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瞑想(めいそう)の見解

ヨガを学び、実践していくと必ず ”瞑想” にいきつく。

13年前は、それは「もう宗教でしょう?」となっていた私。
宗教を語るなら、まず宗教の意味づけをきちんとする必要がある。

私のイメージの宗教とは
いわゆる「この壺いいよ」「この石あなたに必要」商法。
そう、私の中では商法だった。
人の弱みに漬け込み、うまーくお金を使わせる商法。
そして、幼い私の記憶には、オウム真理教が根深くあり、人は何かを信じると人を殺してしまう事さえあるのかと、衝撃を受けた。

仏教もキリスト教もイスラム教もいわば宗教。
昨今こんなにも世界で広がっている。お金を使わせることだけが目的であればこんなにも世間に広がることはないと思う。
ということは、やはり「商法」ではないのだと気づく。
今までの経験値や、周りからの情報を鵜呑みにし、調べることはなかったが…

「神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され禁忌された神聖な ものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団) を営む。アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教から、呪物崇拝・多神 教などの形態を経て、今日の世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教など に至るまで、文化段階・民族などの違いによって多種多様。多くは教祖・経典・教義 ・典礼などを何らかの形でもつ。」
『広辞苑』第四版、岩波書店、1991 年、1210 頁)より

少し難しい感じだけど、「自分以外の対象」があることはわかる。
そして「信仰」。信仰とは、畏怖(恐れおののくこと)よりも何らかの親和の気持ちが根源にあるとしている状態をいう。

宗教とは、「自分以外の対象」を信仰する状態が生まれることにより、生み出される感情に近いものなのではないかと、今の私は解釈している。

よって
2024年3月の時点での、わたしの見解は
瞑想に関して言えば、全く宗教とは無関係と断言できる。
これば自分が実施、実験した経験からも言える事だが、世界中の研究者が目にみえる形で証明してくれており、それを”マインドフルネス”という、少しキャッチーな言葉で全世界に広がり、やり手のビジネスマンには日課となっているようです。
(瞑想とマインドフルネスもまたすこ違うものだとは思うけどその辺りは今回は曖昧に)

私は"めいそう"をやり始め
”迷走”となり
”瞑想”を体感できた

それはそれは
とっても素っっっ晴らしく
心地よく
ず〜〜〜とそこにいたい  と感じさせてくれるもの。


精神
思考

全て整った時に、瞑想はあちらからやってくる。
その素晴らしい体験をしてしまうと、
日常が日常ではなくなり、感謝が生まれ、祈りの感情が生まれてくる。
(祈りに関してはもっともっと奥が深く、また今度の機会にします)

”瞑想のまねごと”がいつか”瞑想”に連れて行ってくれる。

わたしは
クライアントさんにその方向へのヒントやお手伝いをしながら
日々自分の瞑想を深めている途中。

当たり前はなく、有り難いことばかり。
いつも有難うございます。


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