【音楽エッセイ】スピッツ『夕焼け』と思いを伝えるということ
最近極端な暑さが少し和らいで来た。雨の日も増えてきたから、秋の到来は目の前に来ている。
季節によって、私は聴く曲を分けている。スピッツだと春は『チェリー』と『春の歌』、夏は『ロビンソン』と『遥か』、秋は『スカーレット』、冬は『楓』といった具合に。アニソンだと、春はmiwaの『360°』、夏は牧野由依の『アムリタ』と『ジャスミン』。秋は坂本真綾の『ループ』、冬は浜崎あゆみの『Dearest』という感じで。
秋に聴くスピッツの曲で一番気に入っているのが、『夕焼け』という曲。
どこが気に入っているのかというと、ダークなメロディーともどかしさ満載の歌詞。この二つだ。
イントロのダークなメロディーは、夕暮れ感があるせいか、
(なんか秋らしいな)
と思ってしまう。聴いていると、どこか哀愁を感じるものがあるのだ。
『夕焼け』は、好きな人への思いを伝えられない少年の歌だと私は考えている。歌詞の感じからして、歳のほどは中3か高3ぐらいだろうか。
少年のもどかしさがよくわかるのは、出だしの、
という部分だろう。
「言葉でハッキリ言えない感じ」
「好きでは表現しきれない」
この部分が、君への強い思いを歌っている。わかりやすく例えても、夕焼けとかさかりの野良猫とか、伝わりにくいようなものばかり。ただ、ハッキリわかるのは、
「君が好き」
「思いを伝えられなくても君のそばにいるだけで幸せ」
ということだろう。でも、言葉で上手く言い表せない。もどかしくて胸が苦しくなる。
サビではそんな、言い表せない君への思いが歌われている。
「君のそばにいるだけでもいい」
考えるだけでも切ない。側にいるのは、簡単だけど難しい。一緒にいられる時間も限られている。そんな感傷に浸っているときにあったのは、君といつも見ていた夕焼けだった。
ダークネスなメロディーのせいもあってか、余計に切なさを感じてしまう。
個人的な見解だが、この曲のタイトル『夕焼け』には2通りの意味があると解釈している。1番のサビで歌われているのは、文字通りの「夕焼け」だろう。もう1つの意味については、2番で示唆されている。それを如実に表しているのが、2番のサビの手前にある、
という部分。誰かに笑われたとき、予想外の出来事があって気まずくなったとき。どんなときでも君はそばにいてくれた。これが二番目の部分だ。
ここから、主人公の好きな「君」が、かなり身近な存在であることがわかる。でも、「好き」とは恥ずかしすぎて言えない。身近過ぎるがゆえに、気恥ずかしさが勝っているだろうか。
そして2番目のサビでは、君のことを思っているだけでも幸せ、という気持ちが歌われている。
君のそばに、いや、君のことを考えているだけでもいい。けれども、もう時間がない。あと数ヵ月もしたら、君とも会えなくなるのだから。でも、君といるときは、それすらも忘れられる。
2番からわかるもう一つの「夕焼け」の意味は、君の存在であったことだ。歌詞の感じからは「かなり身近な存在」ということがわかる。歌詞から読み取れる関係性を具体的に言うと、君と主人公の関係は、得意不得意が正反対な幼馴染という感じだろうか。お互いの違いをいいところだと認め合っているような。
ある日主人公は自分とは正反対の君に「好き」という感情を抱いていることに気づいた。だが、いつも一緒にいるから、今さら「好き」というのも恥ずかしくて、なかなか言いづらい。そして、思い出を振り返ると出てくるのが、帰りにいつも見ていた夕焼けと君のことだった。そんな感じだろうか。
この曲を聴いているといつも、
「思っていることを伝えるのは難しいな」
と感じてしまう。
思っていることを伝えるのは、勇気もエネルギーもいる。傷ついてしまうのではないか。言っても伝わらなかったらどうしよう。考えれば考えるほど難しい。恋愛関係となると、そこにかかる負担は、莫大なものになるだろう。だが、言わない、言えない方が幸せなことも往々にしてあるものだ。夢だったり、今まで築き上げた関係だったり。壊れるものがたくさんある。
そう考えると、そばにいるだけ、または思っているだけでも幸せなのかもしれない。
【参考文献】
スピッツ(2012)「夕焼け」『おるたな』
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