見出し画像

『ダンガンロンパ霧切』北山猛邦 著(星海社)

毎月更新 / BLACK HOLE:新作小説レビュー 2020年6月


 一冊の本が人生を変えてくれる
 そんなことがほんとうにあるのかどうか。きっとあるのだろう。私の先輩にはたった一本の同人短編でその後の人生が決定したひとがいる。私だってミステリ小説との出会いがなければまた違った人生を歩んでいたかもしれない。
 では、逆にこういうのはどうだろう。
 人生が変わる瞬間を書いた小説
『ダンガンロンパ霧切』は、霧切響子というひとりの人間の「人生が変わる瞬間」を描いた作品だ。
 全7巻のこの物語は、常にその「瞬間」に向けて進んでいく。いってみれば時限爆弾のような小説だ。霧切響子がどんな生い立ちを持ち、いかにしてその人生を変えることになったのか。著者の北山猛邦は徹底して計算された筆致により、その心理を描いていく。
 霧切響子北山猛邦。この奇妙な二人組とわたしが出会ったのはほぼ同時期──つまり七年前のことだった。

 当時本格ミステリというジャンルにハマりたてだった私は、「物理トリックの天才」として業界に名を轟かせる北山猛邦の作品にも興味を寄せていた。いつかは読みたい、と思っていたわけだ。そんな折に発売されたのが『ダンガンロンパ霧切』だった。
 どうやらゲーム『ダンガンロンパ』シリーズのスピンオフらしい。なるほど。興味が湧くのは自然なことだ。ごく当然の流れとして、私はまず謎解きゲームの傑作として当時から名高かった『ダンガンロンパ』をプレイすることになる。
 驚くほど熱中した。そのクールな世界観命がけの推理劇の緊迫感。そしてキャラクターと物語の魅力。何よりとてつもない逆境の中でもロジックによって活路を掴み希望を見出していく霧切響子のキャラクター造形には痺れた。
 そこから先は早かった。シリーズ作品を追いかけ始め、日夜『ダンガンロンパ』の設定やゲームのルール、自分で続編を作るなら……などという終わりのない想像が始まる。それと同時進行で、私は北山猛邦の作品にも触れていった。『『瑠璃城』殺人事件』を最初に手に取って、一気に引き込まれた城シリーズ、笑いと温かみに満ちた音野順シリーズ、そして一度読んだらけっして忘れられない『少年検閲官』の世界。その作品世界は驚くほど美しく、残酷で、そして魅惑的だった
 もちろん『ダンガンロンパ霧切』も手に取った。自分の好きなものがふたつ合わさっているのだから、楽しくないはずがない。毎年の新刊を心待ちにした。学校帰りに『ロン霧』と『オルゴーリェンヌ』を買い、電車内ではらはらしながらページを捲った。あの感動は忘れようもない。

 そして七年が経った今、『ロン霧』は全7巻をもって完結を迎えた。なにひとつケチをつける必要のない、完璧な幕切れだった。
 何がどう完璧だったのか

『ロン霧』は、ゲーム『ダンガンロンパ』に登場する天才高校生・霧切響子の生い立ちを描く前日譚のエピソードだ。ゲームの世界観をところどころ利用しつつ、北山猛邦がオリジナルで用意した「探偵図書館」と「犯罪被害者救済委員会」の推理対決を主軸に話が展開されていく。登場人物も霧切響子を除けばほとんどが北山のオリジナルキャラクターだ。
 あらすじをざっくり説明してみる。こんな感じ。


 高校生探偵の五月雨結はある事件に巻き込まれた先で、中学生の少女・霧切響子と出会う。驚異的な頭脳で推理を展開し、難事件を解決する霧切響子。結は霧切に振り回されつつも、ともに事件の捜査をしていくことになる。ふたりは殺人事件を見世物にする組織・犯罪被害者救済委員会の存在を突き止め、その計画を阻止するために東奔西走する。

