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『舞いあがれ!』桑原亮子さん×俵万智さん 短歌対談

こんにちは。
私は、大阪放送局のツイッターを担当している“中の人”です。

いろいろな番組を見て、「こんな番組があるよ」と感想などをツイートしているのですが、朝ドラ『舞いあがれ!』は、作品の中に登場する短歌が素敵すてきだなと思って見ていました。

脚本を担当された桑原亮子さんは歌人でもあるということを放送期間中に知り、驚きと納得を感じたのを覚えています。

そして、朝ドラ『舞いあがれ!』と一緒に楽しんでいたのが、歌人・俵万智さんのツイートでした。

ドラマの内容に反応し、時には登場人物が詠む短歌を想像してのツイートにも、短歌の自由さや楽しさを教えてもらったように思います。

ツイート画像 俵万智さん

最終回放送の3月31日に東大阪で行われた『舞いあがれ!感謝祭』に、桑原さんも俵さんもいらっしゃるということで、「これは2人の短歌トークをぜひ聞きたい」と思っていたところ、初対面の歌人2人の対談が実現することとなり、恐れ多くも対談の聞き手にもなり、今回の記事を書くことになりました。

私はドラマ制作スタッフではないので、『舞いあがれ!』と短歌を半年間楽しんだ視聴者として、たっぷり話を聞かせていただきました。

その内容をここでお届けします。

桑原亮子さんと俵万智さん

俵さんの『舞いあがれ!』短歌ツイートを見ていた桑原さん

――ドラマと併せて、俵さんのツイートもいつも楽しみにしていました。

俵万智さん:ほんとに『舞いあがれ!』に夢中になりました。ただ、見はじめた時は、途中で、貴司くんが短歌を作るようになるとは、思ってもみなかったです。

はじめは、五島の子育てとかに共感して、私も石垣島で子育てをしていたので、島ってこうだよねって思ったり。

そして、高校の同級生で航空大学校に進んで、国際線のパイロットになって、CAさんと結婚した、柏木のお父さんみたいな友達がいるんですけど、そういう親近感もありながら夢中で見ていたら、さらに貴司くんが短歌をつくることになって、もうそこからますますのめり込んでいきました。

きょう最初に桑原さんに聞きたいんですが、私が妄想でいろいろ短歌を詠んでいたのは、ご存じでしたか?

桑原亮子さん:もちろんです。一番初めに詠んでくださったときに、家族や知り合いから一斉にメールが来まして、「俵万智さんが詠んでくださっているよ」と。

拝見したら、「ほんとだ!!」と思って。もう、すごくうれしい中に、「どうしようどうしよう」という気持ちがあって。

というのも、これから私が作った短歌が出てくるのを、俵さんがご覧になっているということに気づいて。

なにも考えずに、一生懸命投げていたルーキーが、急に客席に、大谷翔平選手を見つけたみたいな気持ちでした。

俵:ちょっとそれは、光栄すぎる例えです。
きょうはお目にかかれたら、「私の短歌がウザくなかったですか」っていうのだけ、まず聞きたいなと思って。

桑原:そんなことないです。すごく楽しくて。

俵:よかったです、それが聞けて。大阪に来た甲斐かいがあります(笑)。
本当に自分でも、「自分、なにやっているんだろう」っていうぐらい妄想が止まらなくなってしまって。

桑原さんもそうだと思うんですけど、短歌って心が揺れるときに生まれるものなので、本当にこのドラマに、心をたくさんたくさん揺らしてもらった副産物なので、お許しいただけたらと思っています。

桑原:一番怖かったのが、貴司くんが告白する回の日(2/17)、放送前に俵さんが、短歌をツイッターに残して下さっていたことがあって。
私、「どうしよう」と思って。
これから自分の短歌が出てくるのに、その前に、すばらしいのが出ちゃってると。

