医療従事者への道:看護師編

看護学校に無事合格し、新たに3年間の学びと成長の期間となる。
看護学校に入学したのは23歳の時。同期のほとんどが18歳で高校を卒業し現役で入学してくる人たちばかり。お互いにちょっと気を使う感じで始まったが、私はその場を楽しむことが得意なので、そんなに時間もかからず、お互いに打ち解けることができた。

年上ってこともあり(もっと年上がいたけど笑)クラス長に任命されクラスをまとめていくことを決意。
日々の医療に関しての授業は、救急救命士の専門学校でやっていたこともあり
比較的困難なことなかった。
その授業の中で、医療関係の学生なら誰もが嫌う”解剖生理学”という授業がある。救急救命士の専門学生時代、留年する原因となったのも解剖生理学である。
テストの点数は2点!!!!笑
すごく苦労したが、その分、今では1番好きな教科となった。
ここで1つ自慢です!笑
2点を叩き出してから約4年後、看護学生の時の解剖生理学のテストは、まさかの満点!!!!
2点から満点!すごく嬉しかったし、あの時の経験があったからこそって気持ちになったのを今でも覚えています。
本当に克服できて、さらに解剖生理学を好きになった証明ができた。

もちろん、そのテストも含め、その他のテストでも赤点だった同期が何人かいた。
救急救命士の専門学生時代の同期にも年上の方がいて、何度も助けられた経験があるため、今度はその役割が自分にあると思い、追試の勉強を教えたりと
周りにも目がいくようになった。

先生から頼まれて、心肺蘇生法の授業の時は、90分間の授業を担当することも!
同期や後輩、先生の前で、教壇に立つというなんだか不思議な経験もできた。
その経験で、人に教えることって難しいけど、楽しいなという気持ちに。
いずれ、医療や看護を教える・伝えるってこともいいかもしれないと感じた時間であった。

看護学生ならみんな思う、実習の大変さ。
救急救命士の実習とは大違い。
実習期間の2週間?3週間?は、寝れないほどではないけど結構大変でした。
うちの看護学校はパソコンで記録ではなく、全て手書きだったため、毎日実習終わりに学校で遅くまで残り、全ての記録書いて帰るのがルーティーンでした。
家では絶対やりたくないから全部学校でやってた。
朝、病棟に向かいながら記録書いてた同期もいたけど。笑

そんな実習も乗り越えて、最後の関門”看護師国家試験”!!
もちろん、先生からも確実に合格と期待されていることを感じていたが
なんと3年連続、確実に合格と思われていた人が国家試験不合格という
恐怖の連鎖がありました。
本当に恐怖でした。だからこそ余計必死に勉強しました。
でも、家では勉強できない人なので、毎日地元のデニーズかサイゼで
ドリンクバーのみで5〜6時間勉強。
結構迷惑な客ですね。笑

必死にやったかいもあり、無事看護師国家試験合格!!!
しかも結構いい点数だった記憶が!笑
そんなこんなで看護師になれました。


看護学校に入学する前から、私のベースは“救命”であった。
そのため、就職先も絶対に救命救急センターがあるところ。
それが絶対条件であり、様々な病院の見学やインターシップに参加した。
その中でも、1番憧れを抱いたのが東海大学医学部付属病院の高度救命救急センターである。東海大は、ドクターヘリ運用の先駆けでもあり、高度救命救急センターは日本でも指折りの設備、救命率の高さを誇っていた。
そんなところに惹かれ、就職試験に挑む。
面接では高度救命救急センターで働きたい想いを熱く語ったこともあり
就職試験合格&配属が希望の高度救命救急センターとなる。

その通知が届いた時は、泣いて親と抱き合ったのを覚えている。笑

そんな看護学生時代でした。
#ドリンクバーだけで勉強していたデニーズとサイゼは数年後閉店 笑


次回!
救命センターのお話!!乞うご期待!!!

ご視聴ありがとうございました。
このnoteが楽しみですって連絡があり、超絶テンション上がりました。