 シリーズは全7巻。おおざっぱに区分けすると、
  1巻が密室劇を扱う「シリウス天文台殺人事件」、
  2巻が閉鎖空間とコンゲームを組み合わせた「探偵オークション」、
  3〜5巻が怒涛の密室連続殺人を描く「密室十二宮」、
  6巻が変則的な謎解きの見事な「銃撃戦《スナイピングバトル》」で、
  7巻は完結編だ。
 単巻完結の謎解きもあれば、続き物としていくつもの巻をまたいだ伏線回収をする部分もあるのがこのシリーズの面白さのひとつでもある。

 ロン霧において最大の見どころは、五月雨結と霧切響子というふたりの少女の生き様だ。
 五月雨結は明るく前向きで、年上らしくしっかりと振る舞いつつも、ひとたび霧切の推理が始まれば補助に徹する。とにかく正義感に満ちた主人公気質の高校生
 一方の霧切はというと、抜群の推理力と蛮勇を持ちながらも、特殊な出自と異常なまでの使命感で動く極端なキャラクター。特に初登場時は無愛想で、何を考えているのかわからない人物として描かれる。
 そんな正反対なふたりを結ぶのが「探偵」という立場だ。犯罪を止め、真実を明らかにし、正義を執行する。そんな大義を背負って、ふたりは事件と立ち向かっていく。
 ここで恐ろしいのは、ふたりの弱い部分が明確に描写されていることだ。五月雨結は過去にある事件で親しい人物を失い、そのトラウマがきっかけで探偵になることを決意した。その強すぎる正義感は、作中で度々危ういものとして指摘される。
 霧切響子もまた弱い人物だ。彼女はそもそも(一応)非力な女子中学生だし、彼女が探偵として戦うのは「そういう環境で育ったから」でしかない。(細かくは説明しないので、詳しくは本編を読んで欲しい)。彼女は何度も自分の使命と存在意義を自問自答する
 弱さを秘めたふたりが事件に立ち向かう姿は、ひどく危なっかしい。五月雨結は霧切響子を命がけで守ろうとするし、霧切もまた結のことを強く信頼してその力になろうとする。だが彼女たちが立ち向かう敵はあまりにも強大で、かつ残酷だ
 だがそれでも。どんな困難が立ち塞がろうともふたりは事件との対決をやめない。その背中がとにかく読者の胸を打つ。そして迎える結末。これがまた……すさまじい。

『ダンガンロンパ』という作品のテーマのひとつは、「相手を信じることができるか」というところだと思う。
 そもそも原作ゲームは「自分たちの中の誰かが殺人者かもしれない」という疑心暗鬼のコロシアイを描いている。そんな状況下で、だれかを信じることはできるのか
 ゲーム本編での霧切響子の役割にも、このテーマが深く関わってくる。プレイヤーが文字通り「霧切響子を信じるか否か」という点が、ストーリーの非常に重要な点になってくるからだ。
『ロン霧』でも「信じるかどうか」という問題は何度も出てくる。五月雨結と霧切響子。ふたりはいくつもの事件を乗り越えていく中で、幾度も選択を迫られる。「誰を信じるべきか」。それはロジックによって必ずしも答えが出せる問題ではない。究極的には自分が「誰を信じたいか」という問題に他ならないのだ。
 霧切響子と五月雨結はこの問題についてそれぞれに結論を出す。その対比こそ、このシリーズのキモといえるかもしれない。わたしは7巻でふたりの思考の流れが理解できたとき、ふたりの意図に共感ができたとき、思わず声が出るほどの衝撃が走った
『ロン霧』が完結するまでに7年がかかったが、これほどまでにしっかりと筋道を通してふたりの少女の心を描き通すには、7年という時間は当然必要なものだったといわざるをえない

 ところで、北山猛邦の作品において、探偵役は「弱者」として描かれることが多い。引きこもり探偵の音野順、失敗だらけの猫柳十一弦、悲しみを抱えて流浪する綿里外──。
 デビュー作『『クロック城』殺人事件』において、探偵役の深騎はこんな言葉すら口にする。

