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アテローム血栓性脳梗塞。急性期。RCVS(可逆性脳血管攣縮症候群)自分を考える事になった2つ目のきっかけ。

脳梗塞疑いから2年と7ヶ月経過。
2021年3月1日。

外回りで訪問した病院で倒れる。当時私は補聴器の営業マンだった。しばらく便秘をしていてトイレが出ていなかった。お客様が来る前に時間があり、用を足そうとトイレに入った。

力を入れた瞬間。目が眩む、チカチカとなり、クラクラした。変な感じだ。ズボンを履き、立とうとするがおかしい。手すりを掴んで外に出る。目がおかしい中、仕事をする部屋に辿り着く。椅子に腰掛ける。机にうつ伏せになろうとした。気がついたら後ろに倒れていた。

タイミング良く約束していたお客様が現れた。倒れた私を見つけるとすぐ看護師さんを連れてきてくれた。状況を説明する。車椅子で救急外来へ連れて行ってくれた。運が良い事に私の知っている医師だった。同じように状況を説明する。一時的な立ちくらみではないか? 以前に脳梗塞になった事を話すとMRIを撮ることになった。そしてまたしても片頭痛の視覚障害と頭痛が起こる。

頭が痛い中、ベッドに移された。
しばらくして脳外科の医師が現れた。
「即入院です。家族に連絡してください」
と言われた。

頭は痛いが意識はあった。状況は分からなかったが言われた通りにする。携帯電話で会社と妻に連絡をした。

右後大脳動脈という大脳の血管が完全に詰まっていた事を後で知る。

何時間経っただろうか?会社を早退した妻が来てくれた。家から1時間以上かかる場所だった。COVID19が流行っていた頃、その面会以降退院まで妻には会えなかった。

看護入院計画書

COVID19の検査。とても長い棒を左右の鼻の穴に入れられる。頭が痛いからなのか全く痛くなかったのを覚えている。陰性を確認し、病室に運ばれた。ありがたい事にすべて個室の病院だった。

入院初日は熱が出た。そして薬が効いて落ち着くまで頭が痛かったのを覚えている。
翌日もMRIの検査と検査をした。

部屋を見回る看護師さんは交代する。1人の看護師さんは私が担当していたお客様の家族だった。家に来た私の顔を覚えていてくれた。交代制ではあったが退院まで良くしてくれた。

救急外来で診てくれた知り合いの医師も気になったと会いに来てくれた。画像を見せて説明してくれた。画像はもう処分してしまってないが2枚の写真を見たのを覚えている。

右後大脳動脈というのが詰まっていた。明らかに血管があるのと無いのが素人の私にも分かった。不思議な事に翌日MRIを撮ったときには血管の流れが戻っていたのだと言う。

脳外科の先生の事も教えてくれた。安心させてくれるために来てくれたと思うと大変ありがたかった。

なんとなく目が見にくい印象はあったものの2日目以降は徐々に回復していく。

食事も食べられるようになる。
動けるようになってからは待合室で外の山を毎日眺めていた。待合室にあった本を片っ端から読んだ。男塾、ゴルゴ13、エッセイなど。その中から一冊の本に出会った。酒井雄哉さん「一日一生」に感銘を受ける。「いま」を生きることを決意した。

退院後改めて買った

日記をつける。絵を描く。家族は面会に来られない。電話で声を聞いた。会う事はできず久しぶりに独りの時間を過ごした。

会社に入社して16年。1週間の入院。結婚式以来の長い休みになった。休みが欲しいわけではなかった。健康で過ごせる休みが欲しい事に気がついた。

今となっては必要な時間を過ごしたと思える。なぜなら自分の人生について考える必要な時間であったことには間違いないからだ。

1回目の入院で身体と食事には気をつけるようになった。なぜまた起こったのか?気になったが「生きているうちにやりたい事をやろう」と思えるようになった。

入院して1週間後退院。
ありがたい事に2回目も後遺症はなし。
退院証明書には「アテローム血栓性脳梗塞。急性期」と記してあった。

退院証明書

退院後、経過観察と医師と面談。異常は見当たらない。RCVS(可逆性脳血管攣縮症候群)ではないかなと説明を受けた。 

現状では異常が見当たらないから日常生活過ごしてください。以前脳梗塞疑いと診断された病院宛の紹介状をくれた。また不安なら見てもらったら良いと教えてくれた。そしてコンピュータ上でカルテを共有できるようにしてある事も教えてくれて診察は終わった。

RCVS(可逆性脳血管攣縮症候群)を
インターネットで検索した。

雷鳴頭痛と表現される「頭の中で突然雷が鳴ったような激しい頭痛」で発症する特徴があります。 入浴やシャワー、水泳、ダイビング、排便、興奮、性交、筋トレ、大声、咳やくしゃみ、ストレス、女性ホルモンの変化、セロトニン作動薬や免疫抑制剤などの薬物が引き金となって発症しますとあった。

その後、家族、周りからの意見を聞いてしばらくは安静に過ごした。見にくいと思っていた目も退院と共に今通りに戻った。少しずつ日常生活に戻っていく。ありがたい事に後遺症はなかった。

次の年。2022年家族とパラグライダーで空を飛ぶ。家族旅行で戸隠神社、上高地、伏見稲荷大社、出雲大社行く。私の両親と出雲へ。妻の両親とは温泉へ。立山登山、白山登山、金沢マラソンを走る。

雷に打たれたように病気が私の意識を変えた。病気が私を動かす力になったのだ。

他にも人に対する接し方が変わった。
以前よりも更に感謝するようになった。

しかしまた1年4ヶ月後に自宅で倒れる。



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