセントも似つかわしくないが、仕方ない
釘隠しがハートになっている
(ハートマークではないのだろうが…)
家老詰所
玄関背面
大広間

ここで少し違和感を覚えた。
御殿の写真ばかりでは伝わらないので文字に起こすが、本丸御殿というにはあまりにも小さ過ぎるのだ。

一般的に本丸御殿というものは、藩の政庁としての機能を有する表(表向)と呼ばれる空間と、城主とその家族の居住空間である奥(奥向)と呼ばれる空間に分けられている。
最も有名で分かりやすい例が、大奥だろう。
大奥とは、江戸城本丸御殿内にある奥向の事を指しており、同御殿の面積の実に半分以上を占めていた程広大な空間だったのだ。

さすがに大奥ほど広大ではないにせよ、私が見学した屋敷二つ分の面積では到底足りない事は明白だった。
そんな事を考えていたら、御殿内の資料で謎が解けた。

往時の半分以下の規模だと分かる

広大な本丸御殿のうち、現存しているのは大広間と家老詰所のみだったのだ。
こんな事は逐一書かなくてもネットや案内の紙に掲載されている事ではあるが、こういうちょっとした驚きを大事にしたいので、詳細な下調べは意図的にせずに見学するようにしている。


川越菓舗 道灌

季節は秋、秋の味覚といえば栗きんとん。
というわけで、のぼりにも書かれていた栗きんとんを目当てに向かった先が「川越菓舗 道灌」だ。
川越城を出て道路を挟んで向かいにある和菓子店で、店名の道灌の名を冠した道灌まんじゅうという饅頭が看板商品とのこと。

どうやら全国唯一の玄米を使用したまんじゅうらしいのだが、玄米が好きではないという理由でそちらは食べずに帰ってしまった事を少し悔やんでいる。
玄米は嫌いでも、まんじゅうくらい食べておけばよかったと、今更ながら思ってしまった。

表面がてかてかしている

栗きんとんの方は、表面にてかてかしたものが塗られており、私が中津川で食べるようなしっとりした栗きんとんとは異なるものだったため驚いたが、これはこれで美味しかったので食べて良かったと思う。

実はここに来て栗きんとんを口にするまで、私は飲み物以外を口にしていなかった。
ちなみに、川越城へ到着したのは午後2時40分くらいで、要は昼食抜きだったのだ

これは元から昼食を取る気が無かったわけではなく、単純に間が悪かったに過ぎない。
昼食の時間帯に居たのは原宿だったのだが、原宿で高額な駐車料金を払いたくなかったため昼食を取らずに歩を進めた結果、移動している間に半端な時間になったため断念したというわけだ。

なにせ移動の大半が首都高速なので、飲食店などあるはずもない。
首都高速埼玉大宮線を与野出入口で降りると、ロードサイド店舗が多数ある新大宮バイパスに出られたが、ここは渋滞が酷すぎて早く抜けたい気持ちが優先した。
また、時すでに遅しで、空腹感が限界を超えて食欲が失せてしまったということもあり、何とも間が悪いと言うより他ない事態だったのである。

なお、店名の道灌とは、戦国時代の武将である太田道灌から取っている。
太田道灌と言えば、他ならぬ江戸城を築城した事で有名な築城の名手で、なんとこの川越城も太田道灌により築城されたそうだ。


小江戸温泉KASHIBA

三日間全て東横インで泊まるため、一度くらいは天然温泉に入っておきたい。
というわけで、予め調べておいた日帰り温泉施設へ向かった。
川越城からは近く、川越城の前を通る初雁城(川越城の別名)通りと呼ばれる東西にのびる道路に出て東進し、国道254号を跨いでしばらく走ったところに位置している。

ここの良いところは、なんと言ってもその安さにある。
土日祝日の料金で、岩盤浴を含めてたった950円という破格の安さなのだ。
比較として土岐にある土岐よりみち温泉をあげると、そちらは950円に追加料金で820円払わなければ岩盤浴を利用する事はできない。

普段は追加料金を払ってまで岩盤浴を利用したいと思わないが、格安ならばと思い利用したものの、あまりにも暑すぎてすぐに出てしまった
サウナもそうだが、ああいう空間で長時間耐えている人というのは、もはや修行でもしているのではないかと思えてならない。

埼玉県なのにKASHIBA
(香芝は奈良県)

道の駅思川おもいがわ

圏央道川島ICから久喜白岡JCTを経て人生初の東北自動車道を堪能した私は、佐野藤岡ICで降りて国道50号を走っていた。
小山にある東横インへ向かうためだが、思いの外距離があったのと道の確認をするために休憩することにした。

この写真を撮影したのは午後6時38分だが、時刻以上に辺りは暗かった。
日が落ちるのもかなり早くなって、いよいよ秋本番なのだという事を感じさせられる光景だったと思う。

簡単な読みではあるが、初見で「おもいがわ」とは読めないだろう

栃木県と言えば宇都宮、そして何と言っても名物宇都宮餃子だ。
ここは宇都宮ではなく小山だが、同じ県内なのだからさぞかし美味しい宇都宮餃子を食べられるだろう。
そんな事を思いながら、ホテルでチェックインを済ませた私は、小山駅内にある宇都宮餃子のお店に入ったのだが、結論から言うと普通の餃子だった。

栃木県内のローチェ(ローカルチェーン店)とのことなので、感動するような餃子を期待していたのだが、存外感動を得られるほどの味ではなかったのが残念でならない。
とりあえず、お店の名誉のために補足しておくと、餃子自体は普通に美味しかったのだ。
ただ、宇都宮まで来たというような実感を感じられるほど、違いがあるように思えない味だったというだけである。

ごちそうさまでした

ここまででようやく2日目が終わった。
三日目はいよいよ大本命の日光東照宮ということで、続きは次の記事で書こうと思う。

原宿で買ったアクリルスタンド

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