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⑤5つの口の形と5つの法則

はじめに  ~5段活用の謎~

 日本語が世界の言語の中でも極めて特殊な言語だという話はよく聞く。

 事実そんな動画もたくさん出ている。似た外国語がない、起源がわからない、語彙数が多い…etc.

 しかし、今回取り上げる動詞の五段活用については、日本語の特殊性ではあるが扱ったサイトは特に見当たらない。ウィキペディアの五段活用も淡々と書いてあるのみ。

  英語の活用法とももちろん違う。

 学校で習って覚えてる人ばかりだと思うが、その活用は下図の通り。

 何故に、五段活用が未然、連用、終止、連体、仮定、命令になるのか? その理由は何だろうか? 

 国語で五段活用を習った時、5つの母音で全てを表すことができる完璧さに驚くとともに、何故そうなるのか?という疑問が湧きあがって仕方がなかった。

 当時は全くわからなかったが、今ならキチンと答えることができる。

 只それが他者に伝わるかどうかは悩みどころだ。最近の私の記事は1つを除いてどれもあまり理解されないからだが、共感を得やすいところから書くようにしてみたい(ムリか?)。

1.5つの口の形

 まず、日本語の「あいうえお」は5つのタイプしかない口の形にピッタリ合致している。英語のアルファベットでも母音は「AIUEO」しかないが、実際の発音には「え」の形で「あ」と発音したり様々あったりする。日本語にはそれがない。だから優位性を主張したいという訳ではないが、日本語の方が素直な印象を受ける。

 先ほど5つのタイプしかない口の形と述べたが、これは要するに5つのタイプの裂け目しかない。大きくまるく裂ければ「あ」、横に裂ければ「い」、小さくまるく裂ければ「う」、四角く裂ければ「え」、縦に裂ければ「お」となる。

 中国神話で大昔、天地が荒れに荒れてあちこちが裂けたとき、女神“女媧”が「五色の石」を裂け目に埋めて修復したという有名な話があり、その石とは東洋的に木火土金水(もっかどごんすい)のことであると解釈されることが多いが、土や金属はともかく水や木は(五色の)石なのか、そもそも火で裂け目を埋められないだろうと思う。

 只それも、天地の裂け目の形に上述の5タイプの裂け目があれば、何をどう修復したかが見えてくる。後述したい。

2.終止形「う」

 最初に一番わかりやすいところ、終止形「う」から始めたい。動詞の基本形である。

 筆者が使うサイバネティクスのモデルでは、図の真ん中の要素に当たる。

 「持つ」「見る」「話す」「洗う」…、何でも当たるが、自我と対象との間につくられる特徴の要素が終止形「う」である。

3.命令形「お」

 次に命令形「お」を考えてみたい。「見ろ」と命令する場合、通常は「~という対象を見ろ」と、「相手という他我」に言う。

 命令形には対象が伴う。そこで次の図を用意した。インプットが意識、アウトプットが対象の信号側モデルである。

 「出ろ」と命令しても、対象が無ければどこから出ていいか分からない。まず、図の上の「意識」の要素から自我に降りてきて、動詞の出るへ、そして最終的に“どこ”から出ろと対象の世界が関係する

4.連用形「い」

 複数の動詞をつなぐ時に連用形となるが、このとき意識が関係する。上の「出ろ」を例に使えば、“周りを見て”、“出口を探し”、“静かにドアノブを回し”、と意識して「出ろ」となる。

 一方、命令(信号側)ではなく操縦側の例でも、手を開き、(バッグの取っ手を)持ち、握り、持ち上げ、等と意識が働いたり、バッグを見て様々なことを思ったりする。持ち運びやすくカッコいい等。

 「う」、「お」、「い」までは分かりやすいのではないだろうか? 次の未然形「あ」と仮定形「え」は少し記述が長くなる。

5.未然形「あ」

 今度は、未だ起こらない、未だ何もしていない、という未然形の図を見てみたい。

 左図が自分とバッグとがただ在るだけの関係の段階で、右が自分とバッグとの間に持つや見る、運ぶ等の特徴がつくられる段階である。

 ただの主体としての自分。

 これを前回記事では、ドイツのフォン・ホルストの実験とともに紹介した。難しいかもしれないが、細部は読み飛ばして要旨だけつかんでもらいたい。

 さて、スライドの2ページ目の図だけを抜き出し、対象を加えた5要素の図がこれである。上から3番目の要素(自我の部分)があるからこそ、正確に見ることができるとホルストは説く。

  では最後に上から1番目の要素を見ていきたい。

6.仮定形「え」

 “もし~すれば”と仮定する時の活用、仮定形「え」。身体のどこに当たるか?となると、手足でも首でもなく頭の中、しかも大脳のうちもっとも人類に豊かに備わっている外側の分厚い部分、大脳新皮質である。

 ウィーナーのサイバネティクスのモデルの1つ「思考回路」では、一番上のプログラムに当たる箇所になる。

 思考回路をもう少し細かくしたものが前回紹介した思考心機能と理屈を練る状態のモデルである。前段階を含めて変化を見よう。

 人が何かを考える時、まず思考の前段階として認知する状態があり、その認知を成り立たせている感覚心機能の範疇観念(ロックやヒュームが言う単純観念)が、次の思考心機能で体系観念(複合観念)に連合する。

