見出し画像

わたしは、すきです。

「日本人、ベトナム人のこと好きじゃないから。」
日本人の友達いないの?という質問に対してのベトナム人女性店員の答えだ。そんなことはないよと言いながらも、テレビの報道や日本人から向けられる周りの目や実際に投げかけられてきた言葉を受けて、彼女はそんな言葉を発したんだろうと思った。

確かにテレビをつければ、ベトナム人関連の事件をよく見かける。
外国人技能実習生の受け入れを広げてから、確かに街でベトナム人をよく見かけるようになった。しかし、彼らは初めから問題を起こすために日本に来たのか?日本にへの興味や憧れがあったから、夢を描いて来日したのではないか。

斡旋業者に高いお金を支払い、日本の会社で薄給で働きながら仕送りをしているうちにお金に困って犯罪に走ってしまう人もいるだろう。育ってきた環境が違うから当たり前の基準が違って、日本人からしたら眉をひそめるような行動をしてしまうのだと思う。人のモノを盗んだりするのは当然裁かれるべきだし、日本にいたら日本のルールに従う必要がある。しかし、我々日本人も少しは島の外の異なる当たり前に触れて、視野を大きくするのは一ついい機会じゃないのか。同じ国に住む当たり前の違う者同士が互いのことを知り交流が生まれていけば、眉間に皺が寄る回数も減り美容にも良いと思う。

そのためには、彼らが育ってきた国にはどんなルールがあって、どんな当たり前の中で過ごしてきたのか見に行って記事にしていきたいと思い、誰かいないかと探していた。


Luanとの出会い

友人のカンちゃんの元同僚がベトナム人ということで、連絡を取ってもらい紹介してもらうことになった。彼に会うために埼玉の西川口駅に着き、ベトナム人の青年に会った。青年の名はルアンといい、笑顔がとても印象的な青年だ。自己紹介もそこそこに彼に連れられ、なかなか怪しい佇まいの雑居ビルの地下に向かった。看板も何もない怪しい扉を開けると、中は明るくきれいな内装のベトナム料理屋であった。

ベトナム料理をつまみながらアサヒビールで流し込み、来日の理由や日本での生活について話を聞いた。

日本に来た理由

ルアンは、ベトナムのゲアンという都市から来た。
彼が日本に住むことになったキッカケは、ベトナムのテレビ番組で日本渡航への斡旋業者の特集を見たことだ。それに加え、その時期に日本に住んだ経験のある近所のお兄さんから「日本人は優しい」とよく聞かされていた。そこで、実際に自分で日本を見てみたいと思い、来日を決めた。

日本在留ビザを得るために仕事を転々としているうちに、来日して5年が経った。現在、彼は埼玉の郊外にある野菜の出荷工場で働いている。職場のおじさんおばさんに優しくしてもらっているから仕事は好きだと言う。以前、ミャンマー人の年配の方に取材した時も、若い人が相談しにくる内容のほとんどが職場の人間関係がうまくいかないという相談が一番多いと言っていたのを思い出した。そう考えると、ルアンは恵まれた職場に出会えたから仕事が楽しいと言えるのかなと思った。何よりも彼は、日本の近代的な仕事に驚いていた。彼は子供の頃から家業である農業や畜産の仕事をしていたので、日本での農業は楽だと言っていた。「日本で農業の仕事は楽で楽しい。その知識や技術を母国にもって帰りたい」と話していた。何よりもずっと笑顔で話していたのが印象的で、彼の身近な日本人がいい人ばかりで良かったと心から思う。なぜかというと、在日外国人に取材をしていく中で日本人との関わり方が分からずに、距離を取ってしまいネガティブな感情を抱いている人もいるからだ。


話は戻る。今回、ルアンと初対面だが彼の実家に行ってベトナムのローカルの暮らしを体験したいとお願いする目的があった。初対面の人の実家に行かせてなんてなかなか図々しいお願いだったが、Luanの故郷にいる友人もしくは家族を紹介してほしいとお願いすると、あっさりいいよと言ってくれ、その場で家族に連絡を取ってくれた。すぐに家族から返信が来て、ベトナム行きは決定した。これもカンちゃんがルアンと一緒に働いている時に、ルアンといい関係を築いてくれたからだと思う。ありがたい。

コロナの水際対策が少し落ち着いてきた3月下旬、いてもたってもいられない気持ちで成田空港にいた。実に2年ぶりの空港だった。

ルアンの故郷とは、どんな場所なのか。どんな人が暮らしているのか。あれこれ考えているうちに寝てしまい、起きたら飛行機はハノイ空港に着いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?