僕に救いを期待しないでくれ

 なんとも寄る辺ない台詞だ。
 北山作品における探偵たちは、弱く大人になりきれない精神性と、抱え込みすぎた苦悩を背負ったまま、論理だけを武器に世界と対決させられる。その姿はスナイパーライフルを背負った幼い霧切響子と同じように、頼りなくて危なっかしい。
 だが北山は、かれらにそれだけの重荷を背負わせながらも、決して探偵たちを見放すことはない。むしろその苦難の旅路を祝福し、かれらの伝記を描くことによってその戦いを祝福する。『ロン霧』はまさしく、霧切響子と五月雨結というふたりの少女の生き様を、細心の注意を払って活写した作品だ。
 だれかを守るために、あるいは自分の宿命を果たすために。そんなロマン趣味の騎士道精神で戦う弱者たちを北山猛邦は心から愛しているのだと思う

 ストーリーの話を永遠にしていたいくらいだけれど、それではキリがないのでプロット面についても触れていこう。ここからはちょっとマニアックな話になる。
 私は『ロン霧』は脱本格ミステリ文脈的な計算の上で成り立っている作品だと思う。
 というのもこのシリーズはいわゆる本格ミステリのオマージュをこれでもかというほどやりつつ、同時にそのルールを意図的に外していっているからだ。例えば2巻の探偵オークションや6巻の銃撃戦が顕著だが、『ロン霧』で行われていることはいわゆる古風な謎解きミステリのテンションではない。どちらかというと『LIAR GAME』とか『嘘喰い』みたいな頭脳戦マンガの雰囲気じゃないかと思う。
 そもそも『ロン霧』は『ダンガンロンパ』のプレイヤーに向けて書かれた作品。だから本格ミステリの文脈に寄りかからず、普段推理小説を読まない層でも楽しめるような工夫が凝らされている。
 工夫のひとつが「黒の挑戦」というアイデアだ。「黒の挑戦」は犯罪被害者救済委員会が探偵に対して用意する犯罪予告。探偵は予告された殺人を制限時間内に解決して、犯人の告発をしなくてはならない。告発が成功すれば探偵の勝利。それができなければ犯人側の勝利となる。
 作中のゲームは、限りなく本格ミステリに近いが似て非なるものである。本格ミステリのキモは「探偵対犯人の知能戦」であり「双方に勝利のチャンスがあるフェアネス」だ。この二点は「黒の挑戦」においても最重要ルールであり、そういう意味ではこれもある種の本格ミステリと呼べるだろう。
 しかしながら、「黒の挑戦」におけるルールはいわゆる直球の本格ミステリのそれとはちょっと違う。なぜならば、ゲームのルール自体が逐次的に変更される可能性があるからだ。「黒の挑戦」の内部で成立するルールは、現実世界のそれとは明確に異なる。胴元によって恣意的に設定され、かつ個々の事件において勝利条件や場面設定の異なるルールだ。
 だからこそ、そこに「お約束」は成立しない
 本格ミステリを論じる上で頻繁に出てくるのは作者対読者という対立軸。作者は読者が自力で真相に気づけるように、あくまでフェアに情報を提示すべきだ、といった類の議論があるわけだ。しかしこれは物語の虚構性を認め、その背後に作者という「創造神」の存在を認めることにほかならない。そこで『ロン霧』ではこの作者の位置に作中の「委員会」を持ってくることによって、虚構性の問題を綺麗に回避している。
※ここで説明しているのは『ロン霧』が本格ミステリと呼ぶに足るかというレベルの話ではない。(もちろん呼ぶに足ると思うが、それは別論。)
『ロン霧』は作中に「黒の挑戦」という枠を設定し、「作中作」として謎解きの出題を行うことによって、「出題者としての作者」の立ち位置に犯罪被害者救済委員会を置き、作品を一段階上のメタレベルまで昇華させた。これにより余計なお約束や予備知識を一段とばしにして、純粋に新鮮な気持ちで作中の「知能戦」を読めるように工夫している。

