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VANQULLWAR’Sの目下奴言水さん

初めに

「VANQULLWAR‘s」(ばんくるわす)というバンドでリーダーとして作詞作曲を担い、かつ「立川dancingず」というソロで関西を主に活躍する、目下奴言水(もっかどごんすい)さんが作る歌詞にはその語感に不思議な響きがあり、どういう人なのか?とその人物に興味を持ち、ブログでその魅力をまとめてみようかな?と思いました。ただ、このブログを読んだ人に、私の文章力でそれが伝わるか?は、知らんけど(笑)

きっかけは「服部さん」という曲

今年、3月に「淀川パリジェンヌ」というバンドのドラマー「タカシ」さんから、ネット視聴によるライブのお誘いがあり、淀パリさんと「穢土川番狂わす」のツーマンライブを見ました。

両バンドとも関西のバンド

まず目下奴言水さんの話を始める前に、上記ライブでの対バンである「淀川パリジェンヌ」について・・
淀パリさんを、初めて見た時、大袈裟かもしれないけど、まあ私は衝撃を受けましたね。私の乏しいバンドに関する知識では、今まで見たこともないステージ構成(曲の流れ)でした。次、何が来るか?全く予測不能。ミクスチャーロックという言葉を初めて知りましたね。

で、「穢土川番狂わす」(現在は改名し、VANQULLWAR’S)ですが、最初フライヤーを見る限り、正直あまり興味を持たせるバンドという印象は受けませんでした。が、・・いざライブを見てみると、このバンドも淀パリ同様、「なんじゃこりゃー!」のバンドでした。ライブで印象に残ったGOZARUという曲があるんだけど、あくまで私の個人的意見ですが「講談の口調にロックのリズムとメロディーが掛け合わされたもの」という今まで聞いたこともないという曲という感想です。

そして、ライブの最後に、「服部さん」という曲が始まる

これも、大袈裟ですが、衝撃を受けましたね。「曲」というより近所のおっちゃんが、若いもんに「説教」する?という感じかな〜?でも、正味やでと、「俺はこう思うぞと、言い切っている」けど、必ず「知らんけど」とオチがある(笑)俺の主張に対して批判は受け入れる、俺が間違っていたら、それはゴメンと謝る。(世の中に絶対の正解はないという基本認識)まあ、柔軟性のある、言い切りですね。それが、温かさ、優しさにもつながる・・そんな感じかなぁ?

「穢土川淀川戦争 完結編」というタイトルのこのライブの話に戻るけど、
音の万華鏡のような変幻自在な展開をする、淀パリと、歌詞(言葉)の万華鏡で変幻自在な展開をする「VANQULLWAR’S(この時は穢土川番狂わす)、両バンドもその個性でステージ上からお客に迫ってくる・・このツーマンライブは素晴らしかったです!

目下奴言水さんという人はどういう人なのか知りたい

まあ、上記に色々興味を持ったきっかけ(ライブを視聴)を書いたけど、不思議な語感の響きを持つ作詞をする、目下奴言水さんってどういう人なのか?何か知ることができる、コンテンツはないか?と色々探し、以下の対談の動画を見つけました。

引用したのは、光源レコードのオーナーである高垣氏との、今年の7月頃の対談の動画。光源レコード(2021年5月14日に尼崎杭瀬中市場にて開店! 日本のインディーズミュージックと中古CD・レコードを売る店)引用は、対談の#2だけど、#1から#4で構成され、全部みると1時間近くになる。

#1の対談で、目下奴言水さんは、小学校4年の時に始まった「ゆとり教育」が自己の精神形成に大きな影響を与え、それは教育の制度改革に対して肯定的ではなく、否定的であり小学生レベルの語彙力では相手(教師)に上手く伝えることができず、絶えず怒っていて、6年生になる頃はクラスの問題児でもあり、1年間で担任が3回も変わるほどだったという。

対談は、歌詞の語感についてがテーマであり、「ゆとり教育」について、あまり深くは掘り下げてはいないけど、目下奴さんの発言で
土曜日が毎週休みになり、それで「学校に行かなくていい」と喜ぶクラスの奴は誰もいなかった。休みだから、友達と遊ぼうという気にはならなかった。
②何をしていいか分からないから、町の図書館行って、ひたすら読書をしていた。
③世間で、「ゆとり教育がいい」と思われることでも、社会に出れば価値観のギャップに悩むことになるのではないか。自分のクラスの同級生で結婚した者は、みんな離婚した(笑)
④僕らの2〜3年上の先輩達に認められていた価値観が、僕らの時に認められなくなった。それに戸惑いがあった。

以上、子供の時に感じた、戸惑い、怒り、鬱屈を「読書」に救いを求めたのは、なんとなく分かりました。私の憶測だけど、目下奴言水さんは、「自分は何故それをするのか、そこに意味がなければ動けない」と発言しているけど、「ゆとり教育ってのは、土曜日が休みなれば、ゆとり教育なのか?そこに意味があるのか?」自分が選択したものではなく、勝手に国のほうから制度の変更に従うように求められ、後には「ゆとり世代」という勝手に作られた「カテゴライズ」に一律に世間から見られる「反発」だったのかな?

