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【鬱ログ】四の巻

僕は鬱病の診断を受け、それを会社に伝えるべきか、数日間悩みました。

悩んだ理由はごく単純だったけど、
でも結局、
僕が鬱病になった原因の1つがそこにありました。

『こんな程度で潰れやがって。使えないヤツだ。』

そう思われるのが怖かった。

『会社や上司に認められたい』

僕は、その価値観をあまりにも重視し過ぎていたんだと思います。


僕は自分の弱さを認めることが出来ない人間でした。

だから、

他人から得た評価を、鎧のように身に纏い、弱い自分を隠していました。


そのためには、自信に満ちた振る舞いが必要でした。

でも、それが命取りとなりました。


数日間悩んだ末、今まで通りの仕事がこなせる体調では無いと判断し、一世一代の覚悟で、上司へ鬱病の診断を受けた事を伝え時のことです。

上司は、わざとらしいほどに驚いた顔で

『え!?ホントに!? 元気そうだし、全然そんな風に見えなかったんだけど…』 と言いました。

おそらく、半分は嘘で、半分は本心。

仕事を割り振った立場として、僕の仕事量が常軌を逸していたことは上司も認識していたはずです。
だから、内心『やばい』と思ったんだと思います。

一方で、全然そんな風に見えなかった、というのは本心だったと思います。
他ならぬ僕の、自信に満ちた振る舞いのせいでした。
『こんなに元気そうなのに鬱病ってマジかよ…』と思ったのでしょう。


結局、僕はこの告白から6ヶ月間、仕事に行き続けました。

そして、その6ヶ月の間に、僕の様子から病気に気付いたのは、
たったの3人でした。(フロアには90人近い社員がいましたが…)

その3人は、同僚というより友達に近い存在だったので仕事以外の様子も含めて、何か様子が変だと気付いたのだと思います。

話を戻すと…

上司は結局、『そんな風に見えない』という理由で、仕事をほとんど減らしてくれませんでした。

そして、僕も僕で、『仕事をもっと減らしてほしい!このままじゃ本当にヤバいんです!』という本音を言えずにいました。


そうして、

ただただ、

悪化に悪化を重ねる日々を過ごし、

不眠、拒食、離人症は凄まじい速度で進行していきました。

薬の処方に前向きではない先生に無理を言って薬を増やしてもらい、

その薬もあっという間に効かなくなっていきました。


そして、6ヶ月の日々の末に、『死』か『休職』か、という究極の選択を目の前にして、ようやく、休職という道を選んだのでした。


これが、僕がこだわり続けた『他人からの評価』という下らない価値に頼った人生の一つの帰結点でした。




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