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わたしたちの悪い癖 − おかしいことを「おかしい」と言わない日本人。

先日シドニーのホステルに泊まったときのこと。

カフェエリアで無料で提供される朝食のパンをつまんでいると、後ろから日本語が聞こえてきた。そっと見てみると日本人の女の子3人組だった。


彼女たちのうちのひとりが牛乳をもらいにカフェエリアへ行き、しばらくすると怒った表情で帰ってきた。どうやら牛乳をもらえなかったらしい。

悪趣味だが聞こえて来る会話を聞いていると、彼女はシリアル用として置いてある牛乳をコップに注ごうとしたところ、スタッフに注意され、牛乳が飲みたいのだと伝えると、お金がかかると言われたそうなのだ。


パンやシリアル同様、牛乳も無料だと思っていた彼女は憤りを感じて戻ってきた、というわけだった。そして友人たちに「タダじゃないのかよ」「なんでもらえないわけ?わけわかんない」「うちら朝食分お金払ってるし」「好きなだけ食べさせろっつーの!」などと悪態をついていた。


見たところ彼女たちは旅行者で、英語もあまり話せないようだった。彼女たちの悪態に嫌気がさしたので朝食を切り上げ帰ろうとすると、ちょうど彼女たちに注意をしたらしき男性スタッフが他のスタッフと話しているところに通りかかった。

どうやら彼は彼で、日本人の女の子が勝手に牛乳を飲もうとしたことに憤りを感じており、他のスタッフに愚痴っていたのだった。



ことの経緯から察するに、日本人の女の子は「なぜこの牛乳は無料で飲めないのか」ということをスタッフに質問していないのだろう。それなのにもかかわらず、「なんで飲めないわけ」「タダじゃないのかよ」と友人に文句を言っているのだ。



わたしはこれは、日本人の悪い癖だと思っている。


疑問に思うこと、憤りを感じること、おかしいと思うことがあるにもかかわらず、それを口にしようとしない。「なぜ?」と一言聞こうとしない。

その代わりに周りの人に愚痴ったり、怒りを自分の中で膨らませひとりもんもんとしたりする。そしてストレスを溜め込むのだ。


もちろん、彼女たちは英語があまり話せない、ということもあるのかもしれない。けれどそれは理由にはならない。なぜなら、一言「なぜ?」と聞くことに、英語力のあるなしは関係ないからだ。



以前も書いたことがあるのだけど、多くの海外の人たちは意思表示をするのが当たり前という文化を持っている。もしこの状況だったら、「わたしは牛乳が飲みたい。パンやシリアルは無料なのに、なぜ牛乳だけ無料ではないのか?」ときちんと聞くことだろう。


もし日本人の彼女が「なぜタダじゃないのか」と聞きさえすれば、理由を教えてもらえ、納得できたかもしれない。

もしくは、「それはおかしい」と抗議することもできたかもしれない。

けれど彼女は聞くことをしなかった。それにより、コミュニケーションは絶たれた。ただ「むかつくスタッフ」「けち臭いホステル」という印象を持ち、不快な気持ちを解消せぬまま旅を終えるだろう。

スタッフの側にも「ルールを知らない日本人」として認識されてしまい、お互マイナスでしかない。



嫌なこと、おかしいと思ったことをきちんと口に出して相手に伝えると、人はそう簡単に人を嫌いになることができない。

人が人を嫌いになるときは、たいてい「おかしいと感じていることを相手に伝えない」「疑問に思ったのに口に出さず、自分の中で溜め込んでいる」ときだ。こちらの気持ちを伝えずに、勝手に相手を悪者にして、勝手に嫌いになるのだ。


でもそんなの、すごく悲しいじゃないか?本当はわかりあえたかもしれないのに、理由を聞くことを放棄し、コミュニケーションを断ってしまったがために、お互が嫌な思いをする。


わたしたち日本人は、もっと疑問に思ったこと、おかしいと感じたことは口に出すべきではないだろうか。つい癖で、言いたいことをぐっと我慢してしまうわたしたちだけど、でもそんなの誰も幸せにならない悪い癖でしかない。


言いたいことはちゃんと言おう。相手を嫌いにならないために、なにより自分が嫌な気持ちにならないために。

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