最新のスマホで他人の幸福ばかり覗いている
大学時代の友人が投稿した、彩度の高い回らないお寿司。
恋人の名前を彫った、やたらと画質のいいリングの写真。
ここ最近、私は幸福の獲得に関心がある。哲学者達が提唱する幸福論を眺めた結果、スマートフォンで他人の生活を覗き見ることは、やはり幸福には繋がらないと改めて実感している。
10万円前後の小さな精密機械で、ひたすら他人の幸福を目に焼き付けて毎日を過ごしている。どんなに他人の幸福を眺めていても、自分自身が幸福になることはないはずだ。惚気話を聞いても、聞き手に恋人はできない。
幸福とは、外部からの影響を受けず、自らの活動が妨害されていない状態である思う。人生の目的を考え抜いたうえで見つけ出した「やるべきこと」に全神経を注ぐことができたら、それこそが幸福なのではないだろうか。
幸福の獲得とは、そのような精神的教養を高めることであり、
最新のiPhoneを予約注文することではない。
人間は無意識に幸福を求めている。
そして、可能な限り不幸を避けながら生きている。
スマートフォンは、小型の地獄だ。
他人の眩い幸福を映し出し、私達を影にする機能を搭載されている。
SNSを眺めるという行為は、自分から不幸を求めているのと同じだ。
「モノ」が本当に幸福にさせてくれるのか?
そもそも、自分にとって幸福とはなにか?
計画的陳腐化というやるせないマーケティング手法が存在するような、現在が資源の無駄遣いなど考慮されない世界である以上、幸福とはなにかを改めて考える必要がある。
未来のためにできること、それはひとりひとりが本当の幸福を追求することだ。
何度も言うが、精神的充足こそが幸福のカギである。
精神が豊かであれば、外部から得る豊かさは不要である。
精神的に満たされている賢者達は、宝くじを買いに外に出ることはない。
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