「千億の星の一つになりたくて心が空を舞いあがる夜」
「一瞬の君の微笑み永遠にするため僕は歌い続ける」

2/17 午前6時に俵さんがツイートした2首

俵:その日絶対、貴司くんが舞ちゃんに告白するに違いないって、流れでは分かっていたんですが、その日の放送時間、飛行機で仙台から福岡に移動だったので、もう本当にその時間どうしても見られないっていうので、そのことを思っているうちに妄想が膨らんで。

勝手に朝、短歌をツイッターに投稿していったら、その日の『あさイチ』で博多大吉さんが、その短歌を番組で紹介するということが起きて、飛行機降りたら、迎えの人が「大変です!」って(笑)、何が起こったんだろうっていう感じだったんですけれども。

桑原:その日、俵さんのツイートの短歌を見て、すごくうれしいと思ったんですけど、プレッシャーがすごくて…。

もう模範解答が出ているのに、いまから何を言うんだという。

俵:いやいや。私が詠んだ歌は、あの場面に特化した歌だったと思うんです。

七夕の夜だと思って、そんな歌を作ったんですが、やっぱり桑原さんの歌は、貴司の立場で詠まれていて、これからの長い人生を見据えた、時間をかけて、一生かけて、君のことを知っていくっていう、プロポーズのような歌だったので、さすがだなと思いました、ほんとうに。

「目を凝らす、見えない星を見るように一生かけて君を知りたい」

96話で貴司が詠んだ短歌

脚本と短歌をどちらも作るということ

俵:『舞いあがれ!』の中に、短歌を詠む人を登場させるというのは、どういった思いからだったんですか?

桑原:まず短歌ではなくて、歌人さんを登場させたいなという気持ちですね。

『舞いあがれ!』の企画が始まってすぐのときに、主人公は空に憧れる女の子というのが結構早くから決まったんですけど、相手役の人はどういう人がいいだろうかと悩みました。

これはまだどこにもお話してないことなんですけど、いろいろな職業があり、こういう人はどうかなということを話し合う中で、私がこれまでに出会ってきた、若い歌人の方々を思い浮かべまして。

みな誠実でやさしいんですよね。すごく細かいところまで見ているんだけど、あまり大きな声で言わない。

でも素敵な人がいっぱいいらしたので、一生懸命、空に向かっていく主人公には、そういう、勝とう勝とうとしていない男の子がいいなっていう思いから、歌人を出したいということになったんです。

私は最初、自分でその短歌を詠むとは思っていなかったんです。

途中で短歌賞を受賞して、プロになっていく男の子ということだったので、自分の短歌を出すと、「私の短歌は賞を取れるぞ」みたいな感じになるので、そんな図々しいことはできないと思って。

どなたか歌人の方が協力してくださるんだと思っていると、「それは桑原さんにしか生み出せないと思うので、ぜひ書いていただきたい」、ということになって。

それで一番初めに書いたのが、五島の朝の浜辺で貴司くんが詠んだ、「この道をいく…」という歌だったんですけど、最初はもう少し歌人寄りというか、もうちょっとこなれている感じの歌だったんですね。

でも、「これは最初の歌なので、もうちょっと拙い方がいいんじゃないか」とご指摘を頂いて、「拙い短歌を書くのか…」と悩みました。

歌を作っていて、わざと拙く作ろうとすることってあまりないじゃないですか。

「星たちの 光あつめて 見えてきた この道をいく 明日の僕は」

33話 貴司が詠んだ短歌

俵:いやー、それはいい話聞けました。 貴司が最初に作った歌は、たぶんそういう狙いで作られたんだろうなと思ったんです。

すごくいい歌なんだけど、肩に力入っている感じでちょっと初心者っぽくて。初めのうちは特に、星とか光とか道とか、こういう大きな単語を使いがちなんですよね。

ドラマの中で最初から貴司君が、賞を取るようなうまい短歌を作っていたら、すごく違和感があるので、一番初めに出てくる歌としてぴったりだなと思っていました。

『舞いあがれ!』に出てくる歌は、一首一首のよさっていうのに加えて、貴司君のだんだん上達する感じとか、時々紹介された、秋月さんの格調高い歌とか、登場人物による詠み分けっていうのがすばらしいなと思いました。

