見出し画像

ラヴェルに「ゴジラ」の影を見た!・・・ラヴェル「ピアノ協奏曲」と伊福部昭

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は9月29日、30日に開催される「すみだクラシックへの扉」で演奏される、フランスの作曲家ラヴェルの「ピアノ協奏曲」に関連したおはなしです。「ピアノ協奏曲」の3楽章に出でくる旋律が、あの有名な怪獣映画の音楽にそっくり・・・果たしてその真相やいかに!?これを読んでラヴェルの曲を聴くと、今までとは違った音楽に聴こえてくるかもしれません。


世の中には「似ている曲」がいろいろある。

母校中央大学の校歌の前奏部分が、ゲーム「ドラゴンクエスト」の「ロトのテーマ」冒頭と似ているとネットで話題になり、今では聴き比べるYouTubeなども存在する。ネットで話題になる前からそのことは僕の周りでも言われていたし、僕もそのように感じたのは確かだ。しかしたかだか6音くらいの音程とリズムが合致しただけのことだ。

本音を言えば「中央大学の校歌がドラクエに似ている」と言われるのはいささか心外だ。

中央大学(茗荷谷キャンパス)

中央大学の校歌の作曲は1950年制定、ドラゴンクエスト第1作発売は1986年だ。したがって中央大学校歌が先輩、ドラクエは後輩ということである。あえて表現するとすれば「ドラクエの曲は中央大学校歌に似ている」と言うべきだと思う。ちなみに中央大学校歌の作曲は坂本良隆、ドイツに留学しヒンデミットに師事した人物。以前「オトの楽園」でヒンデミットを取り上げた回でもその名が登場している。それではその中央大学校歌を聞いてみてみよう。

これは個人的な感想だが、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の歌い出しと、シューベルトの交響曲第8番(かつては第9番といわれていた)「ザ・グレイト」の冒頭と音程関係が似ている。この類似についてはドラクエと中央大学校歌のように話題になってはいないので、一般にはあまり支持はされていないのだろう…一度聴き比べてみてほしい。

そのような「他人の空似」な曲がある。それがラヴェルの「ピアノ協奏曲」と伊福部昭の映画音楽「ゴジラ」のテーマである。これについては、あまりにも荒唐無稽だし、ラヴェルのファンにも伊福部昭のファンにも怒られてしまうような気がして、実は2023年6月の演奏会に向けて原稿を書いていたのだが、一時「お蔵入り」にしていたものを再び書き改めている。


モーリス・ラヴェル

運命の悪戯か、2023年9月に再び新日本フィルでラヴェルの「ピアノ協奏曲」を取り上げる。ならば今度こそ、このコラムを完成させなくては…そんな個人的使命感が寝ていた何かを呼び覚ました。

「映画音楽」「日本人作曲家」をテーマにすることを僕はなんとなく避けていたような気がする。何故なら、このジャンルにはプロアマ問わず「すごく詳しい人」がたくさんいるからだ。中でも「特撮もの」はよりディープで詳しい専門家がたくさんいる。また日本の作曲家の中でも武満徹や黛敏郎、團伊玖磨、芥川也寸志、三善晃、矢代秋雄、西村朗、吉松隆などなど・・・今あげた作曲家は根強い人気で、詳しい人はものすごく多い。その中でも特異な位置を占めているのが「伊福部昭」。今回テーマに取り上げる作曲家である。伊福部もまた多くのファンを持ち、多くの弟子が証言し、多くの「詳しい人」がいる。伊福部昭の作品が演奏されるオケの演奏会に行った際、伊福部昭ファンと思わしき一団がロビーで談笑していた。彼らが着用しているTシャツには「伊福部ファン」の文字が。その凄まじいパワーに思わず怯んでしまった。

伊福部昭といえば、一般的には映画「ゴジラ」の作曲家として知られる。「映画音楽」しかも「特撮」・・・それを作曲した日本人作曲家・・・。「詳しい人がたくさんいる」必要十分条件を満たす作曲家は伊福部をおいて他にはいない。だが、今回は勇気を振り絞って伊福部昭の「ゴジラ」の音楽についてのコラムを書く決心をした。

伊福部昭


そこで今回のテーマとしたのは、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルと伊福部昭、「ゴジラ」の音楽の関係性について。「フランス音楽の巨匠と、日本の現代作曲家に関係があるの?」「それがゴジラとどう繋がるの?」と訝しがる方も多いと思うが、肩肘張らずに軽く読んでいただけたらと思う。

伊福部の音楽人生において「ラヴェル」という作曲家が登場したのは、彼が生まれ故郷北海道で「新音楽連盟」という音楽サークルを結成した頃に遡る。それは伊福部が北海道大学農学部に学ぶなか、友人の作曲家早坂文雄や音楽評論家三浦淳史らとともにの団体メンバーであった。この北海道時代に幾度か催されたレコード鑑賞会で印象深かった作曲家がストラヴィンスキー、ファリャ、そしてラヴェルだったそうだ。

