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集落の看取りー地震で10年早送りされた能登半島ー

はじめに
今回の文章は、能登出身の方や能登を愛する方には、少しつらい内容かもしれません。
でも真面目に能登半島の今後を考えていくなら、避けては通れない道でもあると思っています。

それは、人口減少と集落のゆくえについて

沖縄県ですら、実は2022年には自然増減数(出生数から死者数を引く数)がマイナスになりました。全国で少子高齢が進んでいて、この傾向が変わるきざしはありません。
働ける世代がどんどん少なくなってきて、ケアが必要な高齢世帯は変わらず多いままです。
全国の傾向がさらに色濃く出ているのが地方都市です。

能登半島は軒並み「消滅可能性自治体」

広大な面積にたいして人口は少ない。
予算と職員を削った結果、行政機能の維持はカツカツです。
そんなところに災害が発生して+αの対応が求められます。
どう考えてもマンパワーが足りない。
高齢者が多い町の社会福祉協議会なのに職員は3名、なども地方あるあるです。

断水が長引き、福祉施設でのお風呂介助も大変に

今、能登半島は社会課題の最前線です。
高齢者ばかりの地域なのに、そもそもヘルパーさんが3人しかいないところもあります。
課題が増えた被災地では、もとの人数でのケアは行き届かない。
二次避難などで多数の利用者が県外に避難したことで、運営継続できないかもしれない福祉施設があると聞きます。
逆に職員が多数避難したために、残りの半分の職員でどうにか運営を続ける福祉施設もあります。
現場は、ギリギリの綱渡りです。

災害をきっかけに、数年分まとめて人口が流出しています。
自活できる若い世帯こそ、能登を離れていると感じるときも。
自治会での地域清掃ができないかも、町の体育祭や神事ができないなど、すでに影響が出はじめているのです。
「このへんの人口は地震で半分くらいになった。一番若い男性は70才だよ」と話す集落もありました。

山奥の集落に続く道路はまだまだ損傷が大きいまま

とある地域の100歳のおじいがいる世帯。
息子世帯(70代)と同居しています。
もともとは地域の小さな商店での買物と、生協さんの個別配送で暮らしていたそうです。
しかし地震で両方利用できなくなり、買物できない状態になっています。
実は、息子さんが徒歩で1時間以上かけて買物をしているところに遭遇、家まで送迎したことがありました。

歯抜けになった集落で、少しずつその機能が失われて住めなくなっていくのだと感じます。

ため息でるくらい、美しい場所がたくさんあります

能登半島は春から秋まで、いつもどこかでお祭りがあるような地域。
別の地域に引っ越したとしても、お祭りには戻ってくるために空き家を手入れしているところも多いとか。
きっと、お祭りが人をつなげる機能になっていた。
しかし、これから先人と人の間をつなぐほどの人口が確保できるか?は不安な部分です。

災害によって集団移転が選択肢となる集落も出てくるはずです。
傾いた家の大半は、たぶん公費解体で更地になります。
能登半島地震からの復旧は、まちをつくり変えるようなものかもしれません。

野菜を作ってあげることが大好きなお母さん

能登半島の冬は雪があり、山と海が近くて住みやすい平地は少ない。
でも、能登を愛して住み続ける人は少なくないのです。
家からは離れられないと納屋で過ごすご夫婦や、自分の家に来いと息子に催促されながらも生活が不便な自宅の畑を愛でるお母さん。
それぞれの能登への愛着があります。彼らが彼ららしい生活を保っていくにはどうすればいいのかを、たくさんの人と考えなければいけません。

仮設住宅にもいろいろなタイプがある

今までは、広い地域にたくさんの人が住み、大きなインフラでその生活を支えていました。
これからは、小さな集落に残るわずかな人のインフラを、どう負担が少なく維持するのかを考えるべきなのかもしれません。
小規模発電、小規模水道…
高齢者が大半を占める場所で、一から作るのはどんなまちが良いのか?

仮設住宅にちびっこボランティアを連れて行くと必ず喜ばれます

どこでも空き家が増え、耕作放棄地が増え、高齢者施設の働き手がいない。
日本中どこにでも同じ課題があって、遅かれ早かれ同じ課題を突きつけられることになるのです。
能登半島は、地震があったから喫緊の課題となっているだけです。

各地で仮設住宅が建設されている

以前、新しくできた仮設団地を訪問しました。
広大な敷地にポコポコ並ぶプレハブ型の仮設住宅。
町のあちこちから、いろいろな集落出身の方が入居しています。
団地の中では、同じ集落の方をお隣さん同士などにして固めて配置しているところも。
支援団体の開催するサロンでは、今まで物理的に近くなかった集落の方同士で交流する姿もありました。
元の集落のつながりは強固ですが、そこに新しいコミュニティが形成されようとしています。

いろいろな手押し車が行き交う仮設団地

そんな場所でサロンを開催すると、集まってくるのはたくさんの手押しカートを押したおばあちゃんたち。
もちろん息子娘世帯と一緒に生活されている方もいますが、独居や高齢者のみ世帯も多いのです。息子や娘は金沢や愛知や大阪にいる場合もあります。

こんな風に倒壊した家屋がかなりある

仮設住宅で会うおじいちゃんおばあちゃんは、自宅を修繕や新築して戻れるのだろうか?と疑問に思ったりもします。そんな疑問が浮かぶくらい、高齢の方が多いのです。
大急ぎで作った大規模なプレハブ仮設住宅に、いろんな地域から人を集めてきてよかったのか。完成までに少々時間がかかっても、最初から長期的に住めるしっかりした住宅を作った方が良かったのでは?という思いがよぎりました。

60代はピチピチ、70代もまだまだ若い

もちろん、簡単に提案できることではないし、正解ではないはずです。でも、全くの間違いでもないのでは?とも思います。
群発地震エリアで、今後の災害発生の可能性も分かりません。
でもそんな前提は、環太平洋造山帯の上に位置する日本国内ではどこでも同じこと。

簡単に「復旧復興」という単語を使うけれど、復興とはどんな形なのか?
能登らしい復興や集落はどうあるべきなのか。

もう右肩上がりの世の中ではない中で、集落の看取りも視野にいれて、被災地に関わってもいいのではないかとも思います。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。 少しでも、災害現場の課題が伝わっていたら嬉しいです。 いただいたサポートは、被災地の現在を伝えるための活動資金にさせていただきます!