 「もしも今ここを出れば、後に何が起きるだろうか?」と、あれこれ悩む。図の通り、それらも1つ1つインスピレーションで答えを出していけば悩まなくなるのだが、思考心機能は次々と連合していく。

 だから理屈といっても非科学的な屁理屈もある訳で、理屈と屁理屈、合理と非合理の違いが次のテーマとなるのだが、6節では仮定形「え」が大脳新皮質に当たること、それは5要素の名前で言えば観念に当たること、が分かったところで一旦区切りとしたい。

7.体系観念を共有する2つの状態

 笛を吹くとき、ラケットを振るとき、誰しも最初はうまくいかないが、練習を重ね、技術を身に着けていくと次第に一人前になっていくものである。その段階的変化を表したモデル。

 ここにも体系観念が出てくる。果たして6節の体系観念と同じものか否か?

 仮定形を用いた文「もし笛の穴をこう押さえれば、~な音が出る」という体系、連合があるからこそ、理屈状態の体系観念と全く同じものと言うことができる。

 逆に言えば、独立状態を成り立たせない体系、連合で理屈を練っても、それは非合理な屁理屈なのである。

 合理的な理屈といえば、我々はすぐ実験科学を口にするけれども、実験や数学以外にも状態を一人前に成り立たせていれば、理屈として通用するものだ。

 これはアメリカの哲学者、パースが「真理は道具のように使えるものでなければならない」と述べたプラグマティズム(実用主義)と同じ話である。

 そこがアメリカという国の強いところで、道具として使える理屈ならば伝統を躊躇なく捨てて柔軟に考え方を変えていく。

 逆に日本はどうか?

 いかに役に立つ提案があっても全く聞かず伝統や旧習を頑なに守ろうとする傾向が強い。何故?と聞くと「~だから」と形通りの回答はするものの、非合理で窮屈な思いや違和感が残り続ける。

 世界中がマスクをはずすようになっても、屋外ですらはずさない日本。世界中がカルト指定している新興宗教を与党政権がずっと擁護し続け、今なお支持されている日本(支持率は下がり続けているものの)。

 体系観念をしっかりしたものにするよう心掛ければ、論理的な思考、建設的な議論、真っ当な独立が得られる。

8.オアエイウの五法則

 理屈状態(n)の体系観念と、独立状態(z)の体系観念とを同じにすることを「え」のアルファベット「E」を使い、「nEzu」と表現すると、非合理な日本を改めれらるかもしれない。

 込み合う場所では着用しつつ、他ではマスクをはずす諸外国の「nEzu」に比べれば、常時着用する日本は「nEza」である。つまり独立が成立しないzaの理屈。矛盾が多いカルトに依拠する自民党の屁理屈も「nEza」。

 では何故そうなるのか? 誤った状況を導く状態の法則に「O」がある。下のスライドに、EやOを含む5つの法則をまとめた。

 3頁目で、組織の中の状態は一定の方法に固定されてしまう仕組みが描かれている。社風や校風もそうだが、挨拶の仕方、集合の仕方、食べ方から服装まで決まった体系観念を身に着ければ“一人前”となる。他にどんなに良い方法があろうとも。

 これが「O」であり、トップと幹部、上司、末端までの4者をつなげて、「wiWOZizu」と表される。

 次の5頁目は下剋上が起きる組織崩壊のA法則

 6頁目では組織から脱して可能性を探るE法則

 可能性を探るだけで終わらず、偶然と出会いながら進む7頁目のI法則

 そして8頁目では、必然性を得られるU法則となり、新たな組織Oに戻る。

9.歴史が円環的になる仕組み。

 古来、多くの賢者が歴史の円環性に着目してきたが、日本史の場合、次のように螺旋状にまとめられる。

  気付いたきっかけは、幕府も自民党(単独政権、鳩山一郎~宮澤喜一)も15代で終わったからだった。

 その仕組みも、歴史を4つに分けて幕府初期の制度期(主に3代目)と後期の改革期(主に8代目)を「O法則」で見直せば分かってくる。

 OAEIUの順に歴史は変わる。おそらく、五色の石による修復も全体のバランスを整えることだったろう。

 現代は戦後の諸制度が制度疲労を起こしつつ、新しい制度への哲学的議論もないまま、安易にカルトに便り、ツイデモが起きているA法則の状況である。

10.循環型社会への萌芽

 最後に新制度の方向性を述べて結びとしたいが、それは「完全循環型社会」しかない。

 資源的な意味だけでなく、政治や知性も含め。

 直線型では資源の枯渇や環境汚染を招き、人口減少という結論になっていく。

 循環型というとリサイクルでとどまる。

 完全循環型こそが根本的に解決する。その技術だけでなく哲学をも含める。

 実は五法則でその萌芽を認めることができる。

  評論家の分析をインストラクターが採用すれば、知恵が無駄に捨てられることなく活かされ、循環する。

 このように、8つの状態の体系観念と範疇観念をE法則で結び付ければ循環した文章になる。

いずれ、そのような循環を幾つか紹介し、正義や罪についても踏み込みたい。

→⑥(回路編)へ



 

 

 



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