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やみくもに成功者の真似をしたら、さらに闇落ちしてしまったという寓話

蛍袋が咲く季節になりました。

古文講師です。古文には来世という考え方がよく出てきます。

自分の来世は虫かもしれない。

そんなことに思いを馳せてしまいます。

生まれ変わるなら、どの虫がいいか? やっぱり、みんなに好かれる虫がいいですよね。梅雨に入ったこの時期のスター昆虫といえば、蛍でしょう。古文にも頻繁に登場する蛍。不動の人気を誇っています。

なりたくない虫の筆頭は、ゴキブリですかね。昆虫大好き少年だった私でも、この虫が自分の住まいにいることを許容する気にはなりません。(ハエトリグモはピョンピョン飛ぶ姿がかわいいので、2、3匹くらいなら歓迎します)

しかし、ゴキブリの立場になってみると、気の毒な感じもしてきます。「人間に嫌われてやろう」と思ってゴキブリに生まれたわけではないでしょうから。蛍とゴキブリ。どうしてこれほど差があるのか? 私は子どものゴキブリに生まれ変わったつもりで考えてみました。

「父ちゃん、どうして僕らはスリッパを持った人間に追いかけられなきゃいけないの?」
「嫌われてるからだよ」
「虫だから嫌われるの?」
「好かれてる虫もいるさ。蛍とか」
「どうして蛍は好かれてるの?」
「光るからさ。光りながらフワーフワーと飛ぶから、人間どもは『素敵!』って、見とれちゃうんだ」
「じゃあ、僕らも光れるように頑張ろうよ」
「なるほど。そうすればスリッパで叩かれなくなるな」

ということで、ゴキブリ親子が努力して、光る能力を身につけたとしましょう。思惑通りにいくのでしょうか?

人間の立場に戻って考えてみます。

「さあ、寝るか」と明かりを消して布団に入ったら……ピカッ、ピカッと光りながら、フワー、フワーと飛んでくるゴキブリたち。

やめてほしい。

虫に対して比較的寛大な私でも、悲鳴をあげながらそばにあったスリッパを持ってブンブン振り回し、バシバシ打ち落とす自信があります。ゴキブリがそんな風に進化(?)したら、バルサンやコンバットの売り上げがきっと倍増するでしょう。

ゴキブリにしてみれば理不尽な話ですよね。人気者を見習ったのに、ますます目のかたきにされちゃうなんて。

よく「成功している人のいいところを真似すればあなたも成功できる」的な教えを本やネットで見かけますが、向き不向きを考えないと、むしろ逆効果。自分のキャラに合うかどうかを考えないと。たとえば、私が木村拓哉さんのように振る舞ったって、引かれるだけですよ。

ただ、タイムラインに流れてくるnoteの記事を読んでいると、本当にさまざまな人がいますから、光って飛ぶゴキブリなら「好き」「飼いたい!」という人も意外といるように思います。

蛍雪時代 旺文社

晋の車胤しゃいんは貧乏で灯油が買えず、袋に螢を集め、その光で勉強して政治家になりました。雪明りで本を読んで政治家になった孫康そんこうとあわせて「蛍雪の功」ですが、昔からゴキブリが光る虫だったなら、車胤はそちらを袋に入れたことでしょう。

ゴキブリは漢字で「蜚蠊」。「ひれん」とも読むみたい。「虫に非ず?」と思って漢和辞典を見たら、「非」は「羽をひらく」の意味。ゴキブリは飛ぶ虫という認識なんですね。

「蛍雪」ではなく「蜚蠊雪の功」だったら……後世に語り継がれなかったかもしれません。

蛍を入れる機会がない都心の蛍袋。代わりに蜂を誘い込んで蜂袋になっていました。


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