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亡き友人を偲ぶ。10年経って友人について書いた。

私はただ〝私〟で生きていく。
彼から学んだことを活かしていくのが唯一私にできることだ。

結局何が原因だったのか分からない。
彼にしか分からない。

2014年2月19日。
10年前の今日。
仕事中にかかってきた電話。
友人の死を知らせるものだった。

相手が何を言っているのか理解できなかったのを覚えている。相手も混乱していた。
初めて同級生が死んだ。
33歳だった。

彼に出会ったのは高校2年生。
同じクラスで出会った。
仲良くなったキッカケは音楽だった。

彼はギターを始めたばかりでバンドを組みたいと思っていた。私はバンドをやっており、どうやって組んだのか?話しかけられたのがキッカケだったと思う。

彼はパンクが好きだった。
RANCIDがお気に入りだったのを思い出す。
彼の影響でRANCIDの〝Time Bomb〟は今でも好きだ。大人になり、彼と一緒にバンドをやりたいと思った原点の曲だ。

私が知っている高校時代の彼は明るく、人を楽しませることができる人。リーダーシップがあった。どこか不真面目にも見える。でもなんとなく憎めない。人を惹きつける魅力を持っていた。私と違う感性に触れた感覚。

不真面目に見えた彼はクラスの委員長をやっていたことがある。遠足の帰りに道のゴミ拾いをしながら歩いたのを覚えている。勉強するタイプには見えなかった。隠れてタバコを吸っていた。

でも根は真面目でいい奴だった。だから私は好きだったのだろう。友達としていられたのだと思う。

大学生となり、私は県外へ出る。彼は県内の大学に進学した。時々、彼の選曲したCD-Rと手紙が独り暮らしの家に届いた。洋楽中心でパンクやスカの曲が多かった。私も好きな曲を集め、CD-Rと手紙で返信した。

帰省した際には会って話をした。
ご飯へ行った。海にも行った。
CDジャケットやTシャツをデザインしたり作ることが好きな奴だった。

時系列は様々だがライブも一緒に観に行った。覚えているのはPOP HILL。東京スカパラダイスオーケストラを観に行った。信じられないことだがブライアンセッツァーオーケストラが金沢にやってきたのを観に行った。ドイツのネオスカバンド。〝ngobo ngobo〟が来日した時には三重まで車を走らせた。

彼は自分でスカのバンドをやりたかったのだろう。ライブハウスの前でチラシを配り、メンバーを集めていたのを覚えている。その甲斐あって彼は2004年ネオスカバンド〝イナセ交進曲〟を結成した。彼はギター、ボーカルを担当していた。

人数が増えると難しい。なかなかやりたい事がうまくいかないと話していた。当時の私はベースを弾かなくなり、音楽は聴くだけになっていた。「そうなんだね」とただ話を聞くことしかできなかった。

初めて高校生の時に組んだバンド。メンバーを集めるのは大変だった。人間関係が一番大変だったのだと思う。〝私〟がそうだった。私は大学生の時、人間関係が面倒になったこと、上手い人、他人と比較して音楽を辞めた。音楽とは音を楽しむもの。私が楽しまなかったのだ。

2007年。キッカケは彼のバンドのベースが抜けると聞いた。彼と一緒に音楽をしたいと思ったので私から頼んで入れてもらった。

最初はコピー曲、カバー曲、オリジナル曲を織り交ぜてライブをしていた。

少しずつオリジナル曲が増え、コピー曲を演奏しなくなる。オリジナル曲中心。

ライブの本数も増える。
多い時には月3、4回ライブに出ていたこともあると思う。

バンドの全体練習は週2回あった。リズム隊だけでの自主練もした。ベースラインを自分で作らなければいけない。メンバーそれぞれ普通の仕事をしていた。練習は夜遅く、日を跨ぐことが多かった。

練習やライブの本数は増える。
誰々からの誘いだから出る。
オリジナル曲を作らないといけない。
やる事が増えてしんどかったのを覚えている。それでもバンドを辞めなかった理由。
若かった。苦しくてしんどかった。それ以上にライブやみんなで音を出すのが楽しかったのだと思う。

バンドの良さ。1人では出来ないこと。
男女7人編成。年齢はほぼ同世代。ギター、ボーカル。ドラム、ベース、キーボード、テナーサックス、アルトサックス、トロンボーン。人が持つ個性、楽器の個性が混ざり合う。性格も音も合う、合わないがあった。あった時の一体感、調和した心地よい感覚は1人では味わえないことだった。

しかし私自身では完璧に演奏は一度もなかった。ベースのフレーズを飛ばしたり、忘れたりした。ライブでの緊張感、一体感は何事にも変えられない体験。私の身体に色濃く残っている。

不調和という調和。
あの7人だからできた音。

オリジナル曲の制作。
曲の骨組み、全体図はギターボーカルの彼が作る。録音したCDを持ってきてメンバーみんなに聴かせる。几帳面な性格。メンバー全員にCD、コードを書いた紙を配っていた。

