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民主主義が死んでしまった理由

皆さんに悲しいお知らせだ。民主主義は崩壊した。現代社会の立役者である民主主義の最後の姿はとても悲惨だった。

残念ながら、民主主義は次世代社会には合わなかったようだ。まあ、次世代社会は現代社会の根幹をなした4つの幻想が崩壊していく時代なのだから仕方なかったという面もあるだろう。

以下が次世代に起こる幻想崩壊の略歴と予想年だ。

民主主義の崩壊 (2030年頃?)

国家の崩壊 (2040年頃?)

経済の崩壊 (2050年頃?)

人間の崩壊 (2060年頃?)

今回はこの①である民主主義の崩壊に着目する。なぜ民主主義は崩壊という悲惨な運命を迎えなければいけなかったのか解説をしていこうと思う。


なぜ民主主義は現代社会を支配したのか?


民主主義が崩壊した理由を知るためには、民主主義が広まった理由も知らなければいけない。


民主主義が広まる前、多くの国は「王制」や「封建制」などといった制度を採用してきた。

これらの政治制度が広まっていた時代は第一次産業である農業が経済の主体を担った。国民の大多数は農民だ。工業や商業はさほど重要ではない。

その時代を壊したのが産業革命だ。産業革命によって農業ではなく第二次産業である工業が経済の主体となったのである。そしてこの社会変化によって民主主義が広まって現代に至るのだ。実際に、民主主義がヨーロッパで広まったのは産業革命が起きたのと同時期である。


それではなぜ工業が経済の主体になると民主主義が広まるのだろうか?


当然のことだが、民主主義や王政といった政治制度を採用しているのは国家である。なので民主主義が採用されているのは国家に都合が良いからに他ならない。王政や封建制が衰退したのは国家にとって都合が悪いからだ。

そして、工業化時代とは同時に帝国主義の時代でもある。工業化が進むと、それに伴い資源が必要となる。鉱物や土地だけではない。人間のような労働資源も対象である。

しかし、資源は有限である。なので帝国主義の国家同士は衝突して戦う。よりたくさんの資源を獲得し工業化を進めるために。2020年頃に起こった米中の貿易戦争もその延長線上にあるといえる。


よって工業の時代は国家同士の競争と戦争の時代でもあるのだ。


そしてこの競争と戦争の時代を勝ち抜くためにはより強くならなければいけない。工業の時代は強さを求める時代でもあるのだ。

そして強さを求めることで帝国主義はさらにスピードアップする。

国の強さとは軍事力のことである。そしてこの軍事力を決定するものは経済力だ。富国強兵という言葉が示す通り、国の強さとは経済力軍事力なのだ。現代社会でもGDPという国の経済力を示す指標が国の強さの指標にもなっている。

よって、なぜ工業が経済の主体になると民主主義が広まるのだろうか?という疑問は次の質問に変換することができる。


なぜ工業の時代において民主主義は経済力と軍事力を高めるヒケツになったのだろうか?


民主主義は封建制度に比べて流動的である。

産業革命以前の農業の時代には、民主主義より王政や封建制度の方が主流であった。古代ローマのような民主主義をとっていた国家も最終的に帝政をとった。

これは農業の時代が固定された時代だったことに起因する。

技術的な革命は起こらないし、経済が発展するとも人口が増えるとも信じていない。

なぜなら、農業の時代には成長の余地が存在しないからだ。もし成長したとしても非常にゆっくりと行われた。なので誰も社会に変化が起こることを信じず、実際に社会は変化せず固定された。

そのような固定された時代には、民主主義のような流動的な政治制度よりも封建制度のような固定された政治制度の方がずっと安定しているのだ。


しかし、工業の時代は固定された時代ではない。成長の時代である。

先ほど述べたように、工業化された社会は戦争と競争の社会だ。

なのでこの時代には成長のために、たくさんの技術革新をして新しいことに挑戦しなければいけない。新しいことをしなければ、成長していく世界にとり残されてしまう。

成長のためには変化が必要だ。

工業の時代は変化の時代でもあるのだ。

さて、変化の時代は封建制度には少しに荷が重い。

農業の時代の王や貴族は一年前や一代前の真似をすればよかった。だが工業の時代に入ると自分から変化を推進する必要が出てくる。しかし、王様が変化を主導するのはとても難しい。

なぜなら変化には前提となる膨大な知識と経験、さらに新しい思考が必要だからだ。血縁で決まるだけの封建制度における王や貴族が必ずこれに適正があるとは決まらない。

能力で統治者を決める民主主義の方が工業の時代に向いているのである。


工業の時代の経済を発展させるのに国民は最も重要である。

工業の時代において最も重要なものは労働者だ。

労働者の数が多ければ多いほどよい。労働者の能力が高くなれば高くなるほどよい。そうすればさらに多くの工場を作り、資源を採掘し、国を発展させることができる。

そして労働者とは国民のことである。

つまり、国の経済を強くするには国民の協力が必要不可欠である。

民主主義社会において統治者を決めるのは国民である。選挙によってもっとも素晴らしいと思われる政治家を選ぶのだ。

民主主義社会は国民にそのお礼をする。医療制度を整え、教育を行き渡らせ、生活のインフラを整備する。国民の生活水準はさらに上がり、生産力も上がる。

それだけではない。国民の生活水準が上昇することでより多くの人がたくさんのものを消費できるようになる。これが経済発展の原動力になる。


軍事力を決定するのは国民である


近代戦において前線で戦うのは兵士である。この兵士の質と数こそが戦争の行方を決めた。

工業化する前の社会は、そうではなかった。鉄道網が整備されていないために補給が行き届かず、前線に大軍を送り込むことができない。しかも経済力が弱いため戦争を長い期間続けることはできない。

