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ともすれば桜より切ない辛夷の散り際

『鎌倉殿の13人』で木曾義仲が実直で愛すべき男に描かれています。
青木崇高さんの熱演は、広く流布している「粗野」で「乱暴」のイメージを覆す好演ですね。それだけに、義仲の、ほどなく訪れる悲惨な運命が痛ましく思えてなりません。

桜散る折、西行法師の歌を読みながら大河ドラマを観ていました。義仲を詠んだ歌があるのです。

木曾人きそひとは海のいかりを沈めかねて 死出しでの山にもりにけるかな

聞書ききがき

意訳:山で育った木曾義仲は海のいかりを沈められなくて、死出の山(死の苦しさを山にたとえたもの)にまで入って行ってしまったのだなぁ。

海のいかりは、海の人・平家の怒りと、水島の合戦で負けてしまった義仲の自身の怒りの双方をさしているように思えます。

それにしても、上記の歌は、じつに淡々とした詠みぶりです。
西行法師は平清盛と同じ年で、平家とかかわりがありました。

西行法師、木曽殿にはなんの思い入れもなかったんでしょうね。
戦いで人がたやすく死んでいくことには、さまざまな思いがあったようですが。

ちなみに、木曾義仲に惚れこんでいたという松尾芭蕉は、たとえば、

義仲の寝覚めの山か月悲し

松尾芭蕉

と詠んでいます。温度差は歴然ですね。

見出し画は、散り落ちて木の枝に貫かれた辛夷こぶしの花びらです。私の中では、木曽殿は辛夷のイメージ。本格的な春(頼朝)が来る前に真っ先に咲き誇って、はかなく散った大輪の花。混じり気のない、その白さが、実直過ぎた木曽殿の印象に重なるのです。

辛夷の散り際は桜のそれに引けをとりません。

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