以上、この対談を見て、少し、目下奴言水という人が分かった気がしました。

歌詞を作る上での語感の温度


画像は、YouTube KOH-GEN RECORDSチャンネルより、右側

対談で、目下奴さんは、愛読書として以下の3冊を挙げています。
①トルストイ「人生論」
②宮沢賢治詩集
③立川談志「現代落語論」

対談の動画を見ると、この3冊、ボロボロです。繰り返し、何度も読んでいることが分かります。以下に、愛読書たる所以(何を学んだか)を彼の発言で要約します。

  • まずトルストイの人生論

  「人生を豊かにするのは考え方次第」
  思考というものは、柔軟でなければならない。

  コロナ禍というのは、確かに災難ではあるが、「自分は今、
  それを楽しんでいる」「コロナでできないことよりも、工夫で
  何かできることはないか?それを探す楽しみがある」「今は、
  ステージ上での発言はコンプライアンスに配慮をしなければならず
  言葉も選ばなければならないが、お客さんを楽しませるには、
  言い切ることが絶対必要。だから、それをアウトにならず、どう上
  手く表現するか? これを工夫する楽しみがある」

  • 宮沢賢治詩集

 「宮沢賢治の詩集を、自分は3,000回読んだ。それは何回読んでも、
  詩(言葉)の意味が分からなかったから」「ただ、分かったことが
  ある、宮沢賢治は、言葉の語感を『色』と認識し、それを『詩』と
  いうキャンバスで、言葉の色を塗っているのだ

 この発言で、目下奴言水さんは、自身の作曲作詞に、宮沢賢治から大
 きな影響を受けているのかな?
と思いました。
 キーワードは「言葉(語感)には温度がある」目下奴言水さんの、曲
 作りは以下の手法をとるそうです。
1)まず、この曲は言葉を何度にするか決める(「服部さん」という曲
  は絶対20度以下にはしないという設定があったようです)
  例として、「ミルクレープ」という言葉があったら、それは何度で
  あるか?物資として捉えるのではなく、目に入る「字体」「フォン
  ト」で温度を決める。
2)温度が決まったら、その温度に当てはめる「言葉」を羅列する。言
  葉の羅列を俯瞰して、メロディーが浮き上がってきたら、それを打
  ち込んでいく。
3)以上の作業を、町の行きつけの喫茶店で行い、家とは離れた作業部
  屋で完成させ、それを聴きながら家に帰る。家で、「これは違う
  な」、と思っても、家では修正しない(できない)一晩保留とな
  る。

まあ、こう発言をまとめてみたけど、なかなか、第三者に伝わるかは分らない(笑)・・難しい。ただ、宮沢賢治は、『言葉』を『色』と認識し、様々な色を塗ることで詩を完成し、目下奴言水さんは、『言葉』を『温度』と認識し、その温度帯で曲を完成させる。結果として、読む人、聴く人に、独特の語感を楽しませ、感動させる。これは事実なんだろうな。

  • 立川談志「現代落語論」

 目下奴言水さんの、山下達郎の引用の発言があります。
「何百人何千人の聴衆を前に感動喜ばすことは、SHOWであり、演者の目の前立った1人のお客を喜ばすことができることは、それは「芸」である」

お金を払ってライブハウスに来る人に「芸」を見せる。これが、目下奴さんの決意であることが分かりました。その「芸」見せるためのバイブルが、立川談志の「現代落語論」であると。

上記で触れた、GOZARUという曲、歌詞がなんというか、講談、落語の語りのように、語感から聞き手は、その情景が浮かんでくるという、私の勝手な解釈ですが、感想です。この曲も立川談志の影響を受けているのかな?間の取り方とか・・ドラムのスネアの音が講談の「張扇」のように聴こえるんだけど(笑)

終わりに

現在31歳(2022年7月現在)の目下奴言水さん、今の心境を一言で言い表すと「全てを許す」のようです。対談で、手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」にも触れているけど、輪廻転生というか、「ゆとり教育」の目的は「多種多様な経験をして人間性を豊かにするゆとりを大切にする」とあります。結果として、目下奴言水さんは、長い年月の間に、読書を通じ怒り、憎しみから「悟り」を開き、「全てを許す」という心境になったということは、この「ゆとり教育」の目的を自ずと実現したのではないですかね?知らんけど・・


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