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自己紹介⑨ セミナー依存症になって借金が増えていった起業スタートアップ

2007年4月、僕は天職を見つけました。シンガポールで開催されたNational Achievers Congress というセミナーイベントの衝撃があまりにも凄すぎた。身体全身に電流が走ったような ビビビビビッ!! とした感覚。海外のセミナーは、本当にエンターテイメントでロックコンサートを見ているかのような熱気に包まれている。そう感じた時に僕は、決めました。

俺、セミナー講師になる!

その時、セミナーというものがかつてやっていたバンドのライブのように感じたのです。スピーカーは表現者であり、音楽ではなく言葉で表現しているんだ。セミナーはライブであり、コンテンツは楽曲。これは、かつて目指したけど諦めてしまったアーティストとしての違う表現だ。そう思ったとき、凄く心が湧き踊りました。何とも言えないワクワクした感情が全身を駆け巡ります。

俺も、彼らみたいに大勢の前でセミナーやりたい!
俺も、世界を飛び回るスピーカーになりたい!

ようやく僕は、生きる道を見つけたのです。


シンガポールから帰り、僕はセミナー講師になるための道を探し始めました。2007年当時というのは、今のように誰もがセミナーをしているわけではなく、学会や商工会議所、著者などごくごく限られた人だけが開催していた時代です。セミナールームも少なく、セミナーの仕方を教えてくれる人もいません。その中でセミナー講師になろうと勉強を始めるにも、情報があまりありませんでした。とりあえず本屋に行き、コミュニケーションや自己啓発の本を購入。セミナー講師になろうにも、僕には話すコンテンツがありませんから、話すネタをつくっていくことも僕にとっての課題でした。

とにかくいろんな本を読みました。MLMで知り合った方に紹介してもらった本はすべて読み、オーディオプログラムも購入し、ずっと聞いていました。これまでそうした本を読んだことがなかったので、新しい世界に飛び込んだというエキサイティングでワクワクした感情で毎日が凄く楽しくなりました。しかし、新しい知識が増えていくばかりで、セミナー講師にどうやってなるのかは全く分かりません。そんなある日、知人からプレゼンテーションが学べるセミナーを紹介されます。これが僕にとって、苦しみの始まりとなりました。

そのプレゼンテーションのセミナーは、在日外国人が講師Kのセミナーでした。参加費は、5000円くらいだったと思います。僕は、その講師のカッコいいスピーチにすぐに心惹かれました。日本人とは違うシュッ!としたいでたち、立ち振る舞い。おまけに日本語がペラペラ。話も面白い。この人にプレゼンを教わりたい! そう思い、セミナー終了時に紹介された50000円のプレゼンレッスンに申し込みます。ようやく道が開けてきた気がしました。

実際のプレゼンレッスンは、本当に素晴らしいものでした。話の構成はもちろん、人前で話す苦手意識も克服できました。このプレゼンをコンテンツを応用すれば、セミナーも作れます。ここで学んだことは、やがてビジネスとなっていきました。この講師K、このコンテンツに出会えたのは、僕の人生を大きく変えた本当に嬉しいことでした。

このプレゼンレッスンをきっかけに、この講師Kとの関係性が近くなります。僕の彼への信頼は高まっていたのもあり、彼のコーチングを受けることにしました。全9回で36万円。その時の僕にとって、非常に大きな買い物で悩みましたが、自分を育てる自己投資としてコーチングをお願いする事にしました。コーチングを受けるようになってから、講師Kから「セミナーの運営を手伝ってほしい」 という話がありました。セミナーのつくり方を学びたかった僕にしたら、現場で学べる絶好のチャンス。二つ返事でOKし、セミナー作りについて実践で学んでいくようになりました。

実は講師K、世界的に有名なコーチ アンソニー・ロビンズの影響をものすごく受けた方でした。プレゼンのコンテンツもコーチングもアンソニーのセミナーで教わったもの。僕も次第にアンソニーに興味を持ち始め、やがてアンソニーのコーチングが日本で学べるコーチングスクールに通うことになりました。確か授業料は50万円。高いと思いながらも、コーチングを学びはじめ、それを皮切りに心の世界を学び始めることになります。