だから封建社会で戦争の行く末を決めるのは国民ではなく少数の精鋭達だった。将軍や武士、騎士が最も重要なのである。

しかし工業化によって輸送網は発達し大軍に武器を行き渡らせるだけの経済力を確保すると状況は一変する。国民戦争で最も重要な要素となる。

国民の協力を得るには、国民自身が自分の国家ために戦っているという意識を植え付ける必要がある。赤の他人である王様ではなく、自分の国家のために。

そのような認識を植え付けるためには、自分が国政に参加しているのだと体感できる民主主義が最もよいのである。


まとめ

民主主義は封建制度に比べて流動的である。

工業の時代の経済を発展させるのに国民は最も重要である。

軍事力を決定するのは国民である

以上の三点から、国民を第一に考える思想である民主主義が支配的な思想になった。

ではこの三点を踏まえた上でなぜ民主主義が崩壊したのか解説しよう。


なぜ民主主義は崩壊したのか?

❶民主主義は流動的だ

❷経済発展に国民は最も重要だ

❸軍事力を決定するのは国民だ

以上の三点の理由から民主主義は広まり世界を支配した。

ということは、民主主義が崩壊した理由はこの3つの理由が消え失せたからに他ならない。

つまり、こうだ。


❶民主主義は固定的だ

❷経済発展に国民は重要ではない

❸軍事力を決定するのは国民ではない


それぞれの解説をしていこう。

❶民主主義は固定的だ


産業革命や工業の時代は発明と革新の時代だった。だからといってぽんぽんたくさん発明が生まれ、ものすごい速度で成長したわけではない。

むしろ、工業の時代の発明や技術革新は非常にゆっくりだった。


⑴新しい技術が生まれるには長い時間をかけた研究が必須である。

⑵さらにそれが世に認められるまでに非常に長い時間がかかる。

⑶さらにその技術によって発明が起きるまでに長い時間がかかる。

⑷この発明が大量生産され世に広まるまでに長い時間がかかる。


だから工業の時代は変化し成長したがその速度は遅かった。


しかし、情報革命が起きて情報の時代に入るとこれらの前提が消えて無くなる。

⑴新しい技術が生まれるには長い時間をかけた研究が必須ではなくなった。

インターネットの登場によって人々は簡単に情報を仕入れることができるようになった。今の日本人は三十年前のアメリカの大統領が接続できる情報よりもずっとたくさんの情報に接続できる。

新しい技術知識と別の知識が触れ合って絡み合うことで生まれる。インターネットによって情報は自由に動き回れるようになり簡単に異なる知識が触れ合うことができるようになった。


⑵新しい技術が世に認められるまで長い時間がかからなかった

工業の時代において新技術というのは大学や企業、国家が国民の知らないところで進んでいるものだった。

確かに論文によって新技術は発表されるだろう。しかし一般人は論文を読まないし、一般人に情報を与えるマスコミは限定されているため一般人に新技術に関する情報が与えられることは難しい。

だが、インターネットの登場によって一般人は新しい技術に関する情報を即座に簡単に入手することができるようになった。限定された数しかいないマスコミだけではなく不特定多数の人々が発信者となることで技術を広めることも簡単になった。


⑶新技術によって発明が起きるまでに時間がかからなくなった。

インターネットの登場は世界中の技術者と実業家の距離を縮めた。オンライン上で契約を交わすことが可能になり、直接会ってやりとりする必要もない。


⑷新発明が世に広まるまで時間がかからなくなった。

工業の時代において新発明が社会を変えるには大量生産される必要がある。

この大量生産には多くのプロセスが必要となる。まず発明が売り出される。その発明の評判が良いことを確かめる。次に大企業の経営陣に発明の大量生産を認可してもらう。新商品の素晴らしさを宣伝する。そして大量生産によって新商品を国全体に浸透させていかなくてはならない。