 もう少しだけ掘り下げてみよう。
『少年検閲官』の文庫解説において、法月綸太郎が次のように述べている。


「北山猛邦の小説の核には、『純粋トリック空間』とでも呼ぶしかないような、不思議な領域があるのではないか」

 この後に続く文章の中で、法月は北山作品における虚構性の高い世界設定と、その内部に本格ミステリ的事件を設置する手法の虚構性の高い世界設定を指摘したうえで、北山が本格ミステリ的秩序を強く志向しつつも同時にアモルファス(=非晶質)な要素を持っているのだと分析している。ファンタジー的あるいはメルヘン的でアモルファスな世界観と、その内部に浮かぶを指摘したうえで、北山が本格ミステリ的秩序を強く志向しつつも同時に。その二つの共存している状態を、法月は『純粋トリック空間』と呼ぶ。
 もはや説明不要だと思うが、『ロン霧』においてこの『純粋トリック空間』を成立させているのは、先述の通り「黒の挑戦」という枠組みに他ならない。そして純粋トリック空間としての「黒の挑戦」は、『ロン霧』における作中ゲームの枠組みを維持するだけでなく、作品世界の空気感にも影響を与えている。
 原作『ダンガンロンパ』においてはクローズドサークルと化した学園の内部で、最初から最後まで物語が展開される。これに対して『ロン霧』の舞台は、原作でほとんど描かれなかった「外の世界」だ。1巻や2巻ではクローズド・サークルに閉じ込められる話が登場するものの、あくまでそれらの閉塞状況は一時的なものに他ならず、探偵役である五月雨結と霧切響子はいくつもの事件現場を渡り歩かなくてはならない
 北山の巧妙なところは、そうした外の世界の描写を最低限のレベルに抑えつつ、あくまで「黒の挑戦」や「委員会との対決」という部分に焦点を当て続けることで、背景をぼんやりとしたピンぼけのヴェールの向こう側に隠したことである。
 ここで機能するのは五月雨結の一人称視点だ。物語は結の『少しだけ』信用できない一人称の語りで展開されていく。彼女は読者が共感しやすい凡人タイプとして設定されているものの、決して饒舌ではない。自分の心情については非常に正直に語るものの、自らの過去については多くを語らないし、世界の在り方についても親切に説明してくれるわけではない。慎み深い語り手だ。
 そんな語りのおかげもあり、『ロン霧』は原作で描かれなかった「外の世界」については適度にぼかしつつ、物語の中心である「黒の挑戦」とキャラクターに焦点を当てる物語となっている。ここにおいて純粋トリック空間本格ミステリの脱お約束原作イメージの保存というふたつの役割を同時にこなし、成功させているわけだ。

 などなど色々なことを書いてきたが、『ロン霧』は間違いなく、作家北山猛邦の集大成とも云えるような大仕事だったのだと思う。完結して物語全体を見渡せるようになった今、改めてそう感じざるをえない。霧切響子というひとりの人間の「人生が変わる瞬間」を描く。そのために作者がかけた労力は計り知れない。一読者としてはほんとうに頭が下がるばかりだ。
 そしてもちろん十周年を迎えた『ダンガンロンパ』という作品シリーズ全体においても、これがひとつの節目になることだろう。
 物語は一巡して、今再び希望ヶ峰学園へと戻ってきたのだから
 シリーズファンとして感無量の思いと、そしてまた完結してしまったことへの寂しさが入り混じる……そんな自分にしてみれば、まだ『ダンガンロンパ』に触れていない未来のプレイヤー、読者たちが羨ましい限りだ。


 もしあなたが未熟で、弱くて、でもそれでもこの世界で生きる意味を欲しているのなら。
 弱きものたちの誇り高き騎士道を見たいのなら。
 この本はきっとあなたの人生を変えてくれる。


文責:夜来風音 


この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?