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パナソニックのCMと『ONE PIECE』と『正欲』から考えたこと

ここ最近TVerを利用していると、やたらとパナソニックのCMが流れてくる。

子供がやってるカフェに、人間と会話をすることができる鹿が訪れ、人間の日頃の行いにケチをつけるあのCMである。

(個人的にこのCMは一切共感できないのだが、今回はそれは本題ではない。)


何回もこのCMを観ると、
脳が発達し、言語を操り、人間と意思疎通ができる生物が現れたときに、それを受け入れることができるのか
という疑問が頭に浮かんだ。

いま我々人間が社会を形成しながら生活しているのは、ひとえに脳が発達しているからである。

森で暮らしていた猿が、いつの間にかそこを抜けだし、いつの間にか二足歩行になり脳が発達したからこそ、人間はここまでの社会を作ることができた。

つまり、偶然である。自然の産物に過ぎないのだ。

これが偶然だとすると、他の生物にも同じような偶然が起こるかもしれない。いつになるかは分からないが、起こらない可能性はゼロではない。

パナソニックのCMにならい、鹿で考えてみよう。
鹿がある日突然二足歩行になり、目の前に現れ、我々が使っている言語を操り、話しかけてくることを想像して欲しい。

ほぼ100%、驚くだろう。

その後、人間が取る行動はどんなものだろうか。

きっと、生け捕りにしようとするだろう。研究の対象になる可能性が高そうだ。
もし、それが鹿の集団であった場合、軍隊を用いて駆逐しようとするかもしれない。

なぜなら、我々人間の社会が壊される、という恐怖を感じるからである。

そして、私は駆逐される二足歩行の鹿を見て安心するはずだ。

かつて『猿の惑星』という映画でも描かれたように、人類は「人類の地位を脅かす生物」が出現した場合、徹底的に戦うだろう。この考えは何も意外ではない。


話は飛んで、『ONE PIECE』の世界へ。

まだ読んだことのない方は今すぐにでも読んで欲しいが、ルフィが海賊王を目指すこの世界には、様々なキャラクターが登場する。

魚人族、巨人族、人間と話すことのできるトナカイ、翼を持ち雲の上で暮らす人間など、多種多様である。

漫画なんだから当然だろ、というツッコミはその通り。

しかし、だ。漫画だからこそ深く考えてみたい。

『ONE PIECE』の世界には「天竜人」という世界貴族が登場する。この天竜人は、ONE PIECEにおける「世界の創造主の末裔」であり、誰よりも偉い。贅沢を極め、奴隷を従え、毎日好き放題に暮らしている。

普段は聖地マリージョアで暮らているが、ごくまれに人間の住む下界に降りてくることがある。

その際は、「下界の汚い空気なんて吸えないザマス」と言わんばかりに、宇宙服のようなカプセルを頭に被って行動している。ちなみに、天竜人が下界の一般人にどんな危害を加えても一切罪には問われない。

一言でまとめると、ONE PIECE読者の敵である。早いとこ、ぶっ飛ばされて欲しい。みんなそう思っているはずだ。胸糞悪い行為ばかり繰り返す天竜人(なかにはごくわずか善良な天竜人もいるが)を好きと言っている、ONE PIECE読者はきっと1人もいないだろう。

読者は、天竜人の支配が終わることを望んでいる。そして、そのきっかけを作るのはルフィだと信じている。もちろん私もその1人だ。


ここで、鹿の話と繋げよう。

天竜人自身は人間ではあるが、下界に住む人間のことをゴミ同然に扱うし、人間とはフォルムが異なる種族の命の価値など無いと思っている。「世界の創造主の末裔」である自分たちが、その他のあらゆる生物・種族より偉いことを疑わない。

下界の他の生物は死んでもいいと思っている。

さて、これはこの世界における我々人間のことではないだろうか。

もちろん人間があらゆる生物を殺戮しているわけではない。
例えば、犬や猫などのペットとの共存はできている。
けれどもそれはペットが人間と同程度の知性を持ち合わせていないからである。

もし、犬が、、猫が、、鹿が、、その他の大勢の生物が、人間と同じ知性を持ちながら社会で共存していこうとしたら、我々人間はそれを受け入れることができるのだろうか。

難しい問題である。

きっと答えは人それぞれだろう。

そのなかで、駆逐される鹿をみて安心するであろう私が、天竜人がぶっ飛ばされることを願っていることはなんだか矛盾しているように感じる。

私は、ONE PIECEの世界に行ったとしても、天竜人側の人間なのではないだろうか。
私は、人間と異っているフォルムである魚人族を最初から受け入れることができるだろうか。

私にルフィを応援する資格はあるのだろうか。

自由奔放な性格であるルフィは、どんな相手であっても拒むことはなかった。人間ではない者を受け入れる能力がずば抜けているのである。

そして、それは私が持ち合わせていないものである。


朝井リョウさんの著書『正欲』で、多様性に関する人間のエゴを学んだ。人間は「自分の想像する範囲」でしか多様性を受け入れられないのである。

多様性を認める社会、と綺麗な言葉が先行している現代社会ではあるが、それがなんと欺瞞に満ちた言葉であることか。

いつ想像の範囲外のものに出くわすかなんて誰にもわからない。

それでも社会は、多様性を求め続ける。

きっと全てが認められる社会なんて実現しないだろうに。

人間は、自らの地位のために知性を持った異形な生物を排除するだろうから。
人間は、自分が受け入れられない事を排除するだろうから。

(そういう人間の性に対する是非は、この際どうでもいい。人間がそういうものだってことを気付くことが大事。自分が好きな物は誰かが排除したい物かもしれない。逆に、自分が排除したいものは誰かが大好きな物かもしれない。つまりお互い様(人間同士なら))

全ての人間は言語を操る鹿を受け入れられるように、なんて綺麗事を主張するつもりは一切ない。

そもそも自分はそんな鹿を受け入れられなさそうなので。

(人間のことは不快であっても受け入れられるようにしたい)


話があちこちに飛んだけれども、今回、自分は天竜人を批判する資格なんて無さそうだ、ということに気付くことができた。
それでも私はルフィが好きなので、懲りずにルフィを応援するけれど。

こんなよく分からないことを考えるきっかけをくれたパナソニックのCMと『ONE PIECE』と『正欲』に圧倒的感謝。

いつか尾田先生と朝井リョウさんの対談とか実現しないかな。




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