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伝統を守ることが個人を侵害することになるのなら、そんな伝統さっさと捨てるべし

福岡県内の高校の運動会のプログラムで、男子生徒が全員上半身裸になって体操するプログラムが物議を醸しているらしい。

西日本新聞に同校の生徒から直接寄稿された話らしく、その生徒曰く、肌を露出するということで自分以外にも嫌な思いをしている生徒がいるらしい。

記者曰く、あくまでも学校側は生徒に強制しているわけではなく、生徒によって構成された実行委員の意向により、上半身裸でのパフォーマンスとなっているらしい。

実行委員の意見としては、上半身裸になることで力強さをアピールしたい、先輩達が引き継いできた伝統を大事にしたいという気持ちから、上半身裸でパフォーマンスを行うことに決まったらしい。

僕個人の意見としては、生徒で構成された実行委員の意向のため〜と放任するのではなく、これは周囲の大人が待ったを掛けなければならないと思う。

肌を見せることが男らしい、力強さの象徴だと思っているんだとしたら、それは誤った男性性の認識だと思う。
そもそも、男性が男らしさを追求する義務もないので、なんだかな。

これが女子に対して向けられたものなら、国際的に非難されることになるだろう。
記事から、長年に渡り上半身裸でパフォーマンスをすることが慣例になっていたという点が推測できる。
これまで学校や周囲の大人が異を唱えなかったという事実に辟易するし、日本社会の悪いところが出ているなと感じる。
日本社会では、男だから、と無意識的に悪意なく、男性権利の侵害が蔓延している。
ましてや、彼らはまだ高校生。
諸外国では、性別に依らず子ども達の権利の侵害は厳しく取り締まられている。
半ば強制的に子ども達を裸にし、聴衆の前でパフォーマンスさせるなんて、国際社会では間違っても見ない光景である。

幸運にも(?)上半身裸でやろうと言い出したのは同校生徒で構成された実行委員会ということで、まだ救いがあるなと。
まだ高校生なら、男らしさとはこう!伝統は絶対に守っていかなければならない!と、独りよがりになってしまうのもまあ理解できる。

でも、色んな可能性を考慮しなければならないと思う。

みんながみんな、好き好んで裸になりたい人ばかりではないということ。

自分の身体的特徴を隠したい人といるということ。

身体が男性なだけで、心は男性ではないかもしれないということ。
もしトランスジェンダーであったなら、自分が肌を曝け出すことにも、他の男性の裸を見ることにも、抵抗があるだろうと思う。

誤った、極端な男性性の要求は、紛れもなく男性に対する性的搾取だと思う。
自由参加によりできたグループで、全員満場一致で上半身裸でパフォーマンスすることに合意しているのであればいざ知らず、
このような状況、厳密には任意と言えど同調圧力により半ば強制になってしまっている状況で裸になることを強いることは、子どもたち、男性への権利の侵害に他ならない。

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