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たいして海外にも行かない自分が、旅とインターネットの世界にこだわり続ける理由。暫定的で不完全な答え。


最近ずっと考えている。

結局自分は何がしたい人間なのだろうと。

自分が選んできた道は、なぜ選んだのか?

単純にワクワクしたから。

うん、そりゃそうなんだが、、本当にそれだけだろうか。


「好きなことで生きていこう」的な時代の流れに身を委ねて、ずっと蔑ろにしてきたもの。今の自分を突き動かすものの正体。「好きだから」という無敵の動機と表裏一体にあるそれは痛みなのか、はたまた野心か反骨心か。

外出自粛により生活に余白ができた。日課になった散歩がてら、今までぼんやりと自分の中にあったものと向き合ってみることにした。


旅とインターネット

今の自分が何をしているかというと、本業は旅人向けのC2Cアプリを運営する会社で働いている。

自分の役割は、ユーザーとあらゆるチャネルでコミュニケーションをとり、プロダクトをより改善するための情報を集め、そして多くの人に使ってもらうこと。


そこで、2019年に入社したタイミングでアドレスホッパーになった。たった26Lのバックパックに全荷物を収めて、ゲストハウスやホステルを転々と泊まり歩く生活をはじめた。

毎日、宿で出会った旅人たちに自分たちのプロダクトを使ってもらったり、改善するための意見をもらったり。そんな風に、帰る家を旅先にすることで、ただ生活しているだけでユーザー層の旅人と出会えるようになった。


こう書くと仕事のために生活を犠牲にしているようにも見えるが、自分がそういう旅暮らしに憧れを抱いていたからこそである。笑

今は周知の現状につきアドレスホッピングは自粛中だが、まあそんな生活を1年ちょっと続けたわけだ。


最近は個人で、旅暮らしの情報を発信するウェブメディアを立ち上げてみたり、Soft. Guest house というコミュニティの運営に携わりはじめた。家にいながら全国のゲストハウスのオーナーや、旅人と話せるというオンライン旅イベントの運営を手伝っている。


こんな具合に、やっていることを一言で言うと、旅するような暮らしをしながら、旅のインターネットサービスを創っている というのが今の自分だ。


なぜその世界に居続けるのか

単純に旅が好きだから。ひとつの場所やコミュニティに縛られることなく、日常の中でもっと旅ができるような世の中をインターネットを通じて創りたい。

今までは聞かれたらこう答えてきた。もちろん本心である。


ちなみにここで自分の言う「旅」とは、観光などを目的とした旅行のことではなく、世界中の多種多様な人(人種・性別・文化・宗教)と、一期一会の繋がりを持つ体験 という意味だ。


けれども「何で旅とインターネットじゃなきゃだめなの?」と強めに踏み込まれた時に、毎回詰まる。

「いや、だから好きだから…」

そう言ってしまえばそれ以上は問われないが、その度に思考停止した回答をしてしまった申し訳なさと、なかなかに考えさせられる機会をいただく。


「好き」という感情の奥にある、無条件に居心地の良さを感じる正体について考えた。旅とインターネット、自分にとって共通しているものは何なのか。


旅は好きだけど、じゃあ何でゲストハウスのスタッフはやらないのか。

インターネット好きだけど、じゃあ何で旅以外のWEBサービスにはときめかないのか。


自分の過去と照らし合わせながら振り返った時に、ぼんやりと浮かび上がったもの。この2つには、自分がどうしようもなく苦しい時に助けてもらった「恩」がある。

ハッキリとはわからないが、これがもしかしたらひとつの答えなのかもしれない・・


ぼくは 「居場所がない痛み」 に寄り添いたかったのかもなあ


思い返してみれば、今の会社に入る前、フリーランスであまり仕事がなかった時にTwitterとInstagramをはじめた。(おそらく社会に居場所を感じなさすぎて情報発信をしようと思ったのだと思う。笑)

Twitterではまだ見ぬ人と繋がることができ、自分の発信する情報や想いに共感し、価値だと捉えてくれる人がいた。Instagramで身の回りの何気ない日常を投稿するだけで、海外のフォロワーたちが喜んでコメントをくれた。

自分にとっては一片の価値も感じていなかったものに、彼らは確かに価値を見出してくれたのだ。


「承認欲求」というあまり良い文脈で使われない女々しい表現で片付けてしまえばそれまでかもしれないが、自分にとっては当たり前で無価値だと思い込んでいることも、知らない世界の人にとっては感謝に値するものらしい。そう思わせてもらった。

それはとても小さいことに聞こえるけれども、社会になかなか居場所を見つけることができなかった自分にとっては、人生を救われた経験であり、まだ見ぬ世界の人に小さく居場所を創ってもらったという、インターネットに対する大きな「恩」なのだ。


ゲストハウスを転々とする暮らしも然り。出会った旅人に好きなラーメン屋を教えるだけで全力で喜んでくれる。日本語の練習相手になってあげるだけで感謝される。居心地がいいと思ったゲストハウスに一定期間滞在しては、居心地が悪くなればすぐ移動する。また来た時には「お帰りなさい」といつでも笑顔で出迎えてくれる。

「あ、ここに居てもいいんだ」と素直に思わせてもらった。


恥ずかしながら自分は人間関係でとても悩みやすい。昔から人との距離感が近くなると、恐怖を感じて離れたくなる。

「なかなか腹割らないよね?」「何考えてるかわからないよね?」なんて言われた頃には、生涯その人には近づかないと思う。だからこそ距離感が辛くなったら笑顔で立ち去り、自分を取り巻くコミュニティを分散させることができるアドレスホッピングという生き方に居心地の良さを感じるのかもしれない。

しかしそのくせ、周りの人に対して自分が役に立っていないと感じるとすぐに居場所を見失う。思い返せば、今まで属してきた大体のコミュニティでそうなってきた(ダメだこりゃ・・笑)。


まあそんな具合に、居場所のなさと付き合い続けてきたわけで、そんな時に痛みを和らげてくれたのが、旅でありインターネットの存在だったりした。

今携わっている仕事やコミュニティ、そしてアドレスホッピングという生き方。これらに共通しているのは、人種・性別・文化・宗教問わず多種多様な人と繋がることで、居場所のない痛みと寄り添う場(サービス)であるということ。


直接会ってもいいし、無理に会わずにチャットで会話するだけでもいい。

繋がって、ただ話をする。それだけで価値や感謝を言葉にして享受できる。居場所を感じることができる。


そんな風に、小さな居場所と感じてもらえる場を世界中に創りたい。

旅とインターネットで。


無条件に居心地の良さを感じていた理由、「好き」と表裏一体にある感情の正体は「居場所がない痛みを救ってもらった恩」だったのか。

だからこそ、同じような痛みを感じている人がいるとすれば、救われた身として(まだまだ戦ってはいるが)今度は寄り添う側でありたい。

助けてもらった「旅」と「インターネット」というものに対して、小さくとも恩送りがしたい。

だから、「好き」なんだ。


今は、そう思う。



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