彼の音源を元にギター、ドラム、ベース、キーボードのリズム隊で合わせる。

ホーン隊。テナーサックス、アルトサックス、トロンボーン。管楽器のメロディは彼とホーン隊で考える。

私は自分のパート。ベースラインを作る事がしんどかった。オリジナル曲だから自分次第。自分で納得、自信を持てばいいのに他人と比べた。周りには上手いバンド、ベーシストがたくさんいた。

ホーン隊は楽でいいと思っていた。全部弾かなくていい。メロディは目立つ。美味しいところだけ持っていく。役割の違いに対して嫉妬した。

ソロパートはホーン隊で創造していた。他人の苦労は考えず、才能を羨み、妬み、自分ができていない事を責めていたのだと今は分かる。

私の意識の根底にあるもの「恥」「自信のなさ」だ。自分自身で苦しめていたのだと思う。彼も同じだったのかもしれない。胃腸の弱い彼。ライブ前によくお腹が痛いとトイレへ行っていたのを知っている。

ベースラインを作る際に彼は時々相談に乗ってくれた。一緒に考えてくれたこともある。今考えると彼自身がやりたいと言って始めたバンドだ。彼が始めたバンドという責任感もあったかもしれない。誰が曲を作らなければオリジナル曲は生まれない。増えることもない。

本当はギターを弾くことに専念したい。ボーカル、歌は歌いたくない。ボーカルがいないから誰もいないから歌うのだと言っていた覚えがある。私が聴く彼の声。彼のギターを弾く姿はとてもかっこよかった。人を惹きつける力があった。華があった彼もどこかで苦しんでいたのかもしれない。

アルバム制作も行った。少しずつメンバーでお金を集め、貯金した。その甲斐あってレコーディングをしてアルバムができた。

彼は一つ一つの音にこだわっていた。正直私には分からないこだわりもあった。彼は一度レコーディングした音に満足しなかった。別の業者に頼み「再度録り直したい」と録り直すことになった。

ベースのフレーズを変えた。何故変えたのか?聞かれた。ライブでよく間違えていたから私が楽なフレーズに変えたのだ。間違えるのを恐れ、カッコ良さよりも間違えない楽な方へ逃げたのだ。「変える前の方が良かった」と言われた。

彼の作品への想いだったのだろう。変えたフレーズの箇所だけベースも録り直すことになった。あとは全体の音のリミックス、リマスタリングを行なった。業者の人もバンドやっており、納得のいくまでやらせてくれる人だった。隣の福井県まで何度も何度も通った。

真面目。繊細。完璧主義。
彼のこだわりが詰まった作品が残った。
一つの作品を残す事。これが彼のやりたかった事だったのかもしれない。

彼が彼であったことの証明。
今も手元に残っている。
音源の中で〝彼〟は生きている。
輝いている。

私がバンドで初めに結婚した。そしてすぐに子供が出来た。ドラムの子も結婚、子供が生まれる。彼ものちに同じバンドのキーボードの女性と結婚して娘が生まれた。

メンバーそれぞれ結婚、出産で私生活が変わった。状況が変われば取り巻く環境に変化が起こる。変化せざるを得なくなる。

私は男であったが結婚を機にバンドへの興味が薄れていく。妻と子供へ向いた。もともとベースラインを作る事の苦痛やライブ、練習から解放されたくなった。ライブは楽しいものであったが「バンドを抜けたい」方向に気持ちは傾いていく。口に出しては言わなかったが態度と身体からは出ていたと思う。

結局、私が「バンドを抜けるわ。辞めるわ」と口に出すことなかった。彼の死がバンドに終わりを告げた。

彼が亡くなる少し前に近所にあるショッピングセンターでたまたま彼に会った。生まれたばかりの息子を私は連れていた。普通の会話をしたと思う。それが最期となった。

死を選んだ彼の中に問題はあった。
しかし私に何か出来たことはなかったのか?バンドが続いていたのならば死ななかったのか?自分が辞めようとしていたからなのか?

当時の私はどうにもならない思いで自分を責めた。ただそれ以上に彼の妻、子供、両親の方がつらい出来事であったと想像できる。

あれから10年が経った。私の家族、彼の家族、メンバーすべて歳を重ね、変化した。それぞれの心の中に彼は生きていると思う。

彼は音楽、バンド、CDという作品に命を懸けた。すべての魂を込めた。それが無くなると分かった時、ショックで身体から魂が抜けたのかもしれない。魂が抜けた身体に魔が刺した。死の真相は分からない。

彼が教えてくれたこと。今、目の前にいる人達を大切にする。家族、友人、仲間とは何か?突然別れがやってくる。仲が良くてもずっと一緒にいられる訳ではない。ある今この瞬間を大切するしかない。

彼の命日を毎年〝命について考える日〟にする。今日も子供達と〝死について〟話し合った。出会ってくれてありがとう。一緒に作った思い出をありがとう。

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