これはやっぱり物語の作者じゃないとできない技ですよね。

桑原:一番初めに出した短歌を「もうちょっと拙く」と言われた瞬間、「そうか、物語に短歌をいれるってこういうことか」というのがつかめた気がしました。それからは、この人はどういう歌を詠むだろうかということを考えるように変えていきました。

脚本を書くことと短歌を詠むことって、似ているようでぜんぜん違うんですよね。

短歌を詠むことは、バレエを踊るようなもので、脚本を書くことは、ボールを奪われないように、一生懸命ゴールの所までボールを運んでいく、バスケットボールのようなものだと感じているんです。

でも、キャパシティという、私の狭い体育館を、その2つが取り合うんです、脚本を書くのと、短歌を書くの2つで。短歌を詠んでいるときは脚本を書けないですし、脚本を書いているときは短歌が詠めないという状態になりました。

短歌って、自分の表現を一生懸命磨いていくということですけど、脚本は、いろんな制約をいかにくぐり抜けて、ゴールまでボールを守って運んでいくかという感じです。

私はもともと「塔」短歌会で短歌を作っていたんですが、脚本を書き始めたときに辞めてしまって。

明け方まで脚本を書いていて、そのあと短歌を詠む時間というのが作れなくて、やっぱり両立がしにくいと思ったのが理由でした。

俵:桑原さんの今の話、すごく興味深いです。桑原さんは、まるで舞ちゃんみたいだなと思いました。かつて短歌を作っていて、脚本を始めてからは短歌をやめたんだけど、またその短歌を作ることが脚本の中で活きるというのが。

まさに舞ちゃんが、飛行機のパイロットをかつて目指していたことが後に役立って、最終回で空飛ぶ車を操縦している、というのが重なって感じられました。「塔」短歌会をやめて、脚本に集中されたけれど、短歌をつくってきたことが無駄じゃないっていうか、むしろ活かされるっていう、リアル舞ちゃんだなあと、いま思いました。

それと私も、恥ずかしいんですが、一時期、劇作家のつかこうへいさんのところにいりびたっていた時があって、そこで「舞台の脚本、おまえ書いてみろ」って言われて、真似まね事でですけど、脚本に挑戦したことがあったんです。

その時、短歌と脚本ってベクトルが逆向きだっていうことを思ったんですね。短歌は1つの言いたいことに向かって、どんどん言葉を削っていく作業なんですが、脚本は1つの言いたいことのために、その周りをどんどんつくっていく。

登場人物が、作者の言いたいことをいきなり言ったらドラマにならないですよね。短歌はモノローグで、脚本はダイアログの中で、思いを伝えていく。脚本は言葉を積み上げていく作業だなって思って、本当に同じ言葉の表現だけど、方向性が全く違うと思いました。

あと今回の桑原さんの脚本の中で、「短歌って一瞬を永遠にしてくれる」っていう舞ちゃんの印象的な言葉がありました。

短歌を作っていると、「言葉は永遠なんだ」っていう気持ちになるんですが、私がチャレンジしたのは舞台の脚本だったので、逆に言葉が一瞬で消えていく感じでした。その日その場で俳優さんが言ったことがその言葉であって、それを取っておけない。

言葉は永遠と思っていたけれど、言葉は一瞬でもあるんだなって感じたことを思い出しました。

「短歌にしたら、一瞬が永遠になるんやろう?」って舞ちゃんが貴司くんに言ったシーンは忘れがたいシーンですよね。

このドラマを通して、ほんと多くの方が短歌の魅力っていうものに触れてくれたっていうのは、歌人としてうれしいことでした。

頼まれてもいないのに作る短歌のぜいたくさ

桑原:俵先生はお忙しい中で、どういう風に歌に100%集中されているんですか?