情報の時代はその必要性がなくなる。新しい発明が社会を変えるにはインターネット上にアップロードするだけでいいのだ。

インターネットを使えば簡単に発明の評判を知ることができるし、大量生産する必要もないし、莫大な資金を使って宣伝する必要もない。

新しい発明はインターネットを介して一瞬で簡単に世界中に広まることができる。

ラジオがユーザー数5000万を獲得するまでには38年かかった。

フェイスブックがユーザー数5000万を獲得するまでには1年しかかからなかった。


工業の時代の変化や成長に比べて、情報の時代の変化や成長は比較にならないほど高速なのである。


民主主義とは工業の時代に生まれた思想だ。そのため劇的に世界が変化する情報の時代についていくことはできない。

選挙は数年に一度しか行われないし、それによって統治者達の勢力図が大きく変化することはない。

一日で世界が変化する情報の時代に数年かかっても変化しない民主主義時代遅れになったのだ。

民主主義の国家や政府は技術革新を後押しすることはできず、勝手に新技術が生まれて経済が変化するところを指をくわえて見ているしかできないのである。


❷経済発展に国民は重要ではない


21世紀の先進国の主要産業は第二次産業ではない。情報産業である第三次産業だ。


工業である第二次産業を支えたのは大量の労働力である。この時代では一人の優秀な労働者よりも百人の平凡な労働者の方が重要である。なぜならできるだけたくさんのモノを作った方が良いのだから。

しかし情報産業を支えるのは大量の労働力ではない。むしろ大量の労働者は足手まといにすらなり得る。

情報産業を支えるのは創造性である。この時代では一人の優秀な労働者が百人の平凡な労働者よりも重要だ。なぜならできるだけ多くの素晴らしいアイデアを作り出した方がいいのだ。

IT産業はその最たる例だろう。IT産業ではいくら無能な技術者を集めたところで全く役に立たない。なぜならIT産業は創造し続けなければいけない産業だからだ。ルーティーンワークをこなせばいい工業の時代とはわけが違う。

たくさんの無能な技術者よりも、平凡な技術者が一人いる方が良い。

それに平凡な技術者が集まらずとも、一人の優秀な技術者さえ存在していれば業界全体が変化することだってある。

このように、情報の時代において発展は国民である大量の労働者によって起きるものではなく創造性のある優秀な人々によって起きるものになるのだ。

この傾向は21世紀初頭のアメリカですでに起きていた。

不況とともに雇用が悪化する。だが、不況の回復とともに雇用も回復する。

歴史的にそのサイクルを繰り返してきたアメリカだが、リーマンショックの後から少しずつ変化が起きてきた。

不況が回復してから雇用が回復するまでの期間が長くなっていくのだ。

それは一時的な現象ではなかった。経済回復には雇用の回復が必ずしも必要ではないのだ。これが意味するところはつまり、情報の時代の経済成長に大量の労働者が必要ではなくなった、ということだ。


労働力の数よりもアイデアを生み出せる精鋭の質が重要。


中国やインド、トルコ、ロシアといった独裁色の強い新興国はこのことに気づき始めている。

これらの国々は独裁色が強いことをいいことに国民を切り捨てる方向に動いている。なぜなら経済を発展させるには大多数の大衆に投資するよりも、一部の優秀な人材に投資した方がはるかに効率が良いからだ。

19世紀の新興国である日本は経済を発展させるために国民に投資をした。その常識は21世紀には通用しない。


❸軍事力を決定するのは国民ではない


国家と国民が全力をかけて挑む戦争は、工業の時代を彩った。国民は大量に動員され祖国の勝利のために敵国と戦う。

そんな時代はもう終わった。

工業の時代において戦争の行く末を決定するのは、陸上戦力海上戦力航空戦力だ。これらの戦力を充実させるには国民が必要不可欠だった。


しかし、情報の時代で戦争の行く末を決定するのは精鋭部隊技術力だ。

陸上戦力を投入するより、強大な技術力を背景にした強力な兵器を投入する方がずっと敵に損害を与えられる。

それに陸上部隊を使って敵国の領土を占領する意味も少なくなった。情報の時代において資産とは土地に所属するものではない。頭の中や紙、インターネットの中にあるアイデアなのである。なので他国の土地を制圧する価値が大いに下がった。

さらに軍隊を動かすよりも精鋭部隊の方がずっと大きな戦果を挙げることができる。2000年代に行われたアメリカによるイランの核施設へのサイバー攻撃は成功を収めたが、これは直接爆撃するよりも効果的で確実だ。しかもサイバー攻撃は大規模な軍隊を動かすことに比べて非難を受けにくい。

工業の時代の技術の発展は非常にゆっくりだ。そのため、国家間同士での技術格差がそれほど大きくない。だから国家の軍事力を決定したのは技術力ではなく軍隊を構成する国民の質と数だった。

だが、すぐに技術的な格差が広まってしまう技術革新の時代において軍事力を決定するのは技術力である。

つまり、情報の時代において国の軍事力を決めるのは国民ではない。一部の優秀な技術者と精鋭部隊の質なのである。

それだけではなく、民主主義の政府は戦争に参加することさえ許されない

大統領や首相が開戦を聞いた頃にはすでに終戦している。もしも一回テロやサイバー攻撃、電磁パルス攻撃を受ければ国が指揮をとるよりも前に結果が決まるのだ。


まとめ

❶民主主義は固定的だ

❷経済発展に国民は重要ではない

❸軍事力を決定するのは国民ではない

以上の理由から情報革命後の世界では国家にとっての国民の重要性が下がり、民主主義が時代遅れとなって崩壊した。


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