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【私小説】君のそばにいたい

 霧が立ち込め、夜の冷たさがまだまだ残る朝。

「あ、もうこんな時間か。起きないと」

 目を覚ました私は、起き上がるため、体に力を入れた。だが、体が思うように動かない。いや、体が動くのを拒んでいる。そう言った方が正確かもしれない。そのためか、朝起きて学校へ行くという当たり前のことがいつもの何十倍も憂鬱に感じた。

「動けない、か」

 観念した私は、布団の中にいることを決めた。目をつぶって、眠ろうとした。だが、騒音のせいでなかなか寝付けない。

 私が学校へ行きたくない理由は、主に2つ。進路のことで担任と揉めていること、そして、クラスメートとトラブルを起こしたこと。それで気まずくなって、教室にも入りたくないし、学校へも行きたくなくなっていた。

 時間は6時半、7時と過ぎてゆく。

 障子戸越しに、落ち着いた秋の朝日が、三畳間にも似た陰気な部屋へと入ってゆく。

 私はスマホをいじることにした。起き上がれない私には、できることがそれしかなかったからだ。

(これから何を調べようか)

 そう思い、スマホに検索する語を入力しようと思った矢先に、

「はよ起きれ、学校遅刻するぞ!」

 と家の人から大きな声でどやされた。

 起きたくない、と悲鳴を上げる体を無理矢理に起こした。鉛の鎧を着ているような重さと節々の痛みが体を纏う。


 朝食を食べ終わったあと、何もかもが嫌になった私は、部屋に籠っていた。

「もう疲れた。死にたい」

 壁にもたれかかりながら、ぼそりとつぶやいた。

 家にいても、学校へ行っても私の味方はどこにもいない。世界中が敵なのだ。こういう状況を「四面楚歌」と言うんだっけな。

(もうどうにでもなれ)

 心の中でそうつぶやいてみた。世間は私のように、不器用でコミュニケーション能力0の無能には冷たい。そのうえ、精神を摩耗している人間となると、かなり冷たくなるだろう。

「はぁ......」

 考えれば考えるだけ、ため息しか出ない。

 部屋に閉じこもっていると、家人が、

「怠けてんじゃねぇ。早よ支度して学校行け」

 と罵声を浴びせてきた。

「仕方ねぇな。行けばいいんだろ、行けばよ!!」

 家人が不登校を許してくれないので、動きたくないと叫ぶ体を無理やり動かし、仕方なく支度をした。ドアを乱暴に開け、部屋を出た。そして自転車を出して、やっと言うことを聞くようになった体で学校へと向かった。

 さすがに学校の様子まで家人は見ていないので、授業には出なかった。保健室で勉強をしたり、ちょっとした手伝いをしたりして過ごしていた。


 7限が終わり、放課後となった。

 参考書や筆箱を私はカバンの中へ入れた。カバンを背負ったあと、先生にお礼を言って、保健室を出た。

 窓から入る夕日の光に染められ、橙色に染まる廊下。橙色の光に染まった部分とできた影により、人がいないこともあってか、寂しさを感じる。

「早く学校出てどっか寄ろ」

 下駄箱から靴を取り出して学校から足早に出ようとしたとき、

「あれ、佐竹君じゃん。どうしたん?」

 藤野くんとばったり会ってしまった。

 藤野くんは1年のときからの知り合いで、高2の後半まではそこそこ仲良くしていた。けれども、最近は外向きの活動や進路のことで忙しかったり、考えが合わなかったりするので、彼といる時間は減っていた。

 気まずさと嬉しさが、私の心の中でせめぎ合っている。なんて返そう。

 困惑していた私は、とりあえず、

「ひ、久しぶり」

 と返した。

 安堵の表情にも似た笑みを浮かべた藤野くんは、

「よかった。最近学校来てないからさ、風邪引いたのかと思ってたよ」

 と言った。

「なるほど。ちょっといろいろあってね」

「そうか......。あ、今ちょうど帰るところだからさ、一緒に帰らない? 話聞くからさ」

 藤野くんがそう聞いてきたとき、私は、

(話を聞く? ふざけるなよ)

