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たくさんの雑さと、ちょっぴりの自分

お母さんと喧嘩をした。
いつもお母さんの言葉なんて受け流して衝突することなんかなかったのに。
私は自分に自信がないから意見なんて言えなかった。
それに衝突することが単純に怖かった。
だけど、あの日私は言い返した。
世間と同じようなことを言うお母さんに。

喧嘩のきっかけは1つのニュースだった。
また1人、有名人が自殺をしたらしい。
お母さんは言った。
「誹謗中傷とかあったのかな。私は人のこと悪く言ってストレス発散なんて嫌だな。時には言葉が人を傷つけることもわからないのかね。ご冥福をお祈りしないとだね。」
そのニュースの評論家も言ってた。
「ご冥福をお祈りします。」

その言葉がなんだか心の中で引っかかってむず痒くてどうしても許せなかった。
「ご冥福をお祈りしますって何?」
とうとう言い返してしまった。
「誹謗中傷が嫌だとか今更何言ってるの?」
私は今まで感じていた違和感を全てぶつけにいった。
世間とは違うって気づいていた。
みんなが右向いて並んでいても私はなんだか斜めを向いているようで苦しかった。

まず、「ご冥福をお祈りします」って言葉は「ご冥福」って打てば「をお祈りします」が変換で出てくるくらいありきたりで重みのないものになってきているように感じる。
本当にご冥福を祈って文字を打っているのだろうか。
きっとそんな人は数少ない。
その有名人はそんな軽い文字で片付けられるほど簡単に自殺したわけじゃないんだろう。
自殺をしたことはないけど、しようとしたことはある。
その時思ったのはただひたすらに怖いってだけ。
それを乗り越えてまで命を断ちたいと思い、それを行動に出来た人の勇気に尊敬の意を示したい。
そんな人たちへの言葉が変換で出てくるもので片付けられていいのだろうか。
そんな疑問を抱えながら生きてきたので私は「ご冥福をお祈りします」という言葉を人に使ったことがない。

そしてもう1つ、有名人が自殺をすると誹謗中傷が理由だと大半の人が思うことだ。
それは別に人が思うことだから私がとやかく言う権限はない。
私が言いたいのは「有名人が自殺」とかの何か衝撃的な出来事がないと誹謗中傷のことを考えないということだ。
もちろん考えている人はいるだろう。
だけど本気で誹謗中傷に向き合う人が多くなるのはやはり「有名人の自殺」とか衝撃的な何かがあってからだ。
何かあってからじゃ遅いというのは毎回ニュースのたびに言われている。
しかし世間は何かあってからじゃないと気づかないし考えないんだ。

そして、私は同じような内容でお母さんとまた喧嘩をした。
私はただひたすらに学校が嫌な時があるのでその時だけでいいから学校を休ませてほしいと言った。
するとお母さんは、体調も悪くないのに気持ちのことだけで休むのはダメだと言った。
そして何度も何度も休みたいと言った。
その度、病は気から とか、気持ちの問題でしょ とか言われた。

月日が経ったある日、私は学校で過呼吸になって倒れた。
その日お母さんは言った。
こんなになるまで無理させてごめんね
泣きながら言っていた。
私は言葉が出なかった。

お母さんは私のことを大切に思ってくれている。
だからこそ学校を休むのは良くないと言っているし、だけど体調が悪くなるのもお母さんまで辛くなると言う。
それからのお母さんは私を支えようとしてくれた。
寄り添おうとしてくれた。
だけどきっとお母さんの中でも葛藤があったんだろう。
学校を休むのはやっぱり私にとって周りの人との関係を保つためには良くないと思いつつ、無理をして体調を悪くさせたくないから休むべきか、と。
そこまで本気に考えてくれて正直嬉しかった。

だけどその反面、気づいてしまった。
どうしてここまで本気にしてくれるようになったんだろうか。
今まで絶対に学校は休んだらダメと言われていたのにどうして迷うまでにお母さんの心が揺らいだのか。

それは私が倒れたからだ。

あぁ、お母さんもまた世間と同じだったのか。
いや、お母さんみたいな人たちばかりだから世間がこうなのか。
倒れてからじゃないと本気にしてもらえなかったんだ。
何かあってからじゃないと気づいてもらえないし見向きもしてもらえないんだ。
言葉で伝えるだけじゃ限界があった。
伝える側も受け取る側も価値観が違うから少しのニュアンスはどうしても伝わらない部分がある。
しかしそれ以前の問題だった。
言葉じゃ取り合ってもらえなかった。
倒れたという事実がなければ伝わらなかったんだ。

何か起こってからじゃ遅いと言いつつ、やっぱり何か起こらないと気づかないし見ようともしないんだ。

世間がそうであっても、家族であるお母さんはそうであってほしくなかった。
身近な人だけはそうであってほしくなかった。



急ですがこれを読んでくれているあなたに聞きたい。
あなたの周りにはいませんか?
軽い口調でネガティブな発言をしている人だって、本気に受け取られるのが怖いから軽く言ってるだけかもしれない。
だけどそれはその人なりのSOSかもしれない。
日本全国の人のことを考えて欲しいわけじゃない。
せめてあなたの周りの人。
もっと言えばあなたの隣の人。
誰を思い浮かべたでしょうか。
その人の言葉をきちんと受け取ってますか?
一言一言を大切にしてほしいです。
何かあってからじゃ遅いと思うのであれば何かあるかもしれないと気にかけてみてはどうでしょうか。
世間に飲み込まれないように、ちょっぴりだけでも自分の周りの人をよく見てください。
あなたの大切な人だけでもいいから。
他の人はまた別の人に大切にされてるから。
自分の大切な人に本音を言うのは勇気がいるから冗談混じりに言うかもしれない。
だけどそれを「もしかしたら」って思えたら自分の大切な人だけでも守れるかもしれない。
今ならまだ間に合うかもしれない。
もう手遅れだって思ってるそこの君。
手遅れだって思うから間に合わないんだよ。
手遅れじゃない。どうにかなる。
すでに命を落としていたらわからないけれど。
どうして命を落とすまでに至ったのか。
本人にしかわからないだろう。
もし遺書を書いていたとしてもその人の価値観から生まれる言葉は他の人の価値観とは違うから完全に全部伝わることは不可能に近い。
だから真相はわからない。
だけどわからないならわからないなりに考え続けた方がその人も報われると思うんだ。
誹謗中傷だって決められてエンディングを迎えるより、もっと複雑な気持ちがあったんじゃないかって考え続ける方が永遠に誰かの心に残り続けるはずだ。

だから私は今日も考え続ける。
私の大切な人だけでも守れるように。
大切な人を大事にできるほどの強さを持ち合わせれるように。
大切な人のことだけは世間とは同じに考えないように。

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