「自分を信じる」の本当の意味 −努力や能力ではなく存在を信じる。
「自分を信じて」とよく言う。
「できると信じて」
「よくなると信じて」
「大丈夫だと信じて」
「信じる」ってすごくいい言葉だけど、使い方次第では自分を苦しめることになるかもしれない。
例えば大事な試験があったとする。人生を大きく左右するかもしれないような試験だ。
「きっと受かるよ。自分を信じて」
と言われたら、どう思うだろう。
わたしはけっこうしんどいと感じる。
その「信じる」は、「自分ができることを信じる」だ。つまり「自分の能力や努力を信じる」ということだ。
でも努力って実らないこともあるし、能力だって自分よりできる人はたくさんいる。
努力や能力など、人と比べられるもののことを「自分は(人より)できると信じる」のは、すごくしんどい。
できなかったとき自分を責めるだろうし、応援してくれた周りにも申し訳ないと思ってしまう。
じゃあ何を信じればいいのか?
それは「できること」でも「自分の能力」でも「きっと受かること」でもなく、「受からなかったとしても、大丈夫」ということを信じればいい。
大事な試験に落ちたとしても、自分は大丈夫。失敗しても、恥をかいても、周りにバカにされても、落ち込んで立ち直れそうになくても、大丈夫。
試験に落ちても、会社をクビになっても、病気になっても、悪いことが起きても、人生全体からみれば全然大丈夫で、むしろ「それがあるから今がある」と思えるときがくるから、大丈夫。
つまり自分の人生自体というか、自分自身を信じることが、大事なんじゃないかと思う。
先々月、父が癌だと診断された。
もしかしたら末期癌かもしれない。もって2、3年かもしれない。
わたしは父とふたりでハワイやバリ島、台湾に旅行したり、週2で家族でバーベキューをするほど仲がいい。
そんな父があと3年ほどで死ぬかもしれない。そう知らさせたときものすごくショックだった。その夜と次の日の夜は、とにかく泣いた。
3日目の朝、こんなふうに思った。
会えない、話せない、父がいない。
それは悲しい。
けれど、父が死んでしまっても、しばらくは悲しいけれど、きっとわたしは大丈夫。父がいなくても、また笑顔で、楽しく生きられる日が来る。
「きっとよくなる。きっと治る」とは絶対に信じない。そう信じてそうなるなら、この世に死んでる人がいないことになっちゃうから。
遅かれ早かれ死は来る。
病気が治ることを信じるのではなく、病気になってしまっても人生を全うできる父親自身を信じているし、死んでしまっても大丈夫な自分自身を信じている。
それが本当の意味での「自分を信じる」っていうことなんじゃないかな。能力や努力なんて、ほんのちっぽけなことで、大したことじゃないんだ。
そんなことよりもっと自分を信じよう。
自分という存在を信じよう。
そうすればきっと、何があっても大丈夫。
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