俵:いやそんな、こんな妄想の短歌を毎朝つぶやいているくらいなので、そんなに忙しくないんですよ(笑)。

やっぱり歌人ってなると、最初は自分が好きで書いていたものがだんだん仕事になって、頼まれて書くようになりますよね。それはありがたいし、幸せなことではあるんですけれども、今回、私は自分で勝手につぶやいていて、頼まれもしないのに歌を詠む楽しさっていうのをすごく感じました。

それって一番原点だし、一番ぜいたくなことだなっていうのを感じて、そういう時間を持たせてくださった桑原さんに、本当に感謝しています。

桑原:恐れ多いです。ありがたいです。

歌を詠み始めたときって、自分の心が動いたものをそのまま歌にできますものね。誰かに頼まれて、締め切りはいつまでに、ということもなく。

こういうテーマだからこう詠まなきゃとか、そのような条件の縛りもないというのは、すごくまっさらな世界が広がっていてわくわくしますね。
何を詠んでもいいんだっていう。

――初めて意識して短歌を詠んだのはいつですか?

桑原:初めてというのは小学生のときです。
学校の授業で短歌を習って、その時に「短歌を作ってください」という宿題が出るんですよね。その短歌の授業が心に残っていますね。

たくさん好きな歌があったんですけど、「今何を考えている菜の花のからし和えにも気づかないほど」っていう俵さんの歌を読んで、菜の花のからし和え、というのを食べたことがない時に、その歌に出会って、どんなものだろう?と思ったんです。

恋の歌もそうなんですけど、自分の人生にこれから出てくるものが、まず歌の中に出てきたというときめきというか。小学生なのでまだ何もわかっていなかったんですが、本当に素敵だと思っていました。

俵:そうね、菜の花のからし和えは、小学生は分からないかもしれないですね(笑)。小学生のころに読んで、そう感じてくださってうれしいな。

私も高校の時は、ちょっと宿題とかクラブ活動とかでつくったりしましたが、やっぱり意識して作るようになったのは、大学生になってハタチ頃に佐佐木幸綱先生の授業を聞いてからですね。

作り方としては、そのころも今も、そんなに変わってはいないんですが、ただそれが、締め切りがあるものとか、仕事になってくる。

仕事にできる幸せはあるんだけれど、頼まれてもいないのに作る自由さというのは、大人になるとなかなか持てないものなので。
今回は楽しかったです。

――仕事として短歌を詠む。貴司くんにとっては編集者のリュー北條が出てきたあたりからですね。

俵:リュー北條には、モデルにしたような人はいたんですか?

桑原:いないんです。私は歌集を出したことがなくて、編集者さんというのを知らなかったんです。

リュー北條さんのモデルはいないんですけど、でも短歌をよく分かっている人にしたいと思いました。たぶん貴司くんと秋月さんのやりとりだけでは、ドラマを見ている方が分からないと思ったんですよね。

なので視聴者の立場から、「二人だけで通じ合ってればいい」と冷たく突き放したり、「本歌取り、全然分からないよ」とツッコんでくれたりする存在が必要だと思ったんです。

リュー北條さんは書いていてすごく楽しいキャラクターで、リューさんがしゃべるシーンの脚本を書いているとき、リューさんのセリフがどんどん出てきて、それを書く手が追いつかないんですよ。

割と脚本というのは、初稿から最後の稿まで、いろいろな直しをする作業があって変わっていくものなんですが、リューさんは最後まで初稿のセリフが生き残っていることが多くって、リューさんの言いたいことがそのまま、役者さんのセリフになっていったということがありました。

俵:確かにリュー北條がいることで、短歌への理解が深まりました。

最初出てきた時は、もう彼から貴司くんを守らなくちゃっていう気持ちで見ていたんですが、リュー北條さんがどういう人か、だんだんドラマの進行とともに分かってきて、最後すごく好きになれました。

