【エッセイ】鳩ヶ谷
埼玉県川口市に鳩ヶ谷という土地がある。
元々は「鳩ヶ谷市」という一つの立派な自治体だったそうだが、川口市と合併してしまった。
江戸時代の初め、ここには鳩ヶ谷藩という城のない小さな藩が置かれていた。だが、藩主の移封に伴い廃藩。それ以降は幕領となった。
藩が無くなった後も、日光御成街道沿いの宿場町ということもあって、そこそこ栄えていたようだ。
去年の秋の初め。
私は自転車を走らせ、鳩ヶ谷を目指した。目的地は鳩ヶ谷藩の陣屋の跡地。
鳩ヶ谷藩の陣屋の跡地が気になった理由は、Twitterで鳩ヶ谷についてまとめた画像が回ってきたからだ。
画像を見て鳩ヶ谷に興味を持った私は、近いこともあり、行ってみようかなと考えた。 Googleマップを開き、どんなものがあるのか見てみる。陣屋の跡や古い町並みがあったのでさらに興味を持ったという次第だ。
そこそこ栄えた赤羽の街を抜け、荒川を渡って川口へと入る。
町中を走っているとき、私は、
(下手な東京の田舎よりも栄えているな)
と思った。
東京の田舎に高い建物はそれほどない。大体どこにでもあるような家々が軒を連ねている感じだ。地区によっては鉄道や地下鉄も通っていなかったり、畑があったりすることがある。
畑があることは、食糧的環境的にも悪くないし、のどかだなと感じるので何とも思わない。だが、地下鉄が通っていないというのは、少し不便だなと感じる。
地下鉄で思い出したのだが、
「大江戸線が光が丘からその向こう側まで伸ばせないのは、地下に大量の不発弾があるからだ」
という話を聞いたことがある。
郊外ではあるが、そこそこ栄えている吉祥寺や三鷹に地下鉄が通っていないのは、いささかおかしな話だ。この辺りに地下鉄を引いたら、通勤の密も少しは減るだろうというのに。
でも、第二次大戦時に米軍が落とした不発弾があるかもしれない、というのなら仕方がない。仮に工事を始めたとして、不発弾の爆発を招いたら、大惨事になる可能性があるからだ。
三鷹や吉祥寺まで地下鉄が通ってほしいな、というのが正直なところ。だが、たくさんの人が住んだり行き来したりしている東京。安全には変えられないということなのだろうか。
高層ビルの建ち並ぶ街を抜けると、ようやく町の規模が東京の田舎ぐらいになってくる。
「何だろうな、あれ」
信号待ちをしているときに、道の脇に地下鉄の駅のようなものが見えてきた。その柱には、この近辺の地名が書かれた、駅名と思わしき看板が掲げられていた。
(駅か? それにしても線路やホームらしきものはないのか? となると──)
地下鉄かな? と思い、気になった私は、道順を確かめるのを兼ね、Googleマップを開く。
道順は合っていた。だが、その道に沿うようにして路線が続き、一定の感覚で駅を示すマークがあった。
拡大して線路を見てみると、「埼玉高速鉄道」という路線だった。
埼玉高速鉄道とは、赤羽岩淵から浦和美園までを走る鉄道のこと。埼玉スタジアムから近いことから、埼玉スタジアム線とも呼ばれている。また、地下鉄南北線とも繋がっていて、そのほとんどは地下を通っている。
余談ではあるが、最近では岩槻の方にも路線を通そうとする動きもあるらしい。そうなると、大宮駅から乗り換えせずに東京へ行けるので、さぞ楽であろう。
今度埼玉へ行く機会があったら、どんなものなのか乗ってみようかなと考えている。
国道から旧街道の方へ入った。
景色は今風のビルや住宅街が広がる街から、古めかしい建物が混じった景色へと変わってゆく。
鳩ヶ谷藩の陣屋跡は、旧街道を外れた住宅の密集するところにあった。
近くにあった舗装されていないお寺の駐車場に自転車を停め、私は看板や石碑の類を探した。史跡にはほとんどの割合で、石碑やその場所について詳しく書かかれた看板があるからだ。
だが、探してみたが、看板や石碑らしきものはどこにもなかった。「鳩ヶ谷藩陣屋跡」と書いてあるのは、Googleマップの上だけ。
「何だよ、つまんないの」
せっかく自転車をここまで引っ張ってきたのに、着いた先には何もない。何のために自転車で来たのやら。
途方に暮れた私は、近くにあったお寺にお参りをして帰っていった。
史跡であるならば、分かりやすいように杭や看板だけでも建ててほしいものだ。よほどの事情がない限りは。
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