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【創作短編】megumo #1


 おれの臍に巣くった《蜘蛛》が、女の指のような生白い、脚をひろげて、しがみついた腹からおれを、見上げてくる……


<壱>

 はじめは全然何も気づかなかった。よっていつが「はじまり」であったのかをおれは知らない。徐々に、臍が内部から盛り上がってくるような気が、しだしてからでさえ、――自分の臍を毎日くわしく点検する習慣なんておれには無かったし、何より、わかりやすい異常感、痛みとか、痒みとか、熱とかいったようなものを、一向身体に感じなかったので、ちらと目に留めても、おや、ダニにでもやられたかな、まあ痒くもないのだからすぐに治るだろう、と、気楽に構えて放っていた。


 すっかり忘れていたのである。ある晩、おれは風呂に浸かりながら、何となく自分の腹部へ目を落として唖然とした。


 それは単なる「出べそ」などではないと、一見して判ぜられた。臍のあった位置にはおれの肌色をそのまま残しながら、しかしれっきとした胴体と頭、八本の脚を備えた、一匹の蜘蛛が留まっていたのである。


 当然ながら、おれは咄嗟に蜘蛛を引き剥がそうとした。

 噛まれないかと危ぶみながら、胴体部分を摘もうとする。だが、蜘蛛は取れないばかりか、自分の臍の皮が引っ張られるような感覚があった。爪を立ててみても同様、臍のあたりが引っ掻かれるように感じるだけだ。

 まさか?と思いつつも念の為、熱いシャワーを当ててみたり、冷水を浴びせてみたりもしたが、やはり自分が熱かったり冷たかったりするだけで効果は見られない。これはもしかすると何かの奇病かもしれない、と俄かに怖ろしくなった。ところで、蜘蛛それ自体からは、相変わらず、やはり何の痛みも感触も伝わってこないのだった。

 苦痛が無いという事で、おれはやや冷静さを取り戻して、一先ずは風呂から出て身体を拭き、衣服を着、そうして、部屋の中でベッドに腰掛け、改めて仔細にそれを検分した。


 気付いた瞬間にはぞっとしたものだが、落ち着いて見ればそう大きくはない。胴体部分は、おれの小指の先もないほどで、脚を突っ張った全長も、せいぜい臍の大きさと同等である。問題は、それがどう見ても、自分の腹の皮と、完全に境目なく繋がっているという事実だった。


 見れば見る程、精巧なつくりものの蜘蛛であった。

 一般に蜘蛛は孵化した瞬間から、もう完全なる蜘蛛の姿形をしているものだが、この蜘蛛も、皮膚と一体化しているというその異常すぎる一点だけを除いては、小さいながら、おれが知り得るかぎりの蜘蛛的特徴を残らず備えていた。丸く膨らんだ胴と細小な頭、そこから殆ど円状に延びた八本の長い脚……そして目は毛穴ほどに小さくても、やはり八つあり、動かぬそれらが不気味にこちらを見上げているようだった。

 ……つくりもの?本当に?


 おれは、おそるおそるもう一度それに手を触れた。撫でたり、胴をそっと押したりすると、「しこり」のように弾力があって、指から逃げるような感じもするが、無論それは蜘蛛が自発的に動くわけではない。元より臍の触り心地が、そんなものであったのではないか?と、思えば思える気もするのだった。

 指を離せばまったく元通りの状態に戻る。もしも本物の虫が寄生しているのならば、これほど何も反応せず、おれも何も感じないという筈はあるまい。と、するならば、この蜘蛛そっくりの部分も、やはりおれの一部に違いないのであろうか?


 こうして見れば見る程に、おれはその「異常」に慣れた。

 当然、医者へ行くという発想はあったものの、元来の医者ぎらいと、ここ最近の忙しさ、臍を診察される事への、多少の羞恥心も相まって、すぐさま病院に駆け込む気にはなれなかった。痛くも痒くもないのを幸い、特殊な出来物や炎症であったとしても、とりあえずはそっとして、2、3日様子を見てから判断しても構わないだろうとした。


 この「2、3日様子を見よう」が何度か繰り返された。もちろんその間、おれは暇を見付けては、本やインターネットを頼りに、自力で調査を試みた。が、どのようにも特定のしようがなかった。

 まず、人体に寄生する蜘蛛の姿をした生物――等というものは、当然と言おうか、存在しない。腹部の腫瘍、という事になればその可能性には限りがなく、アレルギー性の皮膚炎や虫刺されの場合には、おれの症状はどれにも当て嵌まらないようだった。

 また、蜘蛛の形に見える――見えなくはない、といった傷跡や痣というものは幾つもあったが、蜘蛛そのものという例は、やはりどこを探しても見付けられなかった。


 そうしていつも行き当たるのはオカルト的奇譚世界へとつながる門であった…………




……第弐話へ続く。(全4話)


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