貴司くんが書いた随筆『トビウオの記』も、ちゃんとリュー北條の長山出版から出ていましたね。あれぐらい突っ込んでくれる人、編集者っていうのも、ありがたいですよね。

『舞いあがれ!』に「本歌取り」が登場するまで

――リュー北條がいて、秋月さんも出てきて、特に短歌が印象的だったのが第20週。そこで「本歌取り」が出てきました。

もともと第16週で出てきていた「君が行く新たな道を照らすよう千億の星に頼んでおいた」、この歌が、実は、「君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも」狭野茅上娘子さののちがみのおとめの本歌取りだったということに驚きました。

伏線になっているので、簡単に本歌取りだと気付かれてもいけないということもあったと思うんですけど、この歌はどういう風に生まれたのでしょうか。

桑原:「君が行く新たな道を照らすよう…」っていう歌は、舞ちゃんが、お父さんを亡くして、パイロットをあきらめて、営業の仕事を始めたという時期、周りを見渡すと久留美ちゃんは八神先生と付き合い始めてもいるというときに出てくる歌です。

舞ちゃんが明るい雰囲気でがんばっていても、いろんな複雑な気持ちを抱えている中、夜道を戻ってきたときに、家のポストにどんな短歌があったらうれしいだろうというところで、貴司くんならどんな歌を贈るだろうかと考えたときに、この歌が出てきました。

貴司くんは、このころには舞ちゃんに対して少し特別な気持ちが生まれていて、これまでの幼馴染なじみ以上の存在として見ているという気持ちをどこかに隠しておきたくて。気持ちを隠すなら短歌の中だと。

本歌取りは、ほかの先行作品の雰囲気とか気分とかを取り込めるものなんですけど、寺山修司の「ふるさとのなまりなくせし友といて モカコーヒーはかくまで苦し」(石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」を本歌取りしている)くらいだと、見ているみなさんに簡単に気づかれてしまう、”本歌取りし過ぎている”ことになるので、もうちょっと軽い本歌取りの歌をと。そういうことを考えながら、この一首になりました。

この歌が本歌取りだというのは、原稿を出すとき、他の方、プロデューサーさんにも言っていませんでした。このあと本歌取りのことを説明する人が出てきて、その時、この歌が本歌取りだということがやっとわかるというふうにしたくて。

でもそれが通じるかどうかは、どなたか最初に試していただかないといけないので、何も言わずに原稿を渡しました。

秋月さんが「恋の歌が一首だけあります」と、「これです」と言った時に、プロデューサーさんがわかってくださるかなと思って、もし「これはわからないよ」とおっしゃったら、もう本歌取りはやめようと思っていたので、賭けというか、どきどきしました。また、短歌の本歌取りというのは、一般の方に馴染みがないものなので、出してしまうと自己満足にならないかなというのがあって、本当に心配していました。

でも、みなさんが面白がってくださったので、うれしいなと思いました。

俵:私も最初この歌を読んだ時は全然気が付かなくて、あとで「そこに仕込まれていたか!」っていう。だから、桑原さんや制作者側の思うつぼでした。 「ああ、そうだったか!」って思って楽しみました。

私も「サラダ記念日」に「そのかみの狭野茅上娘子さののちがみ の おとめには待つ悲しみが許されていた」という歌を詠んで入れているくらい狭野茅上娘子のことは読みこんでいたんですが、貴司くんの本歌取りにはちょっと気がつけなくて。

でも、気が付けないってないってことがいいんです。
あとで分かるっていうタイムラグがまさに仕込まれていたわけだから、そういう意味でドラマを楽しませてもらったし、秋月さんにはかなわなかったっていうのも、すごく面白かったです。

――秋月さんも、貴司くんに恋をしていたから気づいたんですかね

俵:そうでしょうね。

桑原:これはもう、秋月さんにしか気づかれないくらいのもの。
本歌取りと言えるかどうかも、アウトかセーフかギリギリくらいのものなので、たぶん。

これは本歌取りじゃないと言われたら本歌取りじゃないし、本歌取りだと言われたら本歌取りだと言われるくらいの、テニスのサーブがラインにかかっているかどうかぎりぎり、のような。