スペインのファリャの作品に関しては結構な感銘を受けたらしく、またストラヴィンスキーの作品については「《火の鳥》を聴いた時には普通の作品だなあと思ったが、《ペトルーシュカ》や《春の祭典》を聴いたときは、このような作品を作曲とよぶのなら、自分も作曲家としてやれるかも?」みたいな趣旨の感想を述べている。伊福部昭の「大物ぶり」が窺えるエピソードだ。

まずはゴジラのテーマを見ていただきたい。この楽譜は現在、僕が11月の演奏会に向けて使用している吹奏楽の楽譜だ。「ゴジラファンタジー」と命名されたこの作品は伊福部昭監修のもと、伊福部門下である作曲家和田薫が編曲したものだ。原作の雰囲気は壊さないように書かれた名アレンジである。

伊福部昭(和田薫編曲)バンドのための「ゴジラファンタジー」のスコアの一部(筆者使用楽譜より)

この楽譜の通り「ドシラ、ドシラ…」と有名なモチーフを見ることができる。この「ドシラ」は「ゴジラ」をもじったものではないかと言われたりもするが、それについて伊福部昭は否定している。スタジオでオケのメンバーが「ゴジラ、ゴジラ」と歌詞をつけてふざけて歌っていたというエピソードも伊福部は語っている。

実はこの部分、伊福部自身の作品に「元ネタ」のような曲があることは一般的、つまりクラシック音楽にこれまであまり馴染みのなかった方々にはあまり知られていないことかもしれない。その曲とは伊福部昭のヴァイオリンと管絃楽のための作品「協奏的狂詩曲」。その第1楽章のなかに登場する。一聴すればそれが「ゴジラ」のテーマであることはすぐにわかるだろう。下の動画のスタートから約12分を過ぎた頃に、そのテーマが登場する。

時系列で比較すると「ゴジラ」が1954年、「協奏風狂詩曲」の初版は1948年(当時は「ヴァイオリン協奏曲」となっていた)なので「協奏風狂詩曲」が先ということになるが、実はこのテーマはのちに改訂されだ時にはじめて登場する。「なんだ、使い回しじゃないか」とここで嘆いたり冷笑したりする人もいるかもしれないが、伊福部昭の作品にはこのような「メロディーの転用」(あえて僕は「サステナブル(持続可能)なメロディーの再利用」と言いたい)の事例は多い。このことがある人をして「伊福部昭の曲は全部同じに聞こえる」という発言にもつながってくるのかもしれないが、僕としてはそのことは「批判」ではなく「聞けばその人とわかるだけの個性をもっている」ということに他ならないと思っている。

ここまでで伊福部昭の「ゴジラ」の有名なメロディーと彼のヴァイオリン協奏曲の関係を知ることができた。「純クラシック作品」と「映画音楽」はその細部においての作法の違いはあるが、伊福部昭の根底では同じ俎上のものであったのだと僕は思っている。昨今、いや昔からずっと「クラシックとポピュラー」とか「純音楽と商業音楽」とかわかりやすい「区別」をしているが「同じ人の手による音楽作品」であることを第一に考えることも我々には必要な「視座」だと思う。

さて、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」は伊福部昭の「協奏風狂詩曲」の初版であるヴァイオリン協奏曲から遡ること約20年前の1930年の完成されたラヴェル最晩年の作品で、彼の完成された作品としては最後から2番目の作品だ。彼自身は「モーツァルトやサン=サーンスのような美意識で作曲した」と言っていたようだが、現代の和声やジャズなど新しい音楽の影響が随所に見られるラヴェルらしいユーモアやウィットに富んだ作品だ。



ラヴェル「ピアノ協奏曲」第3楽章のスコア。赤枠の部分が「ゴジラ」に似ている部分


その協奏曲の第3楽章(曲開始から約20分前後)にそのモチーフは登場する。3楽章がスタートしてすぐに「これはゴジラ?」とすぐに感じるモチーフをピアノが演奏する。しかし、やや「ゴジラ」のメロディーには物足りない。そして楽譜を見比べてみるとわかるように、「ゴジラ」のテーマは4拍子、4拍子、5拍子、4拍子・・・と「変拍子」で書かれているが、ラヴェルのは一貫して「2拍子」で書かれている。実際に譜割りも違うので印象があまり結びつかない。そんなモヤモヤに包まれながらも曲が進んでいくが、曲の後半でピアノとオーケストラで大いに盛り上がっている中で「ゴジラ」によく似た(激似の)メロディーがオーケストラで登場する(上の譜例の部分)。ここまでくると「ゴジラ」にしか聞こえないが、冒頭で触れた中央大学校歌とドラゴンクエストの関係性と一緒で「ゴジラ」より「ピアノ協奏曲」が先だ。