2008年3月20日、ついに僕は人生初のセミナーを開催しました。会場は、渋谷にあるカフェミヤマの会議室。テーマは、『3分で信頼関係を築くプロフィールの作り方』。参加費は3000円。コーチングスクールの友人が13名ほど参加してくれました。何しろ初めてのセミナー。がちがちに緊張しながらも特段トラブルもなく、無事にやり遂げることができました。いやぁ怖かった。でも楽しかった。

やっぱりセミナー講師として活動したい!

そんな気持ちが高まっていきました。実は、初めてセミナーをやった時は、まだ父の会社を手伝っているときです。その日も朝から現場を周り、早めに仕事を切り上げ、シャワーを浴び、スーツに着替えて、セミナーをしたのでした。その日はかなりバタバタした一日で、本当はもっとセミナー前に準備をしたい。セミナー講師としての仕事に集中したい。そう思い、いよいよ父の会社を辞めようと思うのですが、そこにはとても大きい恐怖があります。やりたいことがあるのに、その一歩を踏み出したのに、そっちに行けない。そんな葛藤がずっと続きます。しかし、いよいよ我慢も限界。親に勘当されることを承知で、父の会社を辞めることにしたのです。

父の反応はあっけないものでした。父に会社を辞めたい旨を伝えたところ、

「いいよ。やりたいことはやりたいうちにやりなさい」

ふたつ返事でOKでした。僕は、親子の縁を切られるのではないかという恐怖をずっと抱いていたものですから、この返事は正直拍子抜け。しかし、大きな安堵感と父の大きな愛をすごく感じたのでした。結局、僕は勝手に親子の縁を切られると勘違いして、怯えていただけだったんです。完全な勘違い。僕の父は、そんなことをしなかった。いや、する人間ではなかった。なのに僕は父のことを『親子の縁を切る人間』 と決めつけていたんですね。それに怯えていた。自作自演も良いところです。ようやく、父の愛の大きさを知ることができました。

こうして僕は、父の会社をやめ、セミナー講師として起業することになります。しかし、僕の借金は大きく膨れ上がっていました。貯金のない僕は、コーチングや高額セミナーの参加費用を消費者金融に借金して工面していたのでした。アンソニーのセミナーをリアルで受講したくて、アメリカにも行ってきました。その費用も借金です。父の会社は辞めてしまったので、毎月の収入は無くなりました。セミナー講師としての活動に支障がないような仕事を派遣社員として始めましたが、それで返せるような額ではありません。

セミナーをたくさん売ってお金返せばいいや

という甘い考えをしていました。はじめは売れていたセミナーも次第に売れなくなりました。僕は、セミナー作り方は学んだけれど、セミナーの売り方は学んでいませんでした。これまで売れてきたのは、たんなるラッキー。セミナーが売れません。お金が入りません。利息がドンドンかさんでいきます。返せません。毎日、督促が来ます。この状況を打破するために、セミナーに参加しようと思いました。でも、セミナーに参加できるお金がありません。その時、僕は気づきました。

俺、セミナー依存症になってる……

僕は、セミナーに参加すればなんとかなる、と思っていました。セミナーに参加すれば、セミナーができるようになる。セミナーが売れるようになる。コーチングができるようになる。影響力がつく。お客さんが増える。注目される。お金が稼げる。幸せになれる。そんな風に考えていました。確かにセミナーに参加して、変わったこともあります。しかし、それは学んだことを実践したからであって、セミナーがしてくれたわけではありません。それは分かっていたはずなのに、僕はいつの日からか、セミナーに参加すれば何とかなる、と思い込み、セミナーに依存し、そこに大金を突っ込むようになっていったのです。借金をしてまで……

その借金は、バンド時代のそれの倍近くにまで膨れ上がりました。

どうしよう……

続く




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