俵:そうそうそう。だから、例えば「君が行く」で始まる歌は、この狭野茅上娘子の歌以外にも、あると言えばあるので。

だからちょっと秋月さんの妄想込みで、本歌取りに見えたっていうことも、実にドラマとしてはあり得ることだと思うんですよね。あからさまな本歌取りではないです。

いやあ…面白いね。こういう話をしていると、いくらでも話せますね。

“私の歌”ではなく、“登場人物の歌”を詠むこと

――今回の『舞いあがれ!』の中では、桑原さんの心ではなく、貴司の気持ちで、しかも性別が違う人の恋の心を詠まなきゃいけないということがあったと思うんですが、どうしたらそんな難しいことができるものなんですか?

俵さんも、今回のツイートの中の短歌で、自分ではなく他人の気持ちやシチュエーションに合わせて想像の中で歌を詠むっていうことは、自分の身の周りのことを詠むのと違うものでしょうか?

俵:つくづく思ったのは、そこが私はできなかったっていうか、桑原さんのものは本当に貴司くんの歌だし、秋月さんの歌だなって思うんですね。

私の妄想で作った歌は、結局私の歌なんですよ。特に秋月さんの歌なんか、自分の妄想で楽しく詠んだけれども、私が秋月さんのつもりで詠んだ歌は、結局自分印だなって思いました。

そこが物語の作者のすごい底力っていうのかな。秋月さんの歌が、本当に秋月さんが詠んだとしか思えないように詠めるっていうことは、歌人であると同時に脚本家なんだなっていうことをすごく思いましたね。

自分個人の楽しみではあったんですけれども、「一目瞭然で恥ずかしいわ、私」と思って。どう見ても私の歌は私の歌だなって。

だから、その秘密を私も聞いてみたいですね。脚本家が登場人物に成り代わって歌を詠む技術っていうのはどうやったら身につけられるんだろうって。

桑原:これは、この点に関してだけは、脚本と短歌というものをすごく近く感じました。

というのは、脚本のセリフを書くときは、その人物になったつもりで、人物の気持ちで書いているので、貴司くんのセリフを書くときは貴司くんの気持ちになっているので、それは歌になっても変わらないですね。気持ちのまま、そのまま短歌を詠むという。

セリフと、脚本に出てくる短歌というのも、そこまで区別をしていなかったです。

俵:ふだん脚本でそれをやってらっしゃるわけですもんね。貴司くんの言葉、舞ちゃんの言葉、年配の人の言葉でも、みんなご自身で書いているわけですもんね。

――当初、桑原さんは、短歌は誰か別の歌人の方が書くと思っていたという話もありましたが、例えば「この歌は、俵さんお願いします」っていう風なことがあったとしたら、俵さん、それはどうですか?

俵:いや、できんできん(笑)。いやいや無理無理、無理だと思う。

だからやっぱり、脚本を書かれている桑原さんご本人が書かれたというのは大正解じゃないですか。桑原さんがおっしゃったように、登場人物のセリフを、その人の肉声を書いている人だからできることだと思います。

でも、それができる人はそんなにいないですよね、脚本家が誰でも短歌を詠めるってことはないわけですから。

桑原:そう言っていただけたら、うれしいです。ありがとうございます。

俵:いや、すごいよ。つまり紫式部なんですよ。

桑原:いやいや、そんな。

俵:源氏物語も、紫式部が全部書いていると思うと、ぞっとするっていうか、すごいなこの人って思います。紫式部も歌人であったし、物語作者だったからできたことだと思うんですけれども。

本当、うじうじした男には、うじうじした歌を詠ませ、歌がうまいっていう御息所には、「御息所、さすが!」みたいな歌を、紫式部は書いているわけです。

私たちが物語を読んでいる時は、当たり前に読んでいるけど、一歩引いて「これ同じ人が全部作っている」って思った時にすごいなと思うんですけど、それを桑原さんは現代のドラマでなさったっていう風に私は思っています。

