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やっぱり伊代ちゃんはかわいいなあ

©︎ JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.

最近松本伊代さんの曲を良く聴きます。

純粋に曲が良いので、何かインスピレーションを得られないかなあという一抹の期待を持ちながらも、その松本伊代ワールドの強烈な個性を前に圧倒されている僕です。

月並みなチョイスですが、やっぱりセンチメンタル・ジャーニーは名曲。

子どもの時から、歌の大辞典(懐)とかの昭和歌謡のコーナーで、よく取り上げられていてかわいい曲だなあと思っていました。

そして、聖子ちゃんカットこの道40年の母と同じ髪型の当時の伊代ちゃんを母と空見して、お母さんが出てるお母さんが出てると小さな頃はしゃいでいたらしいです😂

時は2023年、令和5年。
センチメンタル・ジャーニーという曲は、なんかもうわざとらしすぎるぐらいに古めかしくて、アイドル歌謡としてはちょっと化石のような存在のように思う。

イントロでシュビドゥバ♪シュビドゥバ♪なんてコーラスを入れる令和のアイドルがいるか?いねーだろがよ

でも不思議なのが、そんな古めかしいクラシックで、でもご機嫌なイントロに、伊代ちゃんの気取らない無邪気な歌声が乗ると、松本伊代シンクロ率100%で調和したワンダーランドが出来上がってしまうからすごい。

ああこれだ、アイドルって歌が上手ければ良いと言う話ではなく、自身のキャラクターから世界を作り上げる存在だったな、と。

なぜアイドルがアイドル(偶像)と呼ばれるのか、
それは、アイドルは自身が作り上げた世界の創造主であり、オタクはその世界に入り込んだ住人であり、オタクはやがてその世界に留まることを選びますが、

その世界は誰が操っているのか、それはアイドル自身であるため、アイドルはアイドルとして偶像化される…というのが僕の説です。

にしても、松本伊代が作り上げる世界はなんか強烈。
でもそこに「エゴ」が一切感じられないんですよね。

例えば….松田聖子が作り上げた世界では、彼女は徐々に、徐々に自我を見せ始め、今では誰でもない、松田聖子自身が作り上げる松田聖子の世界であるのに対して、

松本伊代のそれは、自分が望んで大人たちの作り上げた世界で、大人たちのお人形になっているというか、
大人たちが作り上げた世界に自我を持たずうっかり入り込んでしまったら、いつの間にか松本伊代が自我を出していないにも関わらず世界征服していました、みたいな感覚なんですよね。
うまく言語化できない。

松本伊代は敢えてなのか無意識なのか「大人たちに歌わされてる感」を纏ってパフォーマンスをしているように感じるんだよな。
本来それはマイナスな印象として受け取られがちなものですが、それも含めて松本伊代が作り上げる世界の魅力なんですよね。

………にしても伊代ちゃんも聖子ちゃんカットや。

©︎ Sony Music Entertainment (Japan) Inc.

80年代アイドルに与えた聖子ちゃんの影響力強すぎる。

聖子ちゃんも伊代ちゃんも、昔も今も本当にかわいい🥰🥰
もし僕が80年代を生きていてもドルオタ街道まっしぐらだったんだろうなあ

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