 と心の中で独り言を言った。

 私の話は誰も聞いてくれない。聞いてもらっても、

「自業自得だ」

「話しなさい」

 この2パターンで終わる。家人以外に話しても、答えは同じだった。だから、藤野くんだって、どうせ奴らと同じだ。

「どうする? 何も言わないからさ」

 問いかける藤野くん。その瞳は、優しい人のそれであった。

「どうするって言われてもな」

「一緒に帰るのか、帰らないのか」

 そう言われても困る。どうせわかってもらえないだろうし。

 私は、お前もどうせ私に心ないことを言うんだろ、と言ってやった。

 いつ泣いてもおかしくなさそうな目で、藤野くんはうつむき加減に言う。

「何もできないけどさ、俺だって佐竹君の力になりたいんだよ……」

 この様子を見た私は、大丈夫だな、と思った。この機に聞いてもらおうか。嫌になるほど。

「仕方ないな。じゃあ話すよ」

「帰るんだね」

「うん」

 不器用な藤野くんの優しさに甘えて、私は一緒に帰ることにした。

 二人は空き地に自転車を停め、そこで立ちながら話すことにした。

 目の前あるのは、冷たい秋風に揺られるすすきと、茜色の夕焼け空に浮かぶ日輪。三夕の歌の情景を、そのまま写真や映像にしたみたいだ。

「どうして保健室にいたん?」

 自転車のスタンドを下げた藤野くんは聞いた。

 藤野くんの問いに、答える私。

「ちょっと教室入りづらくて──。だから、保健室に行ってるの」

「そうなんだ」

 家でのこと、クラスメートとのこと、担任のこと。私は打ち明けるように、藤野くんに話した。

「そうか」

「正直、私は学校なんて行きたくないし、ゆっくり生きたいよ。でも、周りがそれを許そうとしない。徒歩程度の速さで生きてる私に、光の速さで生きるように、人並みに生きるように強要してくる。光の速さで生きられなくて、人並みに生きられない私は、人間失格なのかな?」

「行きたくなけりゃ、行かなくてもいいんじゃない? もし周りの大人が無理矢理に行かせるようなことがあったなら、俺が守ってやる。だから、そうなったとしても、安心して学校に来ていい。約束する。それと、佐竹君はダメなんかじゃない。まあ変な奴だとか、不器用だなと思うことはある。けど、俺にできないことだってたくさんできるし、何より優しい。俺にとっては、初めて心から友達と言える。そんな人間が、人間失格なわけない」

「そう?」

「うん。約束する。あと、佐竹君は思っている以上にいいやつだから」

 そう言って藤野くんはうなずいた。そのときの藤野くんの瞳には、強い意思を持った輝きをたたえていた。

 藤野くんの言葉と男気に、私の胸はキュンとなった。不器用で頼りないくせに、こういうときに限って本気になる。以前の私だったら、内心彼のそういうところにイラっとしていた。けれど、藤野くんの空虚な優しさでも胸にきたこのときの私は、かなり弱っていたのだろう。

(なんなんだよ、こんなときに限って男前になりやがって)

 嬉しさで私は涙を流しそうになった。けれども、冷たい秋の風にさらされ、涙で濡れて風邪を引いてしまいそうだから、泣くのを我慢した。

 同時に、藤野くんのそばにいたい、と心の奥底から思えた。一緒にいるときはいつも窮屈で頼りないのに、こういうときに限って一丁前になる。これが彼の短所でもあり、長所でもあるのだけど。

「あ、ありがとう。あと、今だけでもいいから、一緒にいてもいい?」

「いいよ」

 日が暮れるまで、私は藤野くんとずっと話していた。

(このままずっと、藤野くんとそばにいたい。学校のことも、家のことも、全て忘れて──)

 ずっと、そばにいたい。それは無理かもしれない。けれど、一緒にいられただけでも、とても幸せに感じた。そして、四面楚歌である私にも味方がいる。それがわかっただけでも少し心強い気持ちになれた。


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