桑原:すごいお名前が出てしまって、もう…、とんでもないです。

俵:何か、引用されるとかはありますけど、全部オリジナルの短歌ってないですよね、たぶん。

――『舞いあがれ!』のためにかなり歌を作られたと思いますが、作ったけれど登場しなかった歌もたくさんあったりするんですか。

桑原:原稿用紙で少しだけ映るという歌も、結構あったりして。

俵:そう!新聞のとか。拡大して見ちゃったりとかしました。

桑原:画面に映せるような短歌を、1日に50首とか詠めるわけがないので。私は、いつか歌集が出せたらいいなと思って、とっておいていた自分で書いた歌があったんですね。

そこから、同じ歌を、貴司くんだったらどう詠むだろうかと詠み変えたものとかもありますし、自分が書いた歌というのも、特に、秋月さんの歌は、自分の書いた歌の中から、「秋月さんならこれを詠むかもしれない」というものが入っています。

俵:じゃあやっぱり、歌の文体は、秋月さんが一番近い感じなんですかね、桑原さんの歌って。

今後の貴司くんは…?

――貴司くんが最後、随筆を書くということになりましたが、貴司くん、今後どういう歌人になっていってほしい、なっていくだろうというイメージを持っていますか?

俵:リュー北條も一生かけてずっと付き合ってくれそうだし、彼に任せて安心だなと思いました。

ちょっとツイッターでも言いましたけど、私、歌集が7~8年空くの、ザラなんですよ、本当に。

だからのんびり、自分の暮らしの中から歌を紡いでいけばいい、慌てなくていいっていうことを、多分パリで感じて戻って来たんじゃないかなと思いますね。

桑原:貴司くんがパリで随筆の方にかじを切ったのは、やらなくてはいけないことができないときに、短歌が生まれてこなくなっても、ちょっと違う道を進んでみて、歌が生まれてくるまで待ったらいいじゃないかという意味合いでした。

きっとこのあと貴司くんは、歌も作れるようになると思うので。
ほかの誰も見たことがない世界を、色んな人に見せられるような歌人になっていくんじゃないかな、そうなってほしいなと思います。

俵:実際撮影の現場にいらっしゃったりすることはあったんですか?

桑原:現場にうかがったのは、脚本が書き終わったあとに、最後、福原遥さんが撮影を終えられるときに行きました。

私なんて、2年間モグラみたいな生活をしていたわけなので、暗いところから急に明るいところに出てきて、倒れそうという感じでした。

俵:桑原さんの作った世界が目の前に。それはすごく羨ましい、なかなか味わえない感覚ですよね。自分が脚本で書いた人物が本当に俳優さんで立ち上がってくるっていう。

すごく大勢の人が見ているから、色んなところを気にしないといけないとか苦労もあると思いますけれども。
ドラマの力っていうかな、すごく感じますね。

朝ドラの思い出

――俵さんはツイートでほかの朝ドラにも触れていたことがありますし、桑原さんも朝ドラを学生時代からご覧になっていたと聞きました。

過去の朝ドラで何か思い出に残っている作品はありますか?

俵:私の小さいときだと、『鳩子の海』(1974年度)とか、『おしん』(1983年度)とかそのあたり見ていました。

ちょっと自分の興味関心のあるテーマだなっていう時は続けて見たりして、『瞳』(2008年度)は、養子縁組の話に興味があったり、月島に住んでいたことがあったりしたので見ていました。あの時はお祭りのシーンの撮影の時に、息子と一緒に写真撮ってもらったことがありました、西田敏行さんと前田吟さんと、勝村さんとの写真が今でもあります。

『あまちゃん』(2013年度)も見ていたし、『半分、青い。』(2018年度)も見ていたなあ。
『カムカムエヴリバディ』(2021年度)はハマって見ていましたし、結構見ています。

