若いお客様に伝えたい3つの「BAR」としての存在意義
(読了時間:約3分)
・「社交場」としての存在意義
・「サードプレイス」としての存在意義
・「内緒で羽目を外せる場所」としての存在意義
「社交場」としての存在意義
「BAR」って”大人の社交場”みたいなイメージ、ありますよね?ホワイトカラーの男性とハイヒールを履いたスレンダー女性がカウンターで肩を寄せ合いながらグラスを傾けるみたいなイメージ。
ま、実際にそのようなイメージ通りのお客様は来ないんですけど、やはり「BAR」として良くも悪くもひとつの「印象付け」ができているんです。
つまり、実際にそうかどうかは差し置いて「社交場」としての認識はさせているってことです。これ、どういうことが起こると思いますか?
これですね、「社交場」っていうイメージが頭の片隅にある状態でその場に行くとですね、「社交場」に似合うような振る舞いを自分で考えるのでその場に何となく属するんですよね。違和感があったとしても。
例えば、ゴールデンボンバーの代表作品「女々しくて」にはフリがありますが、たいして知らなくても何となく両手を挙げて動くというイメージだけあれば何となくやり過ごせるんです。ファンじゃない限り「そこは右手が先でしょ!」とかにはならないんです笑。
若いお客様は最初、「BARって大人・・」「来ていいのかな・・」なんて多少の不安や怖さのもとその扉を開くわけですが(←ちなみに僕の店はエレベーター直結笑)、その心があるだけで十二分に場に溶け込めます。少しの違和感があったとしたってそんなの誰も気にしてないです。ま、現在場に慣れてる方だって最初はキョドキョドしてははずなんで。
そして、「BAR」という場所が生み出す多彩な空気感は居酒屋さんやパブとはやはり違うんです。居て「格好良い」とか「少しの富裕感」のような見えない感覚を得られると僕は思っています。
そのような空気感の場所に身を置くだけで自分ができる人間のように感じたり、いつもより充実した時間を過ごせたような気になるはずです。
一張羅の服を着て、好きなアクセサリーで自分を飾ったらその日は何もなくたっていつもよりテンション高く、そして楽しく過ごすことができますよね?
そんな自分を高めるアクセサリーのような場所であることを伝えられたらといつも考えています。
「サードプレイス」としての存在意義
さいきんの僕の中のトレンドワード「サードプレイス」。
[サードプレイス]
コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。サード・プレイスの例としては、カフェ、クラブ、公園などである。アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグはその著書『ザ・グレート・グッド・プレイス』(The Great Good Place)で、市民社会、民主主義、市民参加、ある場所への特別な思いを確立するのに重要だと論じている
「BAR」もサードプレイスとして多くの人に認知されている場所だと思うんです。「お酒を飲む場所」ってイメージが強く、そして実際にそうではあるんですけど、ただ酔うために来るわけじゃなくて自分と向き合う時間、自分のメンテナンス時間を確保する場所でもあるんです。
カフェだって公園だってひとりで過ごす時って普段考えないことを考えたりふと何気ないことを思いついたりするじゃないですか?また、誰かと過ごす時だってちょっと深い話に進展したりいつも話さないちょっと非日常の会話になったりしますよね?
加えて、僕たち「バーテンダー」と呼ばれるカウンターに立つ人間がいて、そこから話が広がったりもします。自宅や職場じゃ得られない違う時間を過ごすことができるんです。
確かにお金はかかります笑。カフェよりも少し高いんでね。でも、その時間って自宅や職場じゃ手に入らない時間だと思います。「自己投資」のひとつなのかなと。
僕もこの業界に入って初めて一人で通うことできるようになったBARがありました。(残念ながら閉店してしまいましたが・・)
そこはカジュアルな店でマスターさんは料理人時代を経てBARを開業したという僕にとっては道の世界を経験した方でした。友達とつるむのもそれは楽しかったですが、あの頃にこのようなサードプレイスに出会えたことは今もなお大きな財産だったと思いますし、そこで聞いた話、そこで出会った人というのは今の自分の形成に大きく関係していると実感しています。
「内緒で羽目を外せる場所」としての存在意義
これは意義に入れていいのかちょっと悩みましたが笑、経験上何度も救われたことがあるので一筆。
ま、いうてもお酒が飲める場所です。お酒の力で何度も何度も人様に迷惑をかけてきた僕ですが、その時に話した数々の悩みや疑問、愚痴や将来の夢。
聞いてくれる人がいることのありがたみを感じるとともに、「サードプレイス」だからこそのメリットもあるんです。
それは、「家族にも恋人にも職場の人にも友達にも関与せずに羽目を外せる」ということです。
羽目を外す前提で行くわけじゃないんですけど笑、そこは時にオアシスになるんです。
隠してた自分を晒す機会。
怖がってた何かと戦う機会。
自分だけじゃ気付けなかった価値観に触れる機会。
生ぬるいことを言って泣かされた夜もありました。厳しいことを言われてへこんだ夜もありました。自分だけでは知ることのできなかった自分の強みを知れた夜もありました。
「羽目を外した」からこそ教えてもらえたことって案外多くて、ずっと冷静沈着だとクールに対応されて終わることなんてよくあるんです。
逆に30代になった僕は若いお客様に対して「言う側」にもなっています。仲良しの子にははっきり自分の意見を伝えることもあるし、上から目線で恐縮ですが「だったらやめたら?」とか「そんな奴最悪じゃん!」とかバシバシ切っていくこともあります。
「自分がしてもらって良かったことは後進にも伝えたい」という気持ちが働くんで。ま、言い方やトーンはその人によって変えますけどね。
せっかく何かしらの「縁」で知り合ったわけです。その「縁」という名の糸は太くしていきたいし、死ぬまで繋がっていたいと僕は思っています。そして何より「意味のある糸」でありたい。
なんて思ってます。
「BAR」というプラットフォームは特殊です。その特殊さが良くて虜になる人もたくさんいます。僕もそのひとりです。そこには素敵な出会いが待っています。一度足を運んでいただけたらと思います。(ステマみたくなりましたねすいません笑)
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