これは僕の個人的な考えだが、伊福部昭が意識してラヴェルの「ピアノ協奏曲」のメロディーを引用、またはオマージュしたとは思えない。だが伊福部昭の心のうちに作曲家ラヴェルの存在は強く刻されていたと思うし、その中で「ピアノ協奏曲」の旋律の断片が脳内にインプットされていた・・・ということはあり得るのではないだろうか。

伊福部昭が作曲家として注目され、また作曲家としてのキャリアをスタートさせる大きな転機となった出来事がある。それはロシアの作曲家で日本をはじめとしたアジアの音楽や音楽家に関心を寄せていたアルクサンドル・チェレプニンというロシア人音楽家が創設した「チェレプニン賞」に応募して、第1等を獲得したことである。その応募の動機の一つが「審査員長がラヴェル」ということだったそうだ。伊福部がラヴェルを敬愛していたエピソードの一つであるが、結局ラヴェルは病気のため審査員長を降りてしまったので「ラヴェルに曲を見てもらう」という伊福部の夢は幻に終わってしまった。しかしどちらにしてもラヴェルがいなければ伊福部の作品がこのように世の中で注目されることはなかったかもしれない。


アレクサンドル・チェレプニン

ラヴェルは「オーケストレーションの魔術師」とか「スイスの時計職人」などという異名を持つほどに「オーケストレーション(管弦楽法)」に長けていた人物。「管弦楽法」とはオーケストラの楽器の特色や機能やそれらの音の重ねかたについても技法のことだ。この「管弦楽法」について伊福部昭が日本の作曲界に残した功績は大きい。伊福部昭の「管絃楽法(そのままの表記)」はかつて東京藝術大学の講師時代にまとめた管弦楽法の文章(かなり立派な論文であったと思われる)をベースにして著されたものであり、現在まで「作曲家のバイブル」として多くの作曲家、作曲学生の道標となっている名著。「管弦楽法」においてもラヴェルと伊福部の見えない糸というものを感じさせる。

「人はみな、1人では生きていけないものだから」というのは中村雅俊のヒット曲「ふれあい」(作詞は小椋佳)の歌詞の一部だが、今に生きる人たちも、また時代や国を超えた人々も、お互いが影響を受けてそれぞれの人生を生きている。たとえ「孤高」の人物であろうとそれは変わらない。だからラヴェルの曲と「ゴジラ」の曲が似ていても、それは「盗作」でも「引用」でもない。好きなものをとことん愛し、それに触れ続けたらそれが自らの「血肉」となることは必ずある。その上で「個性」を出して輝いていけるものなのではないだろうか。

「学ぶ」の語源は「まねぶ」という言葉だと言われている。つまり「真似すること」が「学ぶ」の語源である。ずっと「モノマネ」ばかりではいけないが、それを通じて音楽なり人生なりを「学ぶ」ものだと僕は思う。そしてそれが自らの個性として昇華した時、それがその人にとっての「独り立ち」の瞬間なのかもしれない。伊福部昭は書にも親しみ、子供時代に父の教育の一環で勉強させられた「老子」や「論語」などの中国の故事に因んだ書を多く残しているが、伊福部が好んで用いた「守破離」という言葉はまさにそのような「学び」から「個の確立」へ至るプロセスを端的に表現した言葉だ。

伊福部にとってピアノ協奏曲ほか、ラヴェル作品や他の作曲家の作品が「守」、自らの作風や芸風への模索の中の作品の一つ「ヴァイオリンのための協奏風狂詩曲」が「破」、そして世界的に認知され愛されている「ゴジラ」のテーマが「離」・・・僕にはそのように思えてならない。僕はまだその途上にある。きっと「守」と「破」の間を行ったり来たりしているような気がする。人生の終わりを迎えた時、僕は「守破離」を完成させることができるだろうか?

まだまだ長い旅が続きそうだ。

(文・岡田友弘)


演奏会情報

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会すみだクラシックへの扉 第17回

日時・2023年9月29日(金)、9月30日(土)
開演・14:00 (両日とも)

会場・すみだトリフォニーホール

指揮・阿部加奈子 三浦謙司(ピアノ独奏)

曲目

ラヴェル…亡き王女のためのパヴァーヌ(管弦楽版)

ラヴェル…ピアノ協奏曲ト長調

チャイコフスキー…交響曲第6番《悲愴》

お問合せ
新日本フィル
03-5610-3815 

料金
S5000 A2500 65歳以上S3500 学生S2000 A1000 墨田区在住勤S3000 A1500

執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


最後までお読みいただきありがとうございます! 「スキ」または「シェア」で応援いただけるととても嬉しいです!  ※でもnote班にコーヒーを奢ってくれる方も大歓迎です!