すごくたくさんの人が見ているから、共通の話題になりますよね。それが楽しいし、今回はさらにSNSで、横につながる感じの面白さっていうのかな。それも新しいドラマの楽しみ方として感じましたね。

桑原:好きな作品はたくさんあるんですが、学生時代には『ええにょぼ』(1993年度)を見ていました。戸田菜穂さんが主演で、京都の病院が舞台だったんですけど、それを学生のとき見ていました。

私は京都の丹後半島がとても好きで、子どものころからよく連れて行ってもらっていたんですけど、ドラマが終わった後も、ずっとポスターが漁港とかに貼ってあるんですね。だんだん色あせてはいくんですけど、ずっと貼ってあって、こういうふうに愛されているんだというのが、印象に残っています。

『ええにょぼ』は作者が、東多江子さんという脚本家の方なんですが、私がラジオドラマの賞をいただいて、上京して授賞式に出たときに、審査委員が東多江子さんで、式にいらっしゃっていました。

朝ドラを書かれた脚本家さんに会うのは初めてで、「自分が学生時代に見ていたものを書いた人がここにいる」ということで、なにか遠い存在として、東さんを遠巻きに見ていたんですけど、飲み会で横に来てくださって。

私は奨励賞という賞だったので、ドラマが制作されるものでもなかったんですね。そんな若手脚本家に、すごく親身になってお話して下さって、その時のことを今でも忘れないですね。ほんとうにドラマを書いて、それが放送された方がここにいらっしゃるんだなあと。

脚本家さんって優しい方が多いですね。それなのに、すごく過酷なことをされて頑張っていらっしゃるという……。

いろいろな先輩方から、ちょっとずつ力をいただいて、今回の作品を書けたと思います。

俵:きょう最終回の放送があって、ゴールテープを切った気持ちでいましたけど、明日からどうしようって思って。
舞いあがれ!ロスですね。

桑原:ほんとですか?ロスを感じていただいている?

俵:それは感じますよ。

これからも朝ドラ短歌お願いしますとか言われても、そんなの無理無理と思って。 『舞いあがれ!』だからできたので。短歌がこれだけフューチャーされたドラマって本当になかったと思うんですよね。

短歌界を別に代表するわけじゃないけど、お礼をいいたいぐらいの、楽しいドラマでした。

――どうも、ありがとうございました!


盛り上がった対談は1時間以上になりましたが、本当にあっという間でした。

俵さんの短歌に小学生のころから親しんでいた桑原さんと、桑原さん脚本の『舞いあがれ!』をずっと見ていた俵さん。
2人の話をもっと聞いていたいと思いました。

ドラマの話も、短歌の話も、お2人の話をできるだけ全部お届けしたいと、この記事もかなり長いものとなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

実はわたしは、大学で短歌の授業を受けていたことがあり、今回の『舞いあがれ!』をきっかけに久しぶりに短歌を作ってみたいなという気持ちになりました。

もしかしたら、大阪放送局のツイートに31文字が出てくることがあるかもしれませんが、温かく見守っていただけるとうれしいです。

これからも言葉を楽しく考えながら、「あなたに届け!」という思いでつぶやき続けようと思います。
大阪放送局のツイッターも、よければフォローしていただけたら。

あなたの1つのいいね!に小躍りして舞いあがります。

大阪放送局ツイッターの中の人(の一人)
ドラマ・アニメ・陸上競技(中長距離)を推しがち。ラジオをよく聞いている人。これまでつぶやいた主なツイートシリーズ「あなたのブツが、ここに」、「拾われた男」、「タローマン」、「うたコン(マクロスF回)」、「競馬菊花賞(2021年)」、「全国高校駅伝」、「全国女子駅伝」など

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総集編の放送は…
●総合 5月5日(金・祝) 午後1:05-2:30(前編)/午後2:30-3:55(後編)
●BS4K 5月6日(土) 午後1:00-2:25(前編)/午後2:25-3:50(後編)


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