2年後に独立する新人管理者

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最近の記事

転機!新規訪問看護ステーション開設

2022年4月から訪問看護に挑戦。 ネクストに入社し3、4日経った訪問終わりに事務所で記録を書いていると突然 いつも笑顔な看護マネージャーが深刻な表情で(勝手にそう思っただけ笑)少し時間いいですかと声をかけてきた。 そして社長、取締役、看護マネージャー、私で突然のミーティング開始。 まだ入社して3、4日しか経っていないのに、俺なんかやらかした? そんな感情だった。 ミーティング内容は、まさかのもう1店舗訪問看護ステーションを立ち上げるから、そこの管理者やってみない?と

    • 訪問看護へ挑戦!の理由

      看護師6年目となり、救命センターでのリーダー業務や現場活動にも慣れてきたそんなある日突然、今見ている患者たちは、状態が落ち着けば一般病棟に移動し、その後退院となる。今見ているのは最初の最初であり、退院後の生活はどうしているんだろう。 そんな気持ちを抱くようになった。 今までは、そんなこと考えたこともなかったが、経験を重ねて気持ちに余裕ができた時にふと思ったのである。 救命センターに入院している期間は、長くても1週間程度。 退院して自宅に帰ってからの方が明らかに長い時間を過

      • 医療従事者の道:救命救急センター編

        希望通り、東海大学医学部附属病院 救命救急センターに入職した。 今回は、救命センターでの6年間で学んだこと、自分の強み、得意、苦手、気がついたことなどについて書きたいと思う。 東海大の高度救命救急センターは3ヶ所の部署に分かれている。 ・ER(救急車が来て、救急隊から患者を引き継ぐ) ・EICU(救命センター内の集中治療室) ・EHCU(高度治療室) の全てを経験した。 軽症の患者から、心肺停止、全身熱傷、重傷外傷、薬物中毒、刺された、撃たれた、心筋梗塞、脳梗塞

        • 医療従事者への道:看護師編

          看護学校に無事合格し、新たに3年間の学びと成長の期間となる。 看護学校に入学したのは23歳の時。同期のほとんどが18歳で高校を卒業し現役で入学してくる人たちばかり。お互いにちょっと気を使う感じで始まったが、私はその場を楽しむことが得意なので、そんなに時間もかからず、お互いに打ち解けることができた。 年上ってこともあり(もっと年上がいたけど笑)クラス長に任命されクラスをまとめていくことを決意。 日々の医療に関しての授業は、救急救命士の専門学校でやっていたこともあり 比較的困難

        転機!新規訪問看護ステーション開設

          医療従事者への第一歩:救急救命士編②

          無事に入学試験に合格(誰でも合格できる笑)し、救急救命士の専門学校へ進学! 高校生の頃の気持ちを忘れられない私は授業中は寝てばかり。 授業が終わる頃に起きて、新たな仲間たちと遊ぶに出る。 そんな生活を送っていました。 そのため、テストに合格できるはずもなく、高校時代同様赤点のオンパレード。 どうせ追試で合格できるでしょと安易な考えを持っていましたが 命を救うための救急救命士を養成する学校がそんな簡単に合格させるわけもなく 遊んでいた仲間たちと一緒に“留年”が決定。 ここで人生

          医療従事者への第一歩:救急救命士編②

          医療従事者への第一歩:救急救命士編①

          第一弾は、プロフィール紹介となりましたが 第二弾からは経歴をお伝えしつつ 訪問看護に挑戦!新人管理者としての想いや葛藤等を 徐々にお伝えしていければと思っております。 まずは、高校〜救急救命士取得までの経緯を2回に分けてお伝えします! 遡ること約15年前、高校生の私は水球部を引退。 今後の進路を考えなければならない時期。 高校には部活の推薦で入学したため、高校時代は毎日部活の日々。 これがまあ大変。もう一生やりたくない。笑 今でも忘れないが一週間のうち月曜日だけが唯一のO

          医療従事者への第一歩:救急救命士編①

          初投稿!自己紹介

          "ネクスト訪問看護ステーションこうほく"の管理者です! 初投稿に伴い、自己紹介をしたいと思います。 2年後の独立を目指し訪問看護の管理者に挑戦中。 その際の出来事や経験を文章にして表現して行きたいと思っております!! 名前:関谷 遼(せきや りょう) 誕生日:1990年(平成2年)9月20日 年齢:31歳(もうすぐ32歳) 出身:千葉県大網白里市 資格:看護師、救急救命士 経歴:千葉敬愛高等学校    国際医療福祉専門学校(救急救命学